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インタビュー

〈夢のコラボ〉ってなにゆえに!? ジャンルは違えど、90年代から闊歩した両者の足取りを追ってみよう

結成~1992

 電気+グルーヴという名前を思いついた時点で勝ったも同然。人生で〈♪キンタマが右に寄っちゃった~〉とか歌っていた石野卓球を中心に89年結成。スチャダラパーと同じ90年に『662 BPM BY DG』でデビュー。同作はメジャー契約後の名曲“ウィー・アー”や“無能の人”(“N.O.”の原曲)も収録しており、当時の音は同時代のUKロックなどの大胆なサンプリング・ビーツにラップ/歌を乗せたものだった。翌91年にマンチェ録音の『FLASH PAPA』(キューン)でメジャー・デビュー。YMOのカヴァーも含むテクノ・ポッピーな91年作『UFO』、まりん(砂原良徳)正式加入後の92年作『KARATEKA』(キューン)と順調にリリース。この頃はまだコミック・バンド扱いだった彼らも、続いての……。(出嶌)


 スチャラカ+スーダラ+ラッパーという名前を思いついた時点で勝ったも同然。デザイン学校で出会った3人が88年に結成。電気グルーヴと同じ90年に『スチャダラ大作戦』(MAJOR FORCE)でデビュー。同作は初期の代表曲“N.I.C.E GUY”などを収録しており、人懐っこい2MCの掛け合いや、メジャー契約後には聴けなくなる奔放でお茶の間寄りな大ネタ使いの数々でも話題となった。翌91年に『タワーリング・ナンセンス』(エピック)でメジャー・デビュー。シングル・リリースされた“スチャダランゲージ~質問:アレは何だ?”や“ゲームボーイズ”がヒットし、〈渋谷系〉的な業界ノリ感も巻き込んで順調に活動していく。この頃はまだ〈オモロラップ〉扱いだった彼らも、続いての……。(出嶌)


1993~1995

 テクノ・ブーム全盛期の金字塔的アルバム『VITAMIN』(キューン)では、全トラック中半分がインストという、当時のシーンでは考えられなかった構成に度肝を抜かれた人も多い。それまでのパブリック・イメージとしてあった〈おもしろい〉路線は若干影を潜め、フロアでの機能性をも考え抜かれたであろうトラックの数々に、キッズは失禁状態! 翌年発表の『DRAGON』(キューン)も前作の流れをさらに深化させた感のある作品で、美しくトリップ感のある名曲“虹”で締め括られるラストは特に印象的だ。また、この頃にコンピ〈電気グルーヴのテクノ専門学校〉や〈MIX-UP〉シリーズなどのテクノ系音源が多数リリースされ、シーンは一気に活気づいた。(aokinoko)


 パーティー・ムード満点なスカパラ&LBネイションとのセッション、名曲“今夜はブギーバック”での小沢健二との共演など、94年のコラボ・アルバム『スチャダラ外伝』(キューン)は、彼らのアイデアとセンスが十分に発揮された好盤。この勢いに乗った翌95年の『5th wheel 2 the coach』(東芝EMI)も、中期SDPの頂点を感じさせるような素晴らしい出来に。キャッチーなトラック、日常を切り取るユルめなライムはもはやお家芸と化した。またこの頃、TV番組〈ポンキッキーズ〉にてBOSEと瀧が共演したり、ラジオ番組〈オールナイトニッポン〉のパーソナリティーを電気/SDP共に担当するなど、両者のシンクロ率は当時から高かった。(aokinoko)


カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年06月30日 15:00

更新: 2005年07月07日 19:30

ソース: 『bounce』 266号(2005/6/25)

文/aokinoko、出嶌 孝次、リョウ 原田

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