NEWS & COLUMN ニュース/記事

第101回 ─ 燃える名古屋のハードコア・ヒップホップ界を“E”qualとAKIRAが語る!!

連載
360°
公開
2006/10/12   23:00
ソース
『bounce』 280号(2006/9/25)
テキスト
文/一ノ木 裕之

 名古屋におけるヒップホップ・シーンの過去と現在を知るM.O.S.A.D.の“E”qualとAKIRA。それぞれソロ・アルバムをリリースする彼らが見てきた(そしていま見る)名古屋のヒップホップ・シーンとは?

――まずは、各々の新作について。

AKIRA「ホント自己紹介的な感じで、とりあえず自分の好きな音楽をやりたいようにやった。出来上がりは自分なりに95%ぐらいですかね。軽く力抜いちゃったんで(笑)。タイトルもそのまんまなんですけど、私生活も汲み取ってもらえば」

“E”qual「音数を少なくして間を活かした。派手に盛り上げるのもそれはそれでアリだけど、そこまで派手じゃなくてもめっちゃ気持ち良く乗れたりするヒップホップがあるじゃないですか。そういう次のステップにチャレンジしたアルバムです」

――2人がラップを始めたのは13~14年前だそうですが、当時の状況は?

A「BEATKICKS(刃頭とTWIGY)と、俺の兄貴(DJ OLEE LOU)がPH FRON(後のMICROPHONE PAGERのメンバー)とやってたNEXT LEVEL以外は、ほとんどいなかったような……」

“E”「DJの先輩はいたけど、ラッパーの先輩はあんまいなかった」

――Mr.OZ(PHOBIA OF THUG)さんがイヴェント〈Murder They Fall〉を開始したのが98年。で、M.O.S.A.D.の動きも含めてシーンがまとまりはじめたのもその頃ぐらいからだと思いますが、当時からいま現在のシーンの活況を想像していましたか?

A「いや、先のことは考えてなかったし、とりあえずいまを一所懸命やれば結果は後からついてくる、って感じでずっとやってきたから」

“E”「若い奴らに〈CD出したい〉って気持ちがあったからこういう形になったと思うし、僕らはホントにちょっとしたことで手を差し伸べただけ。僕らが遠回りしたぶん、M.O.S.A.D.をやってわかったノウハウを若い奴らに広めたぐらいで、そっからは自分らでがんばらないとなんにもならないッスから、こればっかりは。あと最近で言えば、大きいのがBIGG MACが出来たこと」

A「BIGG MACができていろいろスムーズになったし、ポンポン(作品を)出せる状況になったよね。BIGG MACはスタジオも安いし立地も良いし、ホントやりやすい」

――現場レヴェルではどうですか? お客さんの感じとか……。

“E”「変わったんじゃない? 前は毎回音が止まってたじゃん。クラブでケンカが起きたり、DJとかも殴られて〈終わりー〉みたいなのが日常茶飯事だったから(笑)」

――演る側の環境の変化はどうですか?

A「方向性やジャンルが違うとあまり交わらないけど、アーティスト同士は相変わらず仲が良いし、いまはそれぞれが盛り上がっててイイ感じになってる」

――最後に、今後の名古屋に望むことは?

“E”「裏方の人間と、(現場に)もう少し女の子のお客さんが増えてほしい。女の子が好きとかどうこうの前に、女の子が現場に増えるとパーティーが華やかになるし雰囲気も明るくなるから。あとは俺らがやっている音楽や、パーティーでかける音楽が名古屋のスタンダードになってほしいな」

記事ナビ