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映画『夏の終り』

カテゴリ
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公開
2014/03/17   10:00
ソース
intoxicate vol.108(2014年2月20日発行号)
テキスト
text:村尾泰郎


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映画『夏の終り』を観たのは去年の夏の終わりのことだった。一歩外を出れば殺人的な猛暑だったが、スクリーンの向こうの夏の物語は、うだるような暑さのなかにどこかひんやりとした情念の刃を感じさせた。長年、小説家の慎吾(小林薫)と一緒に暮らしている知子(満島ひかり)。慎吾には妻子があり、週の半分は本妻が待つ実家に帰っているが、それでも知子は愛する男との生活に満足していた。そんなある日、ひとりの青年が知子のもとを訪れる。涼太(綾野剛)は、かつて知子が結婚して家庭を持っている頃に出会って恋に落ち、夫と娘を残して駆け落ちした男だった。かくして、にっちもさっちもいかない三角関係が生まれてしまう。

どんなに愛しても、慎吾の心の半分は別の女性のもの。涼太は過去の男だが全身全霊で愛してくれる。2人の男性の間で揺れ動く知子が、再び涼太と関係を持ってしまうあたりは女心というやつか。最初、知子を演じるには満島ひかりはまだ若いような気がしたが、物語が進むにつれて満島のなかの“女”が匂いたってきて彼女の熱演に引き込まれていく。一方、男達の描かれ方は知子以上に生々しい。好きなようにしていいからと、知子に責任をゆだねて自分は安全な場所でことの行く末を見守る慎吾。終わった恋愛に未練たらたらで、ストーカーのように知子を追いかける涼太。熊切和嘉監督は男のずるさや愚かさを容赦なく描きながら、ダメな男たちに振り回されながらも自分の気持ちにまっすぐに生きようとする知子の凛々しさを浮かび上がらせる。知子は染め物をして生計を立てているが、ひとり染め物の作業に向かう知子の姿を熊切監督は清らかに美しく撮っていて、そこからは彼女に対する監督の畏敬の念が伝わってくるようだ。

どっちに転んでもハッピーエンドにはならない不毛な三角関係。それでも、人は恋をせずにはいられない。原作は瀬戸内寂聴の同名小説だが、愚かで切ない男女の機微を陰影に富んだ映像で描いた本作は、溝口健二をはじめ伝統的な日本映画の対するオマージュを感じさせる。また音楽をジム・オルークが担当しているが、そう言われなければわからないほどオルークはオーセンティックで叙情豊かなスコアを提供していて、そこにも監督の強いこだわりを感じさせた。猛暑のように激しい恋の終りに知子は何を見いだすのか。映画を観る者もまた、自分の恋心を振り返らずにはいられない物語だ。