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第4回 ─ 柴咲コウ “影”をチアー&ジャッジ

第4回 ─ 柴咲コウ “影”をチアー&ジャッジ(2)

連載
菊地成孔のチアー&ジャッジ ―― 全ブロガー 参加型・批評実験ショー
公開
2006/02/23   19:00
更新
2006/02/23   21:59

柴咲コウ “影”のチアー&ジャッジ・タイム

チアー菊地(以下「チ」)「ワタクシは柴咲コウさんの“影”を支持します」

ジャッジ菊地(以下「ジ」)「ワタクシは柴咲コウさんの“影”を不支持します」

「正々堂々と行きましょう」

「はい。正々堂々と紳士的に行きます」

「あのう、丁寧な口調はキーパンチしていて疲れるし、読みづらいという投書が多いので、くだけた口調でいきませんか?」

「いいじょ~ん。敬称も略でいっちゃうにょよ~ん」

「そこまでくだけなくていいけどまあいいか。ではさっそく柴咲コウですけど、俺は素晴らしいと思うんだよね。綺麗だし品格があります。今時、文句付けようが無く綺麗。っていうのは実は思ったよりも希少価値なんだよね。それに〈女優が役柄の名義でシングル出して売れる〉っていうケースの先駆者ですよ。〈NANA〉を導引したわけじゃん」

「いや。三上博史が先だよ。なんかロックンローラーみたいなさ」

「そんな昔は関係ないよ! あれは色物寸前の企画モノで、むしろトラジ・ハイジの“ファンタスティポ”や、修二と彰 の“青春アミーゴ”を導引した、要するに男子企画モノでしょう。柴咲コウはお笑いじゃないし、もっと独特で素晴らしいですよ」

「独特であることは認めるけど、どう素晴らしいの? 俺にはこの人さ、要するに〈なんか、柴咲コウが出てそうなんだけど、出てない映画〉の主題歌ばっか歌ってる気がするんだけど」

「あのね、昔はさ、女優が歌うっていうのは、自分の主演映画の主題歌と決まっていたわけよ。要するに相互的なタイアップね」

「そんなの知ってますよ。中森明菜のすげえの観てるんだ。こっちは」

「もっと関係ないよ!(笑) 柴咲コウは正当派の美人女優であることと、独立したアーティスト/シンガーであることを、タイアップなく両立させた唯一の人なんですよ。吉永小百合だの薬師丸ひろ子だの言わないけど、90年代以降で、中山美穂にも山崎まさよしにも出来なかった偉業ですよ。自分が出てない映画やテレビの主題歌をヒットさせ、自分が出る映画もヒットするんだから」

「そら唯一だと思うけど、唯一性がノー・チェックでみな素晴らしいとは言えないでしょう」

「どこが気にくわないわけ? 〈自分の好みじゃない〉っていうのは、ここではジャッジの根拠には出来ないのよ」

「いやあ、それこそその〈偉業〉が、素直に素晴らしいと思えないのよね。な~んか奇妙な感じしかしないってかさあ。独自のステイタスのキープって言うか、ぶっちゃけ邦画バブルにリンクした〈今は映画の方がテレビドラマより上〉っていう〈格の再編成作業〉に、姿の見えない巫女みたいな感じで君臨してるように思えるんだけど」

「うーん」

「シンガーよりも女優よりも、そのステイタス・キープの仕事が忙しいように見えちゃうんだけど。独自の立場。っていうのはホラ、独自なだけに、忙しくなっちゃうじゃない。そのことだけにさ。もったいない感じがするんですよ。そんな独自の偉業なんてどうでも良いから、女優業とアーティスト業を普通に全うしたら、もっと良い物が出来るんじゃないかと思うわけよ。っていうか、副業とは決して言わせないアーティスト業の方に〈本当はどれぐらいやる気があるのか?〉疑わしい感じがしちゃうんですよ。楽曲評価の前段階の話になりますけどね。アティテュードの話は無視できない」

「わかった。じゃあ、ここでは限定的に音楽だけを扱いましょうよ。僕はこれ名曲だと思います。転調が多くて難しいんだけど……冒頭のメロディーなんて同主長短調を1小節ごとに往復するんだからJ-POPの水準越えてるわけですが……そういうアクロバティックな難易度がフォークロア的な情緒を過不足無く醸し出していて、ドラマチックなアレンジと非常に上手く結びついてます。彼女の崇高で影のあるイメージにもフィットして、こんなにもタレント・イメージにジャストなチューンなのに臆せず堂々とした仕上がりになっているのは高い実力と自信によるものでしょう」

「それは認めるけど、結局印象はファイナル・ファンタジーっぽいっていうか、今や〈壮大でドラマティック〉ってのは、ロールプレイング・ゲームの風景を指すようになっちゃってる。という事ばかりを痛感しますよ。手間かけて手間かけて〈ゲームみたいね〉っていう。現代音楽の作曲法を大学で習って、来た仕事が怪奇映画の怖いBGMとかいうのと同じですよ」

「それ実際に番組観ながら聴いた感想?」

「違いますよ。さっき〈限定的に音楽だけを扱おう〉って言ったじゃない」

「限定的にこの楽曲だけを扱おう。って事ですよ。ドラマ「白夜行」観てコレが流れてきたらファイナル・ファンタジー感がどうこうなんて言ってらんないですよ。すんげー盛り上がるんだから!」

「それは認めるけど(笑)」

「何かの感じがしちゃう。っていう問題は、この曲に限った事じゃないでしょう。アルゼンチン・タンゴ聴くと〈火曜サスペンス〉に聴こえたり、スイング・ジャズを聴くと〈戦後焼け跡復興物語〉に聴こえたりする事は、あんまり良い事とは言えないけど、楽曲単体の否定根拠にするのは怠惰すぎると思うなあ。〈コレって、アレっぽくね?〉は禁止にしましょうよ。そんなのは〈興味ないけど悪く言いたい〉ってだけの、ダレまくりな態度ですよ」

「わかったわかった。じゃあ作詞の話して良い? 彼女は作詞もしてる。って事が、〈女優のバイトじゃない、アーティストなんだ〉って事の根拠になってるんでしょう?」

「まあそれだけじゃないけど」

「椎名林檎かUAかハッキリしろって言いたいですよ(笑)」

「そんなもんアルバムの楽曲タイトル一覧観て言ってるだけじゃない(笑)。ファイナル・ファンタジーの話と何も変わんない(笑)」

「オリジナリティーないですよ。中谷美紀を見習うべきよ。濃いめ、男顔の美女が歌手をやるモデルケースとして」

「女優が出すアルバムならではの微妙な良さですよ。その時に実力有る女性アーティストの複合的な模倣になるのは」

「それだと過去の〈女優さんのアルバム〉の例と同じになっちゃうんじゃないの?」

「そこは脱線が過ぎるからおいといて、このシングルは強力だと言いたいわけです」

「そうかな? 歌詞を見て下さい」

「はいはい」

〈「僕は今どこにいるのだろう」/そんな立ち位置など/たいして興味はない〉 これ、〈立ち位置〉っておかしくねえか? 使い方」

「斬新かつアーティスティックだと思うね」

「そうかな~。〈立ち位置〉って、今の日本語の現状だと〈芸能界(等、○○界全般)でのスタンス〉っていう意味じゃない? 元々は、舞台の上でどこに立つか?っていう舞台用語だけどさ。脇甘くない?ファンじゃなかったら笑っちゃうと思うんだけど」

「そうだよ。でも、そういうのを変革/拡張するのが歌詞の力じゃない」

「いや不自然だって。っていうか、この出だしの3行は、自分の内なる不安に対する補償だと思います!」

「けっこう面白いけど(笑)、精神分析学用語はナシにします(笑)」

「そこだけじゃないんだよ。まず〈ah〉の英語ぶりがハンパだ。ここは〈嗚呼〉か〈ああ〉で良いんじゃない? それと 〈僕の 残るわずかな強さ〉 は、てにをはがおかしい絶対!」

「てにをはチェックしたらJ-POP界自体が成立しないよ!」

「文法が間違ってるからダメだなんて、ガッコのセンセーみたいな事いってんじゃないよ!間違うにしても良い感じか悪い感じか言ってるの!」

「良い感じだと思いますね。ハッキリと」

「この人、〈連れ人〉とか〈偽日〉とか〈念をこぼす〉とか、それらしい造語が多いけど、いちいち薄っぺらい感じがする。崇高〈風〉なだけで。つまり、調子に乗ってるか、無理矢理やってるかですよ。何にしてもクールじゃないよ。この巫女風のキャラは!」

「そっくりそのままチアーの理由だね(笑)」

「そんなの逆の意味でダレまくりの態度ですよ。何でもオッケ~っていうのはさ(笑)」

「何でもオッケ~。だなんて言ってないよ!こういう顔の、こういう感じの人は自他共に〈巫女風〉に行っちゃって、ちょっと辛くなって、その反動で〈お馬鹿。可愛い系〉に逃げ出そうとして、上手く行かずにまた戻って……っていうのを揺れ動く物なのよ! この人のディスコグラフィー見て見ろ! ポイントは目がでかいこと!」

「いきなり凄いこと言うなあ(笑)」

「椎名林檎がブレずに上手くやってるのも目が小さいからです」

「口から出任せじゃない(笑)。目が小さい巫女。のイメージだってあるじゃないか」

「それは和風限定じゃない。魔女の系譜があるんだよ。デカい目は」

「じゃあどっちだって良いんじゃない(笑)」

「まあ、目のデカさはともかくとして(笑)、巫女か子猫ちゃんかを行ったり来たりする迷走を楽しめないなら、女性アーティスト聴くのなんて止めた方が良いですよ」

「じゃあさ、この二番の出だしはどうなの? 明らかに音程を修正してるよね?」

「勿論」

「歌唱力。という強さについてもハンパな気がするんだけど。それもオッケーなわけ?」

「勿論」

「別に、歌唱力がないとアーティストとは言えない。なんて言わないよ。だけど、この人の場合、女優のバイトじゃないんだ。っていう根拠の中でも、かなり大きい物になっちゃってると思うの。歌が上手いんだ。って事がさ。なのに歌が剥き身の部分に修正が見えるっていうのは、グラグラしちゃうんだよね」

「しつこいようだけど、そのままチアーの理由だよ」

「それってさあ女性蔑視なんじゃないの?」

「まさか。男性にも男性独特の迷走や蒙昧があるじゃない。長くなるから割愛しますが」

「じゃあ、この曲に至る柴咲コウが、圧倒的な強度なんかじゃなく、揺れ動いて弱い感じがする。っていう事は認めるわけ?」

「勿論。柴咲コウが見せる弱さや危なっかしさ。つうのは価値が10倍付けなわけよ。ある意味、宇多田、浜崎直系と言っても良いです。カリスマ性というのは、完璧さだけに宿るものじゃないでしょう今時」

「論旨には一抹の説得力あるけどね、生理的にまったく納得できない。この曲は売れると思うけど、ほとんどの人が弱さなんて読みとらないと思うからね。崇拝され、独特の〈立ち位置〉を盤石にするだけだと思いますが。女優のアルバムってのは、演技者であることが本業だという性質も相まって、音楽が好きでやってるのかどうかがクッキリ出る商品でしょう? 柴咲コウからは、カリスマなのか普通の女の子なのか……っていうより、歌手としてのアテテュードをハッキリして欲しい感が抜けないままに売れまくってしまって、それが信用手形に成っちゃってる感じがするんですよ。この楽曲は、ドラマ側のイメージ要求もあるだろうけど、この人のそういう〈売れ逃げ〉の上に出来上がった〈崇高感〉が抜けないの。さっき指摘した、歌詞や音程修正から」

「ドラマ見て欲しくなって買った人にとってはそんな事はどうでも良いと思うけど、ある程度知ってる人には了解されてると思いますね。この人、結構グラグラなわけよ。見た目よりも若いしね。アンチエイジングやロリータ称揚の逆だ。投げかけている物は重要ですよ。この人の」

「でしょう?」

「〈強く見える/見えすぎてしまう。というリスク〉の処理に関して、結構おざなりにやってる結果だと思いますね。テレビにしか出ない人、もしくは音楽しかやらない人、もしくは映画女優のみの人。には無い〈盲点のような、奇妙な緩さ〉が彼女にはあって、そこが許せないわけ(笑)。許せないのサイコー(笑)」

「まったくこっちと論旨おなじじゃん。。許せないのサイテー(笑)」

「論旨は同じじゃないですよ。彼女の揺らぎはリスナーに共有されているし、重要です」

「彼女の揺らぎはリスナーに隠蔽されているし、重要です」

「単なる裏表になっちゃった(笑)。この楽曲に特化しようよ~」

「歌声がさほど魅力的に思えないし、“影”というタイトルがベタすぎる」

「一曲前までだったら可愛い路線が失敗しただけで面白みに欠けたけど、この曲で揺り戻しがあって嬉しくなった」

(時間切れです)

「えー!!まあいいや。評価を待とう」

「そうしようそうしよう」