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ベートーヴェン: 交響曲&協奏曲全集 / ヤン・ヴィレム・デ・フリエンド、他

KLMの東京/成田~アムステルダム便に搭乗すると、機内オーディオにこのベートーヴェン交響曲全集が収録されていた。自国の演奏団体を優先的に紹介するということなのだろう、長時間のフライトの無聊もあり、さして期待もせずに4番から聴き始めて、これはなかなかの拾い物だという感想が差し込んでくるのを妨げようもなかった。アムステルダム行きの便では4,6,1,5,7番まで聴いて時間切れ、帰国便で全9曲をしっかり聴いて、帰国してからすぐにタワーレコードでCDを注文した。

すばらしい演奏である。21世紀の第1四半世紀における、第一級のベートーヴェン交響曲全集の一つであると確信する。

まずは全体に漲る気迫、押し出しと踏み込みが鮮やかである。これがないベートーヴェンなど存在価値はない。この点において、第一にこのフリーント盤はめざましい。人によっては金管なりティンパニなりに荒さを感じるかもしれないが、ストラヴィンスキーの音色でベートーヴェンをやっている、とでも言えようか。そもそもベートーヴェンにはそのような音こそが必要ではあるまいか。

つぶさに聴いてみて感じるのは楽器間の連携が良いこと、しかもそれが演奏者のSpontaneitätに立脚点を置いている(ように聴こえる)ところである。これはセルとクリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェンが20世紀オーケストラ芸術の最高到達点を示しつつも、何か大きな虚無を逃れられない地点から次元を異にしている。自然、内声部の充実は真剣に聴く者には愉悦をもたらす。全方向にわたって死角はない。

同じようなことを繰り返すが、私はこの全集は21世紀の第1四半世紀においてベートーヴェンの交響曲がどのように演奏されるか、一つの規範を示したもののように思う。我々は我々の時代のベートーヴェンを持ちうるはずであり、それが今ここにある、というのは言いすぎ、あるいは褒めすぎであろうか。

フリーントは2024年4月から京都市交響楽団の首席客演指揮者に就任するとのことである。このような場所の片々たる一文においてではあるが、両者による幸福なる多産を願ってやまない。

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Rheinischer Pinguinさんが書いたメンバーズレビュー

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KLMの東京/成田~アムステルダム便に搭乗すると、機内オーディオにこのベートーヴェン交響曲全集が収録されていた。自国の演奏団体を優先的に紹介するということなのだろう、長時間のフライトの無聊もあり、さして期待もせずに4番から聴き始めて、これはなかなかの拾い物だという感想が差し込んでくるのを妨げようもなかった。アムステルダム行きの便では4,6,1,5,7番まで聴いて時間切れ、帰国便で全9曲をしっかり聴いて、帰国してからすぐにタワーレコードでCDを注文した。

すばらしい演奏である。21世紀の第1四半世紀における、第一級のベートーヴェン交響曲全集の一つであると確信する。

まずは全体に漲る気迫、押し出しと踏み込みが鮮やかである。これがないベートーヴェンなど存在価値はない。この点において、第一にこのフリーント盤はめざましい。人によっては金管なりティンパニなりに荒さを感じるかもしれないが、ストラヴィンスキーの音色でベートーヴェンをやっている、とでも言えようか。そもそもベートーヴェンにはそのような音こそが必要ではあるまいか。

つぶさに聴いてみて感じるのは楽器間の連携が良いこと、しかもそれが演奏者のSpontaneitätに立脚点を置いている(ように聴こえる)ところである。これはセルとクリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェンが20世紀オーケストラ芸術の最高到達点を示しつつも、何か大きな虚無を逃れられない地点から次元を異にしている。自然、内声部の充実は真剣に聴く者には愉悦をもたらす。全方向にわたって死角はない。

同じようなことを繰り返すが、私はこの全集は21世紀の第1四半世紀においてベートーヴェンの交響曲がどのように演奏されるか、一つの規範を示したもののように思う。我々は我々の時代のベートーヴェンを持ちうるはずであり、それが今ここにある、というのは言いすぎ、あるいは褒めすぎであろうか。

フリーントは2024年4月から京都市交響楽団の首席客演指揮者に就任するとのことである。このような場所の片々たる一文においてではあるが、両者による幸福なる多産を願ってやまない。

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