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第3回 ─ NICKY SIANO、もう一人のマエストロが語るディスコ世界

第3回 ─ NICKY SIANO、もう一人のマエストロが語るディスコ世界(2)

連載
ミ ュ ー ジ カ ル・ジ ャ ー ニ ー
公開
2005/03/17   13:00
更新
2005/08/11   20:52
テキスト
文/bounce.com編集部

――先日〈SOUL JAZZ〉レーベルから〈Gallery〉のコンピレーションが発売されました。収録曲の半分以上は、多くのガラージ・クラシックスやロフト・クラシックスを聞いてきた人でも知らないような楽曲が収録されていたと思います。また収録曲に統一感があったように思ったのですが、選曲に意図するものがあったのでしょうか?

ニッキー  誰がこの曲をクラシックスじゃないって言ったんだい?(笑)。私はこれらの曲は全てクラシックスだと考えています。各曲がどのように影響を与えたかについて語ることさえできます。でもそれは次の機会にとっておきましょう。選曲の理由はそれらの曲が〈Gallery〉のはじめの頃、ホットな曲だったからです。また、同時代の同じ曲が違ったコンピレーションに何度も出てくるのに飽き飽きしていたから、違った方法で曲を選んでみました。ほとんどの曲が1975年以前の曲で、ここに収録された曲の多くはコマーシャルのディスコに影響を与えた曲です。ディスコの盛り上がりが本当のシーン衰退にもつながったのですが……。これらの曲は初期のシーンのベスト・ミュージックでありつつも、今日あまり聴くことができない名曲群です。〈Gallery〉にて一番プレイした楽曲は、MFSBの“Love Is The Message”です。

――〈Gallery〉の後はどんなクラブでDJしたのでしょうか?〈Studio 54〉などその他のDJ活動について教えて下さい。また〈studio 54〉はコマーシャルなクラブだったと言われていますが、実際はどうだったのでしょうか?

ニッキー  〈Buttermilk Bottom〉で3年間回しました。〈Studio 54〉は〈Gallery〉時代に回していたクラブです。平日は〈Studio 54〉で、週末は〈Gallery〉でプレイしました。〈Studio 54〉は現在までもっともコマーシャルなクラブだったと言えます。毎日、新聞には前日に誰が訪れたかが書き立てられ、いつも何かしらニュースになっていました。そこは劇場を改装した大きなクラブで、毎日パフォーマンスがおこなわれていました。またセレブが多く来ていたので、多くの人達がそこに入ろうとしていました。内装は以前の劇場の姿を残しており、ダンスフロアは劇場のステージの上でした。照明が備え付けられ、食事が楽しめる席がある大きなバルコニーがありました。キャパシティは3500人くらいで、毎日多くの人達がそこを訪れました。ただ私は〈Gallery〉と〈Studio 54〉で、DJスタイルは変えていませんでした。それが〈Studio 54〉でのDJの職を首になった理由でもあります。当時クラフトワークの“Trance Europe Express”をかけたことによって〈Studio 54〉から解雇されました。彼等はコマーシャルなディスコ・ソングをかけるように強要してましたから。

――あなたの代表曲と言えば、アーサー・ラッセルとの共同作品でもある"Kiss Me Again"が挙げられると思います。この楽曲の誕生のいきさつをお聞かせ下さい。

ニッキー  アーサーは私の友人の恋人で、よく〈Gallery〉に遊びに来ていました。彼が遊びに来るようになって一年ぐらいたったある日曜日の朝、アーサーが私に「レコードを一緒に作ってみない?」と提案してきました。DJ以外のことで自分の力が試せる素晴らしいアイデアだと思いました。2人でレコーディングに入り、アーサーが作曲をしました。私は歌手をアレンジし、曲にヴォーカルをのせました。アーサーは前衛的な人物でした。音楽については天才で、素晴らしい耳を持ち、誰も考えたことのないようなハーモニーを作り出すことができました。物静かでありつつも、自分の主張をきちんと持った性格を持っていて、私のヒーローであるローラ・ニーロのような人物。彼の作品で、私の一番好きな曲は“Is It All Over My Face”ですね。

――あなたは一時期DJ活動を休止していましたが、差し支えなければ理由をお聞かせ下さい。

ニッキー  多くの友人をエイズで失い、パーティをする気持ちが失せてしまったからです。

――先日もオートマジック"Smoking It"(注:ニッキー・シアーノによるハウス・プロジェクトの新曲)がリリースされて日本でもヒットしましたが、これからはプロダクションの方にも力を入れて行くのでしょうか?これからの活動を教えてください。

ニッキー  そうするつもりです。〈SOUL JAZZ〉レーベルから発売された〈Gallery〉のコンピレーションの他にも、新曲を3曲リリースする予定です。丁度レコード会社とそのプロジェクトについて話あっている所です。

――最後に日本のファンにメッセージをお願いします。

ニッキー  日本に多くのファンがいると聞き嬉しく思っています。本当に音楽を愛する人達、自分のキャリアを知ってくれている日本のファンに敬意を称し、次の言葉を伝えたいと思います。

"believe in your dreams with all your heart and you will make them come true"
君のハート全てで夢を信じていれば、その夢は現実となるでしょう。

Love Is The Mesage.

(インタビュー協力/Yoshio Takano)

NICKY SIANO

LOFTを手掛けたアレックス・ロスナーをエンジニアに迎え、1971年にNYで〈Gallery〉をオープン(当時17歳!)。78年にはアーサー・ラッセルと共同のダイナソー名義で“Kiss Me Again”を制作しヒットを記録した。多くの友人をエイズで失ったショックから一時DJをリタイアしていたが、近年は活動を再開している。

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