ぶ厚いハーモニーや大袈裟なダイナミクス、大編成や長大な演奏時間、等々、いわば「量」に依存した大曲礼賛的な〈中央〉の熱狂を、〈周縁〉から俯瞰するかのような「質」的な展開を求めた作曲者の姿勢が見渡せるのは、全集物ならではの楽しみ。凝縮された手数で大きな効果を得るための、オーケストラ各パートの機能の再確認に基づく緻密、硬質、静謐な構成が、多様に模索されている。
フレーズの豊かさにも焦点をあててくれるここでのバルビローリ/ハレの演奏が、感情に流されない説得力を持つのは、この構成の確からしさによるものだろう。
横軸にドビュッシーやラヴェル、サティと、縦軸の先にシェーンベルクへとつながると聴くのは、さすがに妄想が過ぎるか。