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第21回 ─ 碧の片面太鼓

連載
Mood Indigo──青柳拓次が紡ぐ言葉、そして……
公開
2007/08/09   18:00
ソース
『bounce』 289号(2007/7/25)
テキスト
文/青柳 拓次

 十日ほどまえ、犬の杏仁を連れて裏山の公園をゆらり歩いていた。左手はリードを、右手は「野の花」という図鑑をもって。

 見つけたのは、カタバミ、シロツメクサ、ヒメジョオン、カントウタンポポ、びっくり美しいネジバナ、キカラスウリの白髪だらけの花。

 シロツメクサは、江戸時代にヨーロッパからやってきたガラス器に詰めモノとして入っていたことから日本全国に広まった。ヒメジョオンもキンポウゲも外国からやってきた種だ。

 日本らしいと思っていた野の景色が「世界の植物が一緒に暮らす場」と知ったのはついこのあいだ。

 動物も植物も人間も楽器も、移動し流れてゆく。そしてそこには原点が必ずある。などと思っているうちに「遠くの植物に会いに行きたい」という心持ちになっていった。

 ある特定の森林でしか咲かない花。この島にしか生息しない木。今も原始世界を彷彿させるカタチ、ニオイ。

 ハンドドラムという片面の太鼓。太古の昔に生まれた楽器というものの最初のカタチ。世界中で同時多発的に作られたというはなしがある。

 いつの時代も、常に太鼓と一緒だったのは歌声だった。太鼓と歌声という形式を、世界中の人々はどうして必要としてきたのだろう。

 どんなに音楽の構造が複雑もしくは単純になっても、人々が集まって踊り、日常を忘れて浸かるのはビートの効いた音楽だ。

 ただ、数値的に一定なビートの短い繰り返しを聴いていると、いくら最初にいいな……と思っても、身体が少しずつ硬くなっていってしまう。それがもし手弾きで演奏されたビートであれば、きっと身体を芯からほぐしてくれるだろう。

いまデンマークにいる。ヨーロッパ最大級の音楽フェスティバル「ロスキレ・フェスティバル」の会場を歩いていると、セイヨウタンポポやアザミをみつけた。

 ホテルに戻り、宮沢賢治の童話集から「鹿踊りのはじまり」「やまなし」を読みながら、日本の音楽的な野原を思い返している。

PROFILE

青柳拓次

サウンド、ヴィジュアル、テキストを使い、世界中で制作を行うアート・アクティヴィスト。LITTLE CREATURESやDouble Famousに参加する他、KAMA AINAとしても活動中。KAMA AINA名義で参加した『PENGUIN CAFE ORCHESTRA -tribute-』が8月8日にリリースされる。