世界中のオモロ音楽をご紹介するこの連載。今月は、アフリカ音楽の〈もうひとつの顔〉にズームイン。ナヴィゲーターはセネガルの若獅子、ダーラJです!
この夏は例年にも増して多くのアーティストがアフリカから来日し、素晴らしいライヴを繰り広げました。日本の地を踏んだのはユッスー・ンドゥール、モリ・カンテ、フェミ・クティ&ポジティヴ・フォース、トニー・アレンら。なかでも渋さ知らズらともステージをシェアしたコノノNo.1(写真)のハチャメチャなライヴは、幅広いリスナーに衝撃を与えた模様。また9月にはセネガルのラップ・グループ、ダーラJが来日。活況が伝えられるかの地のヒップホップ・シーンの真髄を見せてくれました。ここではそのダーラJにインタヴューを決行し、アフリカ音楽のニュー・フロンティアを探ってみましょう。
(編集部)
ダーラJが切り拓くアフリカ音楽の未来
アフリカ大陸は広い。ムチャクチャに広い。なにせ8億人以上の人々が住み、48の国々がひしめき合い、数限りない民族がそこに暮らしているのだ。それゆえに〈アフリカ音楽〉と一言で言っても多種多様な音楽が混在しており、習慣や宗教などでこの大陸をひとつに括ることができないように、音楽的にもひとつのスタイルで象徴することができないのである。
80年代半ばあたりから、アフリカの一部の国にも欧米のポップスやヒップホップなどが徐々に入ってくるようになった。初の日本公演を行い、2003年作『Boomerang』がヨーロッパ各国で大ブレイクしたラップ・グループ、ダーラJの出身国であるセネガルもそうした国のひとつだ。メンバーのアラージ・マンはこう話す。
「アメリカからヒップホップがドッと入ってきて、89年以降にはムーヴメントとして一気に大きくなっていったんだ。ラップがTVで大きく取り上げられることは当初なかったから、最初はクラブで地味にやってたんだけど、今は僕らがスタジアムでできるぐらいになった。セネガルだけでなく、アフリカ各地でラップが広まってるんだよ」(アラージ・マン)。
そのアラージ・マンとファーダ・フレディ、ンダンゴで構成されるダーラJ。70年代半ばにダカールで生まれた彼らは、幼少期にヒップホップやダンスホールに衝撃を受けて音楽の道を志した世代にあたる。
「映画〈ブレイクダンス〉(84年のヒップホップ・ムーヴィー)に出ていたターボに惹かれてね、僕も当時ブレイクダンスをやってたよ。もともとはみんなアメリカの真似をしてたんだけど、アフリカにもブレイクダンスに通じるダンスがあるからね。それぞれのオリジナリティーをそこに加えるようになっていったんだ」(ファーダ・フレディ)。
影響を受けたラッパーを問うとアフリカ・バンバータ、ラスト・ポエッツ、KRS・ワン、トライブ・コールド・クエストの名を挙げ、ダンスホール・レゲエではシャバ・ランクス、ブジュ・バントン、カッティ・ランクス、ニンジャマン、ココ・ティーなどを列挙する彼ら。ファーダ・フレディは「セネガル人は本当に好奇心旺盛だからね。自分たちの文化はもちろん大切にしてるけど、ちょっとでも興味を持ったら試したくなるんだ」と話すが、セネガルがフランスから独立した60年以降に生まれた世代ならではの自由な音楽への接し方がそこにはある。
先述した日本公演は、DJを従えた3人がラップ/トースティングをしまくるもので、ある時はワイクリフ・ジョン経由でボブ・マーリーの影が、ある時はT.O.K.の影が散らつくものだった。確かに彼らのサウンドは、一般的にイメージされる〈アフリカ性〉が薄い。だが、例え民族楽器を多用せずとも自身のルーツを大切にし(彼らは自国の言語、ウォロフ語でラップする)、「伝えたいのは〈Love & Unity〉」(ファーダ・フレディ)と笑顔で話す彼らの世界観からは、新しいアフリカ音楽の形がぼんやりと見えてくるような気がするのだ。なお、彼らは来年初頭に新作を発表予定。注目です。