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第20回 ─ 栄光のアトランティック(その1)

第20回 ─ 栄光のアトランティック(その1)(2)

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2007/03/01   18:00
更新
2007/03/01   18:04
ソース
『bounce』 284号(2007/2/25)
テキスト
文/林 剛

黄金時代のスタッフたち

 そう、アトランティックが産声を上げたのはいまから60年前。駐米トルコ大使の息子であったアーメット・アーティガンが、NY出身のハーブ・エイブラムソン(99年死去)と47年に設立したレーベルである。そもそもアーメットと兄のネスヒ(89年死去)は白人でありながら無類の黒人音楽好きで、家庭環境に恵まれていたせいもあってか、ジャズのSP盤を1万5千枚以上も所有するほどだったという。また、人種差別の激しい時代にもかかわらず黒人ミュージシャンたちと親交を深め、ワシントンDCのトルコ大使館内ではジャズ・コンサートを開いていたそうだ。ちなみにハーブ・エイブラムソンも大のジャズ好き。こうして、黒人音楽に理解を示す急進的な経営者たちによって、アトランティックはNYのインディー・レーベルとしてスタートした。このことは彼自身の名著「アトランティック・レコード物語」にも詳しい。

 レーベル設立後のアーメットは〈黒い音楽〉を追求するため、新人発掘を兼ねてハーレムに通い続けたという。そして50年代を迎える頃にはレーベル初の女性シンガーとされるルース・ブラウン、ジョー・ターナーらを抱え、52年にはレイ・チャールズを獲得。翌53年にはハーブが陸軍召集で経営から一時離脱するが、そこで経営陣に加わったのが、これまたジャズ好きのジェリー・ウェクスラーだった。「ビルボード」誌の記者だったユダヤ系青年のウェクスラーは、黒人音楽を指す差別的な呼称〈レイス・レコード〉を〈リズム&ブルース〉に変えた人物で、アトランティック入社後はアーメットの片腕としてクライド・マクファーターやラヴァーン・ベイカーといったスターを育てていく。後に伝説のエンジニアとして名を馳せるトム・ダウド(2002年死去)も、この頃からアトランティックに常駐するようになった。

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