21年ぶりの新作を引っ提げて、日本ロックの〈伝説〉、外道が新譜をリリース。外道がふたたび、僕らを熱狂させようとしている。

そのバンドが誕生したのは、いまから30年前。輸入文化であった〈ロックンロール〉という音楽を、ニッポン人ならではの視点と根性で独自のものとして打ち出したそのバンドは、数々の熱狂とエピソードを残し、やがて〈伝説〉になった。そして時は流れ2003年。〈伝説〉のバンド──外道がふたたび、僕らを熱狂させようとしている。
エピソード1~バンド結成
「〈M〉ってバンドに5か月ほど在籍したんだけど、そこではオリジナルを作らないわけ。全部カヴァー。俺は最初から、〈日本語でロックを作りたい〉って気持ちがあったから、アルバム制作前に辞めちゃってね。そこから一年ほど近田春夫やなんかとセッション続けてたんだけど、ようやくやりたいことが見えてきて、〈オリジナルな歌詞で歌う〉っていう外道を作った」(加納秀人)。
エピソード2~伝説のライヴ
彼らのステージ・パフォーマンスのスゴさは、日本ロック史においても語り草になっている。
「まだミック・ジャガーがステージで2メートルぐらいしか動いてないころ、俺ら50メートルのシールド買って走り回ってたから。俺、マラソンが好きでオリンピックに出たいと思ってたほどでね。でも、一日の時間って限られてるじゃない? だったら両方いっしょにやっちゃえばいいや、ってギター弾きながら走ってた(笑)。町田の警察署の横でやったときは、デカい音出してて苦情もスゴかったんだけど、みんな盛り上がってるから誰も止められないわけ。署長が来ても〈サンキュ~〉って返したり。やりたい放題だったね」(加納秀人)。
ちなみに、彼らのアルバムのほとんどは、ライヴ・アルバムである。
エピソード3~武勇伝
ハワイのフェスティヴァルに出て、10万人の前でステージに立ったり、ジェフ・ベックと同じステージに立ったり……。
「奴(ジェフ・ベック)のリハが長え!って蹴飛ばしちゃった。〈てめえら終わりだ、このやろ!〉って。誰だろうが関係ねぇからね俺は。時間過ぎてっから、どかしたの。同じステージに立つんだから、対等なんだよ。ショックだったろうなあ、わけのわかんない化粧した日本人のバンドにケツ蹴られてるんだもん」(中野良一)。
エピソード4~衣装&ステージ
「いずれ外タレといっしょにやるだろう、って俺の頭にあったからね。外国でやっても絶対似てないものをやろう、と。そうしたら、動きは歌舞伎から、着物だって着ちゃおう、ってなって。じゃあステージのセットは鳥居で、ってすごくシンプルにアイデアが出てきた。で、化粧なんて誰もやってないころにやり出してさ。早かったんだよね」(加納秀人)。
「フェリックス・パパラルディ(マウンテン)が京都で神社の鳥居を見つけたとき、〈オー! ゲドー、ゲドー!〉って言ってたぐれぇだからな」(中野良一)。
エピソード5~ライフスタイル
「俺たち、日本のなかで〈外タレ〉だったね、やってたことが。当時、キャンピングカーを2台持ってて、それに機材やら全部積み込んで、ジプシーみたく、ず~っとツアーまわってた。湖でリハーサルやってまた移動、ってさ。当時そんなことやってるバンドなかったと思うよ」(加納秀人)。
「結婚してても家にいない亭主だったもん。カミさんより外道の3人といっしょにいたってことが、最高の宝だと思う。お互いを尊重し合って生活してたことがすべて音楽に反映されてたんだな」(中野良一)。
エピソード6~ライバル
「どんな奴でも絶対食ってやる、って自信はあったね。音楽でぶっとばしてやるって。外タレだろうがなんだろうが関係ねぇから。俺たちのほうがスゲぇんだって確固たる自信持っちゃってるから、どうにもなんねえ」(中野良一)。
「ジミへン聴いたとき、ライバルとしてスゲぇって、そんなこと考えてるガキだった。つまり、ファンとかじゃないの。でも、好き嫌い関係なく、耳に入ったものは俺らになんらかの影響を与えてるはずだからね。肥やしにはなってる」(加納秀人)。
エピソード7~サーキット族
いまの言葉でいうと暴走族。そういった連中からの絶大なる支持を得ていた外道。なにせ、メンバーのひとりは、地元の族の頭であったのだ。
「ヘルス・エンジェルスに近かったね、奴らは。いま群れて走ってる連中とは違う。とにかくタフだったよ。昔、TV番組に出るとき、会場まで道路が混んでてさ……」(加納秀人)。
「そしたら、みんなで車やなんや全部止めちゃうの! 〈どけどけ~!〉って道の真ん中を空けさせてさ、俺たちがそこをバーッて走ってちゃう。ハンパじゃねえんだよ、奴ら」(中野良一)。