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第4回 ─ 徳川家の末裔の次松です

連載
踏 切 次 第
公開
2006/02/16   21:00
ソース
『bounce』 272号(2005/12/25)
テキスト
文/次松 大助

次松大助が見つめる、とある町の日常──

 秋が好き、冬が好き、と言う人は真剣に頭がおかしいんじゃないかと去年まで思っていたのですが、今年になって、はぁなるほど、秋や冬のこういうところが好きなんだろうなぁとようやく相容れ始めました。とはいえ〈寒い〉という感覚はやはり不愉快です。動きが鈍くなるし、やる気が出ないし、肩が凝るしで、結果、無性に悲しくなるのです。そこへきて冬はお酒がおいしいので〈悲しい酒ゴッコ〉が大いに盛り上がり、飲み継いでは自分に絡み、翌朝、トイレで泣きながら反省会をするのです。しかし、そうやって考えてみれば、それはそれで冬も楽しいものかもしれません。

 そんな訳で冬は家に居る時間が増え、テレビを見ることも多いんですが、ふと気になったのが、ドラマ「大奥」の話。徳川二代目の将軍秀忠によって1618年に発令された〈大奥法度〉によって、公認のハーレム・システムを代々築いてきた徳川家ですが、仕えた女性の数は、将軍一人に対し500~1,000人といいます。なかでも将軍に寵愛を受けた女性は、将軍が亡くなった後も建物の中でひたすらに冥福を祈る日々を過ごしたそうです。ただ、実際には御目見(旗本や御家人の娘)以外の、町娘や身分の高くない人にとっては花嫁修業や女としての〈箔〉をつけるためだったそうで、奉公した女性は大奥を一種のステータスとして、縁談が殺到したという話です。

 とはいえ、とはいえ。国家予算の数割を費やして養う大奥1,000人のうちで、もし2割にあたる200人が子を遺していたら、それらの子が25歳になるまでに平均2人ずつ子供を作っていたら。単純計算で250年後には将軍の子孫は20万人に増えます。さらに、それが歴代の将軍に当てはまるなら、というのは少し単純すぎますが、間違いないのは、徳川家の血を引いている者が日本で一番多い、ということです。もし大奥のうち50人しか子供を産んでいないとしても、その時代にそんなに子を作った人は他にいない筈なので、やはり日本で一番多いのは徳川家の子孫です。故に、徳川家の末裔の次松です。というのも案外有り得る話かもしれません。ちなみに次松という名字の由来を独自に調べたら、次松というのは〈接松(つぎまつ)〉で、接のある松、つまり〈つくし〉のことで、古くは利尿剤に用いられたそうです。

 冬が苦手で春が好きなのも、妙におしっこに興味があるのも、つくし並みなのも、そういう理由だったんですね。

次松大助
99年に大阪で結成されたオリジナル・スカ・バンド、The Miceteethのヴォーカリスト。2006年1月からは岡山Renaiss Hallを皮切りに5都市を回る〈tentosenPARTY 06〉を行う予定。寒い冬を彼らのサウンドで乗り切ってみては? 詳細は〈www.miceteeth.net〉でチェック!

今月のBGM

OLIVER MESSAIAEN
『Turangalila Symphony』

RCA
小澤征爾の指揮による、メシアンのトゥーランガリラ交響曲。初めてオーケストラに電子楽器を導入した曲で、オンドマルトノとかいうノコギリに似た音色の楽器がクールです。確か100以上の楽器が出てきます。冬に是非。