人は聞きたいように話を聞く。
映画を観ている間はいつも、ストーリーや登場人物の名前が記憶の湖に溶け出してしまう。そして映画が終わると、ある感情が残る。細かいディテールは、あまり思い出せない。ミヒャエル・エンデは、その溶けた記憶が、人の創造的な発想の源になると言う。
今年の最初に観た作品について、わたしの映画感想ノートにはこう書き付けてあった。
2006年1月4日/「笛吹川」木下恵介監督/1960年松竹
白黒の銀幕をカンバスに、青、緑、赤、黄色の塗料が半透明で塗られている。ときに部分、あるいは全体に、キビしく美しい構図の上。小さなベルの音がシーンを跨いで鳴り響き、逆回転サウンドが、後にあらわれる一つの台詞へと耳をフォーカスさせる。じつに荒く容赦ない戦国の世に、百姓一家が崩壊してゆく。
わたしの無邪気な昔の世へのあこがれを、この映画はゆるしてくれない。
他にも、ボリビアのウカマウ集団が制作した映画「最後の庭の息子たち」や、ドイツ映画「らくだの涙」について書いてある。ウカマウの映画からは〈正しい対話が成立しない時、暴力が生まれる〉という言葉を拾い、「らくだの涙」からは、らくだの親子関係を修復する音楽があるという事を感動と共に教えてもらっている。
人は聞きたいように話を聞く。
わたしは、ずっと好きなように銀幕に映された話を眺めてきた。フェリーニ、ビクトル・エリセ、小津、メカス、キアロスタミ、アキ・カウリスマキ……彼ら巨匠の話を好んで。
河井寛次郎は「売るという事が始まってからの物の乱れ、わかりもしない人の好みを相手に作る事からの物の乱れ」を嘆いた。そして「表現されるぎりぎりの自分が、同時に、他人のものになるというのが自分の信念です」と話した。映画の巨匠達は、この天才陶芸家の話をどう聞くのだろう。
PROFILE
青柳拓次
サウンド、ヴィジュアル、テキストを使い、世界各地で制作を行うアート・アクティヴィスト。LITTLE CREATURESやDouble Famousの一員としての他、Kama Ainaとしても活動中。5月24日にはビル・ウェルズらも参加したKama Ainaのニュー・アルバム『CLUB KAMA AINA』をリリース。