bounce.comのゆる~いしゃべり場、エクスクルーシヴ・サロン『ダンディ食堂(DANDY-SHOCK-DO!!!!)』の2005年第1回であります。今回は当コーナーのホスト太田浩と同い年だという、冨田恵一さん(冨田ラボ)をお迎えしました。キリンジ、中島美嘉などのプロデューサーとしてもお馴染みだった彼のソロ・プロジェクトとして大好評だった、冨田ラボのファースト・アルバム『シップビルディング』から2年。SOULHEADをフィーチャーした待望のニュー・シングル“Like A Queen”も2月23日にリリースという、当代イチのPOPS制作者冨田さんを前に、えっ?今回は音楽トークONLYですか、太田さん。では〈大人の音楽遍歴がわかるトーク〉お楽しみ下さい。

幼少期~中学生
太田:最初、音楽に触れたのっていくつくらいでした? 歌謡曲ですよね?
冨田:いや、僕は自分の意志じゃなく、ピアノを習っていたので。それが最初ですね。3つくらいから習っていたのかな。
太田:それ、クラシックですよね? ポピュラーは?
冨田:小学校の真ん中くらいにクラシックはつまんない、ってことを直訴したらね、じゃ、エレクトーンっていうのがあると。そっちのほうがポップスじゃない? ネタが。じゃあ、そっちへ、と。歌謡曲は高学年とかになってからテレビで見るくらいだったかな。レコードとかも買わなかったし。
太田:じゃあ、いきなり洋楽ですか?
冨田:レコードよりも何よりも楽譜を見て自分で弾くというのが最初だったからね。買ったのはビートルズとか、映画音楽とかでしたよ。自分が弾いてて好きだったものを買いましたね。
太田:僕は兄貴が12歳違うんですよ。で『Rubber Soul』とか持ってたから、早くから兄貴の部屋に隠れてビートルズを聴いてた、ってうぬぼれなんですけど。
冨田:わっ、羨ましいなあ。そういう人ってさ、中学校でR&Bとかさ、プログレとか聴いてたりするじゃない? それは長男にはできない経験だよね(笑)。で、僕も自分でハマったのは中学でビートルズですよ。小学校の時に“A Hard Days Night”をエレクトーンで……エレクトーン用にアレンジされていたものなんですけど、それがすごい好きで。そのシングルを買ったのがポップスの中では最初。でもガッカリしたのが、僕が好きだったエレクトーン用にアレンジされている“A Hard Days Night”は16ビートだったんですよ。シェイクっぽいっていうか。それがすっごい好きだった。グルーヴィで。なんだけど買ったら8ビートで(笑)。ハァ~と思って。なんか違う……って思ったんだけど聴いてたらやっぱり好きになりました。そっちはそっちで。でもやっぱり自分は16ビートが好きなんだ、っていまでも思いますね。心が躍りますから。
高校生
太田:僕とかもろにフュージョン……。
冨田:僕らはそこにかぶってしまったんですよね。
太田:表がパンクだったんですよね。裏がフュージョン、プログレだから。ピストルズなんて誰でもできちゃうじゃん!って思ってましたからね(笑)。
冨田:あのね、……そう思っちゃう世代なんだよね(笑)。
太田:作れないくせに(笑)!
冨田:僕もバンドとかやってたから。UKのアラン・ホールズワースをコピーしてたクチですよ。
太田:ああ、僕の友達も! ホールズワースとゲイリー・ムーアと二派に別れて。
冨田:高校時代がちょうどね。
太田:郵便貯金(1984年来日公演@郵便貯金ホール)、行きました?
冨田:行きました。感動しました!
太田:高島忠夫がチケットをダフ屋で買っていたのは見ていないですか?
冨田:(笑)見てない! マジ?!? あの時、僕、二列目だったんですよ。
太田:わっ! すごい。
冨田:ホールズワースの真ん前で。ホントにビックリしました。
太田:感動しましたよ! 指だけ見てましたから(笑)。でも、それから毎年来るようになるとは思わなかった(笑)。
冨田:ホント出稼ぎのように来るもんね。って、ホールズワース話でこんな盛り上がれるとは思わなかったよ(笑)。こういう話って僕らの世代のプラス1、2歳だけ、だよね。いわゆるフュージョンが世間を席巻しちゃった時期にちょうど高校生とかがあたっちゃったから。
太田:ちゃんとパンク街道に行けば良かったのに(笑)。