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第11回 ─ 菊地成孔が振り返るチアー&ジャッジの1年2ヶ月

連載
菊地成孔のチアー&ジャッジ ―― 全ブロガー 参加型・批評実験ショー
公開
2007/02/22   13:00
更新
2007/02/22   20:53
テキスト
文/ヤング係長

06年末をもって最終回を迎えた〈菊地成孔のチアー&ジャッジ~全ブロガー参加型・批評実験ショー〉。菊地成孔が1つの楽曲に対し、〈大絶賛〉と〈酷評〉の2つの立場からまったくことなるレビューを書き、「その2つのどちらが優れているのか?」を読者の皆さんのトラックバックによって決める。という、ブロガー参加が前提の実験連載でした。今回は番外編として、菊地氏に本連載を振り返っていただきます。

――お久しぶりです。本日は、「チアー&ジャッジ」の総括をさせていただこうと思います。全体的に見て、この連載は滞ってばかりでしたよね(笑)。特に印象に残っている回はありましたか?

菊地 全部で7曲しかやってないからはっきり全部覚えてる(笑)。この連載は毎回生みの苦しみがあったんだ。「CDは株券ではない」があまりにもサクサク書けたから、もっと書き応えのある連載にしたかったんだけれど、書き応えがありすぎた(笑)。面白かったけれど大変だったね。

――あまりにも進まないということで、06年の5月に、4.5回というのを設けて、一度リニューアルをしたんですよね。チアー&ジャッジの回と、トラックバックにレスポンスをする回に分けました。

菊地 途中からトラックバックへのレスポンスを問答形式にしたんだよね。あと、06年の2月からUA×菊地成孔『CURE JAZZ』と、「パビリオン山椒魚」のサントラの製作に入ってしまった。チアー&ジャッジしている場合じゃなかったんだ(笑)。本当のことを言えば、途中まで言っていることが同じで、それ以降チアーとジャッジに分かれるという、最初にやっていた形でずっと進めたかったんだけれどね。

――進行状況はこういった具合でしたが、内容に関しては振り返ってみてどう思われますか?

菊地 もっと口汚く罵って、もっとはしたなく絶賛する。要するに、褒めるのもけなすのもエゲツなくやったほうが読む人にとって面白かったのかもしれないね。ジェントルに書くと、投票するもなにも内容が似たものになってしまうから。俺よりももっとあくどい人が、炎上ゲームだと割り切って、どぎつくこき下ろして、一方で萌え萌えに褒めるっていうやり方のほうが盛り上がったのかもしれない。でも、そうなると2ちゃんねるを見ているのと同じになっちゃうからな(笑)。

――真面目に評論すると、チアーとジャッジの内容が似たものになってしまうということは、最終回でも書かれていました。

菊地 うん。誠実に批評すればするほど、褒めているのかけなしているのかわからなくなってしまう。大激賞の批評とこきおろしの批評はどちらにしてもある意味バランスを欠いているものであって、一人でどっちもやるというのは、知的になりすぎる。悪い意味で。ゲームとしてはバランスを欠いているもののほうが面白かったろうね。

――しかし、短い連載でしたよね。

菊地 期間としては、1年2ヶ月やってるんだけどね(笑)。「CDは株券ではない」の時には、年間30枚以上J-POPを聴いていたからシーンがどうなっているのか把握できたし、状況をまじめに考えたけれど、今は急速にわからなくなった。「チアー&ジャッジ」っていうのは、ブログが増えてきて、一億総批評家になってきた状況に乗っかって行こうとしたんだけど、でも、ブログというメディアは、誠実にちゃんと書くことよりも書き飛ばす性質のほうが強かったのかも。俺の方もモチベーション崩して、つい脱力の方向に行っちゃったのが敗因かなと。

――みんながみんなブログで論じることを求めているわけではなかったんですね。

菊地 どっちかつうと感情を吐き出すメディアだよね。そこに対して、テーマがハードコアだったかなと思う。連載2回目が、山下達郎さんの“白いアンブレラ/ラッキー・ガールに花束を”だったんだけれど、この回が「チアー&ジャッジ」もトラックバックも一番充実していた。山下達郎という人が、パソコンで本格的に作りはじめた作品で、曲自体に自分の伝説破壊みたいなところがあった。ポップス・マニアでブログに評論を書くのが好きな人と題材がフィットしたんだよね。倖田來未のときは、倖田來未のことを本当に好きな人は一人もいなかったと思う(笑)。やっぱり、山下達郎のいい意味でのオタク性が、ブロガーのオタク度とリンクして上手くマッチしたんだよね。この回が一番美しかったんじゃないかな。山下達郎的な人に絞ってガンガンやっていけばよかったのかもしれないよね。

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