上野「最初は誰に憧れてラップを始めたんですか?」
JOE「僕はやっぱりランDMCですよ。もちろんその時は、埼玉の川越の高校生で東京の状況とか知らないし、〈ベストヒットUSA〉でランDMCがライヴをやったのを観て、次の日スーパースターを買いに行った(笑)」
上野「〈笑っていいとも!〉でタモさんと共演した時ですね(笑)」
JOE「でも俺がミロスで遊んでた時には、もうBOY-KENとか、MAZZさんと、あと千葉くん*4たちがいて。千葉くんは、ミロスの前の西麻布の頃からずーっといっしょに辰緒さんとつるんでたみたいで。そもそも俺がミロスに行くようになったのは、ブギー・ダウン・プロダクションが来日した時に石田さんにデモテープを渡したら、石田さんが芝浦GOLDのURASHIMAってハコで開催した〈CHECK YOUR MIC〉に〈出なよ〉って言ってくれて。その時に、MAZZさんとか千葉くんと知り合って、それから」
*4 パーティー〈HIPHOP最高会議〉主催者。RHYTHMレーベルのロゴ・デザインも手掛けた。
ブロンクス「辰緒さんのファースト・インプレッションは?」
JOE「名前はもちろん知ってたんだけど……怖い人だったよ(笑)」
ブロンクス「本にも〈ケンカやりたくてDJになった〉って書いてありましたからね。このアルバムに入ってるVOLUME DEALERSとか、ハードコア・パンクじゃないですか。バンドがラッパーよりも前に出てくるっていうのが……」
JOE「ムチャクチャ、っていうか、早すぎちゃったぐらい早い、っていう」
ブロンクス「まずこのアルバム・ジャケットの時点でクラッシュから始まって。で、“ワイアット・アープ”とか、DJ DOC. HOLIDAYとか、西部劇のアウトローの名前だったり」
JOE「RHYTHMって辰緒さんとPMXのダブル・プロデューサーのシステムで、PMXは打ち込みもできたから、機材持ってない人はレコード持ってって、やってもらうっていう」
ブロンクス「J・ウェッサイのPMXがいて、自称NY馬鹿のMUROさんたちもいて、もうメチャクチャですよね(笑)。〈RAW LIFE〉みたいなごちゃ混ぜのシーンが、その頃から普通にあった、ってことですよね?」
JOE「そう、普通にあった。スケーターの子はたくさんいたし、Bボーイもいた。でも、いわゆる渋谷のチーマーはいなかった。で、ミロスっていう空間が毎日ヒップホップとかブラックがかかるわけではなくて、火曜日だけ。あとは大貫(憲章)さん直系の、まあ辰緒さんも大貫さん直系のDJだから必ずロックがかかる。だから、たぶん東京のクラブのなかでも、SLITS*5なんかと同じぐらい、オールジャンルでおもしろかったんだと思う」
*5 下北沢にあったクラブ。
ブロンクス「辰緒さんはロックからヒップホップを経由してレアグルーヴにいって、その後はジャズですよね。まさにオール・ジャンル」
JOE「僕もこれは人から聞いた話なんだけど、DJ TASAKA君もミロスの火曜日に来てたらしいんだ。それは、いま新潟にいるサブマージのセキくんっていうまたおもしろい人がいて、やっぱりミロスの後ろのほうで洋服売ってて。ドメスティック・ブランドの、もう元祖? NIGOくんとか、高橋(ジョニオ)くんなんかよりも早かった、っていうような」
上野「すげえなあ」
JOE「で、たぶんNIGOくんは土曜日、(藤原)ヒロシくんのところで遊んでた。ムラジュン(村上淳)とかスケシンくん*6も。辰緒さんを語るのにミロスの話は抜けないし、周りの状況も抜けないと思うから」
*6 グラフィックデザイナー、スケートシング。
ブロンクス「裏原系のルーツっすね。そうだ、スパンク4って誰だったんですか?」
JOE「スパンク4っていうのはたぶん、辰緒さんと、マサミさんっていう人がいて……その時は金曜日のミロスでやってた人で、あと、スケシンくんがMCだったのかな? スケシンくんが、紙袋に穴開けて被ってラップをやってた写真を見たことはあるけど」
ブロンクス「早いなー。でも俺らと仲良くしてくれるのは裏原系じゃなくて、JOEさんとか、千葉さんとか、そっち系の先輩たちで(笑)。当時のフロアでの思い出とかありますか?」
JOE「とりあえず、決まりの曲っていうのがパブリック・エナミー“Bring The Noise”かビースティ・ボーイズ“Fight For Your Right”。みんなもう、スラムっていうか、暴れてるなかで、いまのMAD FOOT!の今井だけヴォーギングをしている、っていう光景があって(笑)」
上野&ブロンクス「あはははは(笑)」
JOE「きれいにやるのよ、あいつ。タッパもあるしスタイルもいいから。真ん中で」
ブロンクス「またそれ、マドンナの“Vogue”が流行ってたってだけですよね(笑)。ていうか、モッシュじゃなくてスラム、スラム・ダンスの時代だ。やっぱ〈ジャッジメント・ナイト〉のサントラって流行ったんですか?」
JOE「あれもやっぱり、辰緒さんめちゃめちゃ早くて、もう真っ先にかけてた。まあ、辰緒さんがやってることが〈ジャッジメント・ナイト〉よりも早かったんであって(笑)」
ブロンクス「実際そうですよね。あとオニクスのファーストを買った時に、解説でクボタタケシさんが、こいつらはパンクだ!って書いてて」
JOE「うんオニクスも、ものすごかったから(笑)。あのヴィデオ見たときには驚いたね!」
ブロンクス「あとロンナイ(ロンドン・ナイト)はいまだにハウス・オブ・ペインの“Jump Around”でみんな合唱ですよね」
JOE「伝統だもんねえ。同じジャンプでも、クリス・クロスのジャンプとはまた違う(笑)」
ブロンクス「それでみんなピョンピョン、ポゴ・ダンスとか、スラム・ダンスやってたりするんだから。だってVOLUME DEALERSの初期の音源ってLess Than TVですよね」
JOE「それで、たぶんクボタくんなんかが繋がってくるんだと思う。SLITS周辺だよね」
ブロンクス「そしたら上ちょも必然的に繋がってくるもんね、そろそろ(笑)」
上野「そうっすねえ、その次の次ぐらいの世代で(笑)」
JOE「あそこでたぶん、クボタくんとかキタちゃん(KZA)とかがDJやってたイヴェントがあって、そこで繋がっていったはずだよ。石黒*7も別にヒップホップの人じゃなかったから」
*7 デザイナー、石黒景太。元キミドリとしても知られる。
上野「スチャダラとかはどうだったんですか?」
JOE「別格。全っ然、別格でしょう。だって、その僕らがいちばん最初に人前でライヴやった時の、URASHIMAの〈CHECK YOUR MIC〉も、要はスチャダラがメインだもん。その前の時は代チョコでやったんだけど、もう酸欠状態。人も入り切らなくて、ライターの火も付かない。ちょうど、あの〈太陽にほえろ!〉で賞を受けた*8数か月後で」
*8 「太陽にほえろ!」のテーマ曲をトラックに使った“スチャダラパーのテーマ PT.1”。
ブロンクス「デビュー前からそんな人気だったんだ。たしかに〈スチャダラ30分〉とかのメンツ見てたら、岡崎京子からフリッパーズ(・ギター)まで、そのときの尖ってる業界くん大集合ですよ」
JOE「そう。全員いるの。だからあそこは別格で、そこに憧れて〈いいなぁ〉って思うやつと、〈ケッ〉って思う側が当然いる、と」
上野「そうですね。確かに」
ブロンクス「でも派閥は違っても当時の人ってみんなディガーですよね。この〈THE SELECTION OF THE DICTIONARY〉に載ってる92年ぐらいの時点で、ひと月10万から20万レコードに使ってる、って書いてあるんだけど、今年出た本(〈そのレコード、オレが買う! ~レコード番長のガチンコ買い物日記~〉)に、本格的にレコードを買い出したのはDOC. HOLIDAYやめてからだって書いてあって(笑)」
JOE「たぶん、DOC. HOLIDAYの時はヒップホップの新譜を買うのがメインだったんじゃないのかな。それでもすごいレコード持ってたけど」