パンク生誕30周年ともいわれる2006年を前にその歴史を振り返る動きが盛り上がるなか、タワレコでは12月8日にパンク音楽を普遍的に奥深く紹介するガイドブック「bounce book PUNK ROCK STANDARDS」を発売しました(詳細はコチラ!!)。本コーナーではこのパンク歴史30周年&書籍出版を記念した短期連載企画として、今回より三週連続でパンクを愛してやまない(かつ意外な!?)ミュージシャン、タレントの方からのパンクロックへあてたメッセージ〈私にとってのパンク〉をご紹介します。

にゃー!!! 猫ひろしも「わかりやすい」と太鼓判の「bouncebook PUNK ROCK STANDARDS」はこんな感じ
今回登場いただくこのお方、パンクを愛するというより〈パンクスに愛される〉という表現の方が的確かもしれない。オアシスからパブリック・エネミーまで海外VIPが集う〈SUMMER SONIC〉の舞台にて昇竜拳を突き上げたかと思えば、〈RISING SUN ROCK FESTIVAL〉会場で銀杏BOYZの舞台を見るためにテントをよじ登り、ZEPP TOKYOではその銀杏BOYZ、曽我部恵一らと共に舞台に上がる。パンクを超越してグラインド・コア並みのスピードでネタを繰り広げる芸風〈ギャグ百連発〉でお茶の間を席巻するタイニー・コメディアン、猫ひろし。最近ではMCUのライヴDVD「A Peacetime MCU -ONE NIGHT STAND 2005.6.23-」に出現するなど音楽ファンにも馴染みの深い彼だが、その音楽遍歴は果たしてパンクか否か…。
「(聴いてきたのは)日本の音楽ばっかりですね。僕28歳なんですよ。老けているんですけど(笑)。兄貴が5歳上くらいでザ・ブルーハーツ直撃世代、それで(ザ・ブルーハーツの)アルバムは全部持っていますね。中学を卒業したとき、ちょうど『スティックアウト』と『ダグアウト』が出たころで。自転車で友達と海の近くの旅館のようなところまで旅行に行ったんですけど、そういうときって別に喋ることないから、みんなずっとウォークマンを聴いてて。自転車で寒空のなか30キロ以上も走って、旅行自体はつらかったんですよ。あのアルバムの歌を聴くと、そのときの嫌な思い出が蘇ってくる(笑)」。
千葉の市原市で中高時代6年間、部活は卓球部で主にザ・ブルーハーツなどを聴きながらすごしたという猫氏は、音楽の趣味に関しては「ライブハウスっていうのが街にないから、流行事情がわかんない」まま過ごしていたと回想する。当時はお笑いにもそれほど興味があるわけではなかったという。現在の芸人・猫ひろし像が形成されていくのは、大学に入学し埼玉の寮に越してからの様だ。
「(大学時代に)埼玉の大宮にきて。それで東京まで30分くらいで行けるようになったので、週に五回くらい劇場に通うようになって。大学の学生だと全国からいろいろな奴がきているから、それで音楽も色々と知るようになった。隣りの部屋の奴がすっごいフォークが好きな奴だったんですよ。新入生の親睦会かなにかで
〈好きな音楽はなんですか?〉とかきかれるじゃないですか。それで僕は〈ハイロウズが好きですー〉とか言っていたんですけど、そしたら一人だけ〈戦前ブルースが好きで…〉って言う奴がいた。最初は気持ち悪いなあと思っていたけど(笑)。僕の寮の隣り部屋に住んでいて、部屋に行ったら高田渡とか友部正人とか、ともかくCDやレコードがブワーっといっぱいあって。初恋の嵐で活動をしていた亡くなった西山(達郎)さんは僕の大学の一級上にあたるんですけど、僕の部屋の隣りに住んでいた奴はその辺の人達とバンドをやったりしていた。ああいう人達ってみんなオタクだから、それで少し音楽に詳しくなったかもしれないですね。(その当時好きだったのは)キング・ブラザーズとかゆらゆら帝国とか、DMBQとかナンバーガールとか。向井(秀徳)さんの喋りが好きでしたね。初恋のライヴもよく観に行っていました。西山さんの声っていうのは、どんな音の悪いライヴハウスでも通る、綺麗に聞こえる声だったのが印象に残っています」。