男性ソロ・シンガー不調のR&B界……なんてもう言えません!
MONTELL JORDAN 自分の命よりも長く生き続ける音楽を作りたいんだ

デフ・ジャムのR&Bシンガー第1弾アーティストとして95年『This Is How We Do It』でデビュー、デフ・ソウルの確立にも寄与し、在籍6年間で4枚、日本とヨーロッパのみでリリースされた『Montell Jordan』を含めれば通算5枚のアルバムを出した後、自分の信念を貫くためにレーベルのみならず生まれ育ったLAを離れアトランタへと移り住み、みずからエンタープライズ・プロダクション/レーベルを立ち上げるほど一本気な男──それがラッパー天国であるLAはサウス・セントラル出身の実力派R&Bシンガー、モンテル・ジョーダンだ。
「『Montell Jordan』がアメリカでリリースされないと決定した時点で、レーベルを離れる決心をした。あの作品は、僕にとってとてもパーソナルな作品だったから妥協することは考えられなかったんだ。ずっと応援して僕の作品を買ってくれていた人たちに〈モンテル・ジョーダンとはどういう人間か〉を知ってもらう義務があると感じていたからね。僕は僕なりに道を切り拓いてきたつもりさ。デフ・ソウルが成立した大きな理由が僕の(初期の)成功にあることはまぎれもない事実だよね。それでもやっぱりいっしょに歩んでいくことができなくなった。すべてが見えたとき、自分の周辺を整理したくて、生まれ故郷のLAを離れ、友人や仕事仲間、すべてを捨てて、スピリチュアル・ジャーニーの末に辿り着いたアトランタに移り住むことにした。2作目で仕事をして久々に再会したジェイムスE・ジョーンズと、アトランタで出会ったパーセル“ブラック”ホルムズの3人でジョージャ・ブラックというチームを組んで、今度は自分たちだけの力でアルバムを作ろうって決心したんだ。それは僕たち3人だけでクォリティーの高い作品を自分たちのスタジオで作ってもみんなに喜んでもらうことができると確信できたからさ。僕たちは女性には直接歌いかけるような、そして男性にとってはハンドブック的に聴いてもらえるようなアルバムを作ってみたかったんだよ」。
そうして2年のブランクを経て完成した通算6作目の『Life After Def』。兄的存在であるへヴィーDと弟的存在であるゴスペル界の奇才トネイをゲストに迎えた以外はジョージャ・ブラック、いや、モンテル・ジョーダンの世界がたっぷり詰まった傑作である。
「これが新生モンテル・ジョーダンさ。僕にとっていちばん大切なのは長い間活動し続けるということ。僕は長い間活動し続けることができれば最高のシンガーだと評価されなくてもいいとさえ思ってる。ただタイムレスに聴かれる音楽を作っていきたい。そうすれば、時代が回り廻ってまた自分が活躍できる時代になる。そういう活動をするアーティストこそ、この業界にとっては宝なんだと信じてるよ。とにかく僕は自分の命よりも長く生き続けていってくれる音楽を作っていきたいのさ」。
最近ではビヨンセ主演の映画「The Fighting Temptations」にも出演するなど俳優の道へと活動の幅を広げている。
「僕はクイーン・ラティファやウィル・スミス、LLクールJのようなキャリアをめざしてるんだよ。それでいつの日か自分の音楽を映画と融合させることができるようになりたいと思ってるんだ。そして僕のエンタープライズを常にチャートのトップに入るホットなアーティストを抱えた大きなレーベルに成長させることが、いまの僕の目標さ」。(Kana Muramatsu)
▼モンテル・ジョーダンの近作。