メンバーズレビュー一覧

ベートーヴェン: 「コリオラン」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、交響曲第7番 / ハンス・クナッパーツブッシュ、他

令和元年に世に出た最高の録音だろう。マイクが指揮者の位置に近く、驚くほど細部が克明に入っている。皇帝のバックハウスとクナーの力の入れ方は凄まじく、スケールが極めて大きい。7番は、クナーの解釈はこうゆうものかという真剣な演奏。第2楽章の意味は深く、会場のFreiburg大学の知的伝統と聴衆が創り出す雰囲気は白熱的。VPOも水際立っている。黄金の演奏と云うべきだろう。

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黒熊怪さんが書いたメンバーズレビュー

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(全20件)

この復刻は、壮絶無比の重量感のある内容に仕上がっている。ターナボートLPの音作りに極めて似ている。インターバル細部から、マグネットフォン・コンツエルト当時のスタジオの緊張感が伝わり、よくこの録音が残ったものだと感心した。50年前、LPが米国から来た時の興奮が蘇る。秘曲洞の砂田観二氏から、ウラ二ア盤と同レベルの復刻があり、日本で初めてのブラームスPCのフィシャーの共演も勧められた。音楽の生成は真剣を使った試合のような演奏だった。どちらも今日、歴史的名盤となった。砂田氏(オイストラフと親交があり、世界初の二キッシュの第五をクレテンザでLP化した人)は、若い音楽愛好家を育てる力があった。「音楽の真の価値(本物)を、人生の早い段階で知ると」経験則から「その後は、自ずから優勝劣敗がはっきりしますよ」と云っていた。平林直哉氏のシリーズも近い将来全集にして、次世代を担う若い人達に深く浸透してもらいたい。日本音楽の需要と供給の質的レベルの格段の向上が期待できる。誠に心の躍る復刻だと想う。

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フルトベングラーは、ワーグナーやマーラーを直接聞いたことはないが、残された数々の記録からワーグナーを史上最大の指揮者だとしていた。ワーグナーのバイロイトの第9の記念演奏は、バイオリンのパートにいた二キッシュなど、後々まで人々に語り継がれた。伝統を継承するフルトベングラーの1951年のHMV版は、新リマスターで実に見事に蘇った。レッグのゲネプロ・ハイブリッドの録音は、優れて客観的な第9の音楽の存在を捉えていた。録音の鮮度が人工的に改善され、細部は驚くほど克明、落ち着いて深く聴くことができる。祝典の興奮か楽団が早駆し、指揮者が統御に苦労した本番よりも明らかに理路整然。今日、ジークフリート・ワーグナーの霊感に溢れたパルシファルが僅かに残っているが、フルトベングラーも性格が合致し極めて優れている。今回のリマスターは、他のどの曲も音が響くというよりも、飛び出してくる力動感があり、音楽の永遠の存在と生成を感じる。フルトベングラーの指揮芸術の原点とも云える、真に歴史的で偉大な録音集だと想う。

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INVISIBLE LINE

オレバンド

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☆☆☆☆☆
★★★★★

庵原良司氏のクラリネット「ムーンライトセレナーデ」を聞いたが、素晴らしい演奏だった。楽器が人間の声のように、音色を変化し歌をうたう。バックは若手気鋭の弦楽の皆さんだったが、創り出すクラリネットのテーマがその一人一人に光をあて、個々の奏者の個性が一緒に輝いて歌うような時間と空間、懐の深さ、聞いていて実に感動的な一時だった。この曲は、もう一世紀近く世界中のダンスホールで演奏されて踊る、人間の深い感性をとらえた名曲で、このような演奏を聴けるとは想わなかった。晩年のブラームスはミュールフェルトのクラリネットに惹かれ有名な五重奏曲を創った。初演前に、20世紀最大の哲学者の生家、ウィーンのヴィトゲンシュタイン家の友人としてブラームスが招かれ、ヨーゼフ・ヨアヒム弦楽四重奏団により私的に演奏された事が浮かんだ。庵原良司氏は高度の音楽性と希有の才能だと想う、彼の率いるバンドが益々活躍することを強く期待したい。

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クーベリックは、フリッチャイと同年齢の同期の桜で「大器は晩成す」の典型だった。Boxの内容は、どれも堂々とした恰幅のある高水準の見事な演奏。戦後、フルトベングラーがシカゴ交響楽団に招かれた時、米国で強い反対が起き、トスカニーニを始め、歴史に汚点を残すような見苦しい反対騒ぎだったらしいが、変わりに推薦されたのがクーベリックだった。VPOは彼のマーラーを高く評価していた。もう少し厳しくと意見が出るほど、マイルドな人柄だったらしいが、複雑な性格のマーラーの解釈が自然に出来る数少ない指揮者だった。それにしても、1980年代までフリッチャイが生きていたら、これまた素晴らしい演奏に違いないと想いたくなるほど、クーベリックは実に元気で伸びやかな演奏を行う。音響が自然で、クーベリックの毅然とした音楽的良心と筋のとおった誠実な演奏は、いわゆる大指揮者のスケールに到達している。

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今日、DXによるフルトベングラー録音がルネッサンス期のように盛況だが、確固とした識見のトーンマイスターによる歴史的録音の復刻には感謝の念を禁じ得ない。個人所有のプライベートアルヒーフには、未だ磁気遮蔽されたような鮮度の高い録音が残っているらしい。愛好家の悲願とも云える、五つの想定①戦時中、同時並行で試験的に行われたと証言のあるBPOとのステレオ録音シリーズ(入手した当時のソ連は、ステレオ技術が全くの後発国、未だに行方不明)②1954年バイロイトの第9(最高峰)のオリジナル音源と、51年秋シラー劇場で行われた本命のBPOとの第9(戦後のBPO録音は皆無)③スカラ座のワーグナーパルシファル(クナーを超える可能性がある)④バルトーク晩年の傑作、オーケストラ協奏曲、BPOとルンツェルン管によるブロードキャストがあり、放送局に眠っている可能性がある⑤同時期のバッハの管弦楽第2番(曲想からして極めて精神性の高い演奏だったらしい)へと夢は限りなく膨らむ。この悲愴は驚くほど細部が鮮明で、これまでのエジプト録音の固定観念が変わるような力動感、化粧を落とした演奏の瞬間的に輝く素顔を見るような感動がある。復刻の技術と構想は相当なもので心から称賛したい。

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愛好家が、LPのスクラッチノイズを耳と頭の中で遮断する能力を備え、と云うことは曲に集中する能力に長けていれば、フルトベングラーのVPOと云われた時代の輝かしい傑作を楽しめる。この演奏会は、オーストリアの国際親善と経済関係構築の外交活動の一環でもあったらしい。会場の雰囲気は明るく晴れがましく、VPOの演奏の滑りの良さは、94番のスタジオ録音を遙かに凌駕する。演奏会が進むにつれフルトベングラーが瞑想状態に入ったのか、指揮者の目の前の空間から音響の世界が源泉のように湧き出てくる即興的な演奏になっている。特に第5番の第3楽章から最終楽章にかけた繊細な表現と高揚感には、VPOの緩急自在の美しさがあり、知的論理的、厳格なBPOとは異なる特殊な感性が大きな魅力となっている。50年以上前、ワルター協会盤ソースのLPは、確かにオリジナルテープの存在が感じられる音質だった。当時、フルトベングラーの録音が発見されたら日本に持ち込めが、投機筋の合い言葉だと聞いたが。とにかくオリジナル音源のコレクターのお披露目したくない気持ちもよく分かるが、次世代の音楽愛好家のためにも、音楽企業のビジネスモデルに協調して欲しい。未だ世に出ていないソース音源を確信したくなる、フルトベングラーとVPOの生命感溢れる素晴らしい演奏会の記録。

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戦前、メンゲルベルグの演奏を聴いた人の話によると、客演のときはあまり感心しなかったが、ACOとの実演は驚異的な素晴らしさだったと云う。VPOのStrasserは、楽譜の切り方、弓の上下、演奏の力点など、長年、自らのコンサートマスターと徹底的に練り上げ記入した、楽譜を携えていたと回想している。指揮者からは呪文をかけるような力が溢れ、身を引くことが出来なかったと云う。テープ録音がなく全く残念だが、1938年の田園は、当時としては耳を疑う見事な復刻になっている。近い将来、ある楽団の演奏を戦前のSPやアコースティクの技術で録音し、AIにかけて音楽家と愛好家によるチューリングテストを行い、当該楽団の演奏と見分けがつかなければ、開発されたアルゴリズムは、メンゲルベルグや二キッシュの歴史的録音を演奏当日の音で再現できる可能性がある。そう期待したくなるほど細部まで美しい響きで、演奏の構想力も大きく、メンゲルベルグは稀代の楽匠だと思う。

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フルトベングラーの録音がソ連から拡散したのは、雪解け時代、ソ連の音楽アカデミーの特別クラス(党の政策で音楽の天才教育を受ける特別選抜学生)用に限定部数を作成した教育用レコード(非売品)が源泉との話を聞いた。フルトベングラーは第3帝国の枢密顧問官で、ハーケンクロイツ旗の掛かった演奏会で第9を演奏している姿からも、戦争裁判は免れない人だった。スターリン体制の空気が漂うソ連で、第3帝国を代表するようなフルトベングラーの録音をレコードにすること自体、ソ連では実刑、風向きによっては、命の危険のある行為だ。今日、CDを買えば過去の偉大な演奏を聴くことが出来る。フルトベングラーは生前「自分は二キッシュからのみ指揮を学んだ」と云うが、二キッシュの高品質録音が残っていれば、フルトベングラーも色褪せたかもしれない。現代の音楽家は極めて不利な立場だ。音楽は職業演奏家の所有物ではない。人々の支持を得られなければ、音楽界は歴史から消滅を免れない。良貨が悪貨を駆逐することは、経済の鉄則だ。フルトベングラーは音の背後の世界を知る希有の指揮者だった。リハーサルでは口数が少なく「もう一度、私と一緒に」が特徴だった云う。姿を現すだけで音が変わる云われたフルトベングラーの演奏を、言葉で説明できるだろうか。音楽自体が言語ではないのか。今後、なによりも楽団を厳正に統御し、教導する指揮者を期待する。二キッシュやリヒターも楽団出身の指揮者だった。今回、録音的に諦めていた初期の作品が鮮明となり、アレキサンドリアの聖金曜日も霊感の高揚が美しく、51年スカラ座のパルシファルの発見が切望される。これほど立派な演奏を揃えるのにコレクターは随分苦労を重ねた。これからも愛好家の指揮芸術の心眼を開くだろう。DXの時代、誰もが素晴らしい演奏に触れることが叶い、優れた演奏が多くの人に知られ、責任ある自由な意見が流通するオープンクラッシックな世界の到来を期待したい。

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フルトベングラーの帝国放送の録音がソ連から拡散したのは、雪解け時代、ソ連の音楽アカデミーの特別クラス(党の政策で音楽の天才教育を受ける特別選抜学生)用に限定部数を作成した教育用レコード(非売品)が源泉との話を聞いた。フルトベングラーは第3帝国の枢密顧問官で、ハーケンクロイツ旗の掛かった演奏会で第9を演奏している姿からも、戦争裁判は免れない人だった。スターリン体制の空気が漂うソ連で、第3帝国を代表するフルトベングラーの録音をレコードにすること自体、厳しいソ連では実刑、風向きによっては、命の危険のある行為だ。ソ連共産党が極めて有害な書と指定し、所持だけで実刑判決を受けたという、有名なアフトルハーノフの政治学「権力のテクノロジー」が世に広まったのも、回収焼却の過程で、党中央委員会の委員用に限定部数の作成が行われ、逆にそれがコピーにコピーを重ねた結果だという。内容はどちらも実に切れ味が鋭い。今日、CDを買えば過去の偉大な演奏を聴くことが出来る。フルトベングラーは生前「自分は二キッシュからのみ指揮を学んだ」と云うが、二キッシュの高品質録音が残っていれば、フルトベングラーも色褪せたかもしれない。現代の音楽家は極めて不利な立場だ。音楽は人々が必要とするもので職業演奏家の所有物ではない。人々の支持を得られなければ、音楽は歴史から消滅を免れない。「良貨が悪貨を駆逐する」のは経済の鉄則だ。優れた演奏を誤って悪いと判断するリスクは負の文化遺産となる。これからクラッシックを聴く人達が、満足できる世界に到達するまで、多くの鑑賞・投資の紆余曲折を重ねるだろう。真贋を見極める能力は指揮者、演奏家、音楽愛好家に存在するが、不思議なことに流派や派閥が異なっても一致する。DXの時代、誰もが素晴らしい演奏に触れることが叶い、優れた演奏家が多くの人に知られ、責任ある自由な意見が流通するオープンクラッシックな世界を期待したい。国を挙げ、官民が音楽家を芸術家の職業として支える社会、人材の確保と養成、生活の保障とキャリアパスの構築を実現して欲しい。真摯な音楽家による、人々に生きる勇気と希望を与える演奏、これこそ音楽の醍醐味だと思う。

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このドイツ帝国放送により、21世紀の録音再生芸術の幕が切って落とされた。フルトベングラーの録音がソ連から拡散したのは、雪解け時代、ソ連の音楽アカデミーの特別クラス(党の政策で音楽の天才教育を受ける特別選抜学生)用に限定部数を作成した教育用レコード(非売品)が源泉との話を聞いた。フルトベングラーは第3帝国の枢密顧問官で、ハーケンクロイツ旗の掛かった演奏会で第9を演奏している姿からも、戦争裁判は免れない人だった。スターリン体制の空気が漂うソ連で、第3帝国を代表するようなフルトベングラーの録音をレコードにすること自体、ソ連では実刑、風向きによっては、命の危険のある行為だ。今日、CDを買えば過去の偉大な演奏を聴くことが出来る。フルトベングラーは生前「自分は二キッシュからのみ指揮を学んだ」と云っていたというが、二キッシュの高品質録音が残っていれば、フルトベングラーも色褪せたかもしれない。現代の音楽家は極めて不利な立場だ。音楽は職業演奏家の所有物ではない。人々の支持を得られなければ、音楽界は歴史から消滅を免れない。良貨が悪貨を駆逐することは、経済の鉄則だ。BPOが原点を指揮芸術の規範たるフルトベングラーにおく気持ちがよく分かる。AI導入と共にトーンマイスターが芸術家として求められる今日、誰もが素晴らしい演奏に触れることが叶い、優れた演奏家が多くの人に知られ、責任を持った自由な意見が流通するオープンクラッシックな世界の到来を期待したい。この全集を強く支持する。

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フルトベングラーの帝国放送の録音がソ連から拡散したのは、雪解け時代、ソ連の音楽アカデミーの特別クラス(党の政策で音楽の天才教育を受ける特別選抜学生)用に限定部数を作成した教育用レコード(非売品)が源泉との話を聞いた。フルトベングラーは第3帝国の枢密顧問官で、ハーケンクロイツ旗の掛かった演奏会で第9を演奏している姿からも、戦争裁判は免れない人だった。スターリン体制の空気が漂うソ連で、第3帝国を代表するフルトベングラーの録音をレコードにすること自体、厳しいソ連では実刑、風向きによっては、命の危険のある行為だと思う。ソ連共産党が極めて有害な書と指定し、所持だけで実刑判決を受けたという、有名なアストルハーノフの政治学「権力のテクノロジー」が世に広まったのも、回収焼却の過程で、党中央委員会の委員用に限定部数の作成が行われ、逆にそれがコピーにコピーを重ねた結果だという。内容はどちらも実に切れ味が鋭い。今日、CDを買えば過去の偉大な演奏を聴くことが出来る。フルトベングラーは生前「自分は二キッシュからのみ指揮を学んだ」と云うが、二キッシュの高品質録音が残っていれば、フルトベングラーも色褪せたかもしれない。現代の音楽家は極めて不利な立場だ。音楽は皆が楽しむもので、職業演奏家の所有物ではない。人々の支持を得られなければ、音楽は歴史から消滅を免れない。「良貨が悪貨を駆逐する」経済の鉄則と、様々な好嫌いの意見もあるが、優れた演奏を誤って悪いと判断するリスクは負の文化遺産となる。これからクラッシックを聴きたいと思う人達が、満足できる世界に到達するまで、実に多くの鑑賞と投資の紆余曲折を重ねるだろう。音楽の真贋を見極める能力は、指揮者、演奏家、音楽愛好家、各世界に存在するが、不思議なことに、流派や派閥が異なっても一致する。DXの時代、誰もが素晴らしい演奏に触れることが叶い、優れた演奏家が多くの人に知られ、責任ある意見が自由に流通するオープンクラッシックな世界を期待したい。愛好家も温故知新を逸脱し、若い見事な才能があることを何十年も後に気づくようでは、あまりに残念だ。国を挙げて、官民が音楽家を芸術家の職業として支える体制、人材の確保と養成、職業生活の保障とキャリアパスの構築を実現して欲しい。明日を担うわが国の音楽家による、人々に生きる勇気と希望を与える演奏、これこそ音楽の醍醐味だと思う。

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音楽の才能だけは年齢ではない、という哲理は歴史的に実証されてきた。モーツアルトはその最も輝かしい天才だろう。ワイマールの宰相ゲーテは、少年モーツアルトを実見したときの異常な感動の様子を回想しているが、モーツアルト晩年の、あの偉大な最後の3曲の交響曲は、ただ頭の中で聞こえてくる曲を楽譜に書き取っただけだと云う。フルトベングラーも晩年、生地ザルツブルグでモーツアルトのグランドオペラシリーズを生涯の目標とした。このサラ・チャンという奏者はその期待を目の当たりにしたような気持ちがした。何か精神的なオントロジー(存在)が乗り映ったような演奏となっている。現在の彼女の年輪と技術と解釈の深さで、バッハの無伴奏やバルトークのような壮大な曲を音楽の歴史に残してもらいたい。バイオリンの世界の女王とも云える希有の才能だと想う。

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BPOの客演指揮者の中で、これほどのベートヴェンを演奏した者はいないとシュトレーゼマンが云った、圧倒的迫力の演奏会の実演録音。BPOの演奏は、いつもの柔和で豊麗な響きとは異なり、強靱でありながら透明で緊張の張り詰めた音色の均衡に変わっている。この変容は、猛練習すれば出来るものではない。BPOの比類ないアンサンブル精神、美しく気高い音を好む響きと、クレンペラーの構造的な部分を重視し、知的側面からアプローチをする作品解釈とが真っ正面から衝突し、各フレーズが瞬間的にその場で創造されるのがよくわかる。正に手に汗を握る白熱の演奏会。演奏の巨大な推進力と拡がり、その深い表現力、実に見事な希代のベートヴェンだと想う。

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女の純情

歌恋

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

実に歌がうまくなった。若い頃の才能も素晴らしかったが、虚飾を一切抜きに、曲の本質に迫る驚くべき歌唱力に成長した。この人は、曲が優れていればいるほど圧倒的な迫力がある。他に2019.3.29の「スズメの涙」を聴いたが、現在、これだけの詩情を創造できるスケールの歌手は見当たらない。この世代では群を抜いた実力だと思う。これから、名曲のカバーアルバムの傑作も期待したい。

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リマスターが自然で成功している。アーベントロートは有名なバイロイトの3騎士、トリスタンの大指揮者モットルの弟子。第9の雄大なドイツ的風格とスケールは圧倒的名演、フルトベングラーと双璧。リヒターの弟子クナーが指輪の巨大な演奏を得意とするのに対し、響きの均衡と緩急自在の変化が美しく、どこかワルターに似て楽器が歌うことを重視、形は伝統的。ワーグナーの指揮に近いのか、曲想は疾風怒濤の巨匠の驚異的演奏。

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タートライSQのバルトークは手に入らないため、真に貴重な演奏。極めて難しいパッセージでも、全体の構造は決して揺るがず、それでいて舞曲のような力動感とリズムを自在に生み出してゆく。曲に透徹したバルトークの知性と、その深層で西洋と東洋の古い歴史が融合するハンガリー音楽の地政学的な響きは、バルトーク演奏の傑作だと思う。

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幕張総合高校の美しさは際立っている。東金で聴いた時、日本にもこうゆう合唱団があるのかと驚くばかり。嘗てドイツ最高と云われたBruno Kittelやバイロイト合唱の神様W. Pitzがいたが、この合唱団の心はその道に通じている。よほどの指導者がいたのか。土屋紀元氏のピアノも極めて魅力的、Hammerklavierを聴きたいもの。合唱団は地域の多くの人々と心がつながり、その活性化に真に寄与している。

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バルトーク: 作品集

5:
☆☆☆☆☆
★★★★★

驚くほど音が透明なクーベリックのOch.C.は、力とvirtuosoを前面に出す演奏が多い中、一筆書きのように淡泊で美しい。初演時、バルトークはクーセビッキーに音が強すぎると何度も助言したらしい。この演奏はバルトークの真意を伝えている。フリッチャイのP.C.No.3は、女流奏者を助ける晩年のスケールの大きい演奏。ヴェーグはさすがに解釈が深く、在りし日のバルトークを知る人たちによる生粋の演奏。

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令和元年に世に出た最高の録音だろう。マイクが指揮者の位置に近く、驚くほど細部が克明に入っている。皇帝のバックハウスとクナーの力の入れ方は凄まじく、スケールが極めて大きい。7番は、クナーの解釈はこうゆうものかという真剣な演奏。第2楽章の意味は深く、会場のFreiburg大学の知的伝統と聴衆が創り出す雰囲気は白熱的。VPOも水際立っている。黄金の演奏と云うべきだろう。

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LP時代のVPOの田園は、30年代の有名なワルターと4楽章のみだがトスカニーニのザルツブルでの驚異的実演。50年代のフルトベングラーとモントゥー、70年代のベームとVPOが指揮者を厳選し極めて少ない。フルトベングラーのVPOとの実演テープも皆無で、このCDの価値は高い。同時期のメンゲルベルグと比較しても、戦前のVPOの有名な高弦の美しさを見事に捉え、復刻の技術は実にしっかりしている。

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