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第96回 ─ シド・バレットの美しき歌の数々は永遠に輝き続ける

連載
360°
公開
2006/08/31   21:00
ソース
『bounce』 279号(2006/8/25)
テキスト
文/君塚 エージ


〈異能の人〉が星になった。初期ピンク・フロイドの顔であったシド・バレットが、7月7日、イギリスはケンブリッジの自宅で60年の生涯を閉じた。彼を語るときに用いられるのが〈狂人〉〈孤独な天才〉といったフレーズだ。

 60年代後半に“See Emily Play”など、ポップ・ミュージックの常識を打ち破る妖しげな名曲の数々を残しながら、度重なるツアーによる疲労とドラッグの過剰摂取により失踪、そして数々の奇行の末にグループを脱退してしまう彼を表すのに、そんな表現は間違いのないものだろう。しかし、シドの存在の大きさは、破滅へと突き進むような伝説的なエピソードばかりからくるものではない。ピート・タウンゼンドやエリック・クラプトンは、チューニングを故意にずらしたり、郵便局のメッセージ録音装置を改良してギターのエコーを生み出したりする彼の独創性溢れる演奏手法に魅せられ、連れ立ってライヴに足を運んだという。シドにプロデュースを依頼しようとしたセックス・ピストルズも、彼の斬新な音作りを自分たちの音楽に反映したいと考えたのだろう。従来のロックやブルースをルーツとしながらもギター・サウンドの新しい可能性を追求した点では、マイ・ブラディ・ヴァレンタインやブラーへの強い影響も見られる。ロックの革新者たらんとする実験精神。それをとことんまで突き詰めようとした彼の姿勢とそれを果たしきれなかった無念さが、きっと数多くの人々の心を揺さぶり続けてきたのだろう。彼の常軌を逸した行動は、フロイドのメンバーや周囲の人々に多くの苦労を強いたが、その音楽的遺産は後のポップ・シーンに多くの恵みを与えてきたのだ。故郷のケンブリッジで好きな絵を描きながら家族と平穏に暮らしていた晩年のシドは、そのことを知っていたのだろうか。何かに怯え、怒っているかのような神経質な眼差し、美しい顔の裏に潜む脆さと深い孤独……。そんな彼のすべてが映し出された声や音楽は、いまも僕の頭の中で鳴り止まない。いま、本当の星空でドライヴを楽しんでいるであろう彼の笑顔を思い浮かべながら、冥福を祈りたい。


シド・バレットの伝記「Crazy Diamond/Syd Barrett」(水声社)

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