<レディメイド・インターナショナル>を立ち上げた小西康陽と、
そこから新たなスタートをきる曽我部恵一のスペシャル対談をお届け!
――ところで“ギター”は、リリースが決まって、録音して、音が出来上がるまで、すっごく早かったですね。
小西 こんなに早くできるんだって思いましたね。こういうやり方ができるっていうだけでも、自分でインディー・レーベルを作って良かったなあって思う。このレーベル(レディメイド・インターナショナル)を作って、最初にアナログ盤出したじゃない? 須永(辰緒)さんとノリくん(池田正典)と僕とで3タイトル同時に出すってことだけなんだけどさ、メジャーの会社だとカンタンには出せなさそうでしょ? リリースすること自体がかっこよかったり、アート・フォームになるはずなのにさ。
――たとえば、そういった<スピード感>を担うのが、前世紀では<インターネット>じゃないか? ってみんな考えてたと思いますが。
曽我部 インターネット配信とか、あんまり興味ないんですよね。テロが起こって、誰かがそれに対しての音楽を作って配信したっていう話を聞いたけど、興味沸かなくって。やっぱ、レコードやCDになったほうがかっこいいと思う。
小西 友達がね、どこかの国の育児書を翻訳して出版するってことになったのね。なんでそれをやろうと思ったの? って訊いたら、その育児書に、まさに目から鱗な一行があったからなんだって。その一行っていうのが<人間は触れないものを愛せない>。ほら、子供って、実際に抱っこしたりして愛情が伝わったりするじゃない? 物とかもそうなんだよね。だから僕もインターネット配信とかには興味もてないんだよね、<盤>じゃないと。
――ところで、お二方は<東京ド真ん中>の音楽をクリエイトしてきた感がありますよね。それも、地方で青春を過ごした人特有の<コンプレックス>抜きで。
小西 それはありますよ、どの土地でもいいんだけどね。東京に住んでたらニューヨークやロンドンに憧れるとかさ、札幌に住んでたら<東京ってすごいところなんだろうなあ>みたいな、そういう思い込みみたいなものが音楽を作るうえでアクセルを踏ませるっていうか、そこは大切だと思う。たとえニューヨークに住んだとしても、ここではないどこかが絶対あるはずだと考えてると思う。そうじゃなくて<ここでいいんだ>って思ってたら、それはそれで違う音楽作ると思うんだよね。僕は、音楽とかにハイプなところを望むから、自分は田舎生まれで良かったなって思うけど。
曽我部 それはすごく思う。思考回路が違ったでしょうね……僕も東京にはすごい憧れがあったから。
――だからお二方とも90年代をサヴァイヴできたんじゃないかって思うんですけど。
小西 とはいえ、21世紀になってもまだ音楽とコミットしている自分がいて、それはそれで感動するけどね。
曽我部 僕はね、90年代と21世紀っていうふうに区切れてないかもね。バンドとソロっていうところでは区切られていると思うんだけど、まだあんまりつかめてないかもね、21世紀だからどういうことをやろうとか。でも、自然と21世紀的なものになるんじゃないかとは思ってる。
――曽我部恵一の作品が小西康陽のレーベルから出るっていうのは、21世紀的なものの象徴なのかも知れませんね。
小西 そうかもね。