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アンダ(p)ベーム/ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番~世界初出ライヴ!

アンダ&ベーム

ゲザ・アンダ&カール・ベーム完全初出!
ザルツブルク音楽祭におけるアンダのラスト・ライヴ、
得意のモーツァルト18番はまさに至高なる白鳥の歌
録音のすくないブラームス1番も熱気うずまく名演


アンダとベームとの共演、注目の完全初出音源です。63年ルツェルン音楽祭でのブラームス1番と74年ザルツブルク音楽祭でのモーツァルト18番。それぞれの協奏曲の前には放送時のアナウンスも収録されています。

第2番の録音が複数知られているのに対し、第1番はあまり世に出ていないアンダのブラームス。ベームとの共演で聴けるとは僥倖です。深くじっくりと奏でられるオーケストラに対し、熱っぽくもしっかり構築的に弾きあげるアンダ。卓越した技量と比類のない激しさがぶつかりあう白熱の演奏です。モノラル録音とはいえ音楽の充実ぶりは十二分に堪能できます。

アンダは52年から毎年ザルツブルク音楽祭に出演し、この地と良好な関係を続けました。60年代に弾き振りでカメラータ・ザルツブルクと録音したモーツァルトの協奏曲全集は至高の名盤として聴き継がれています。そんなアンダの最後のザルツブルク音楽祭出演となったのがこの74年のモーツァルト。透明な音で軽やかに舞い上がり、かつ心の内をじっとみつめるような、確たる芯のある上質の戯れ。癌を患う1年前、死の2年前の演奏であり、緩徐楽章などまさにアンダの「白鳥の歌」と言えましょう。たまらぬ響きを持つベームVPOとの対話も多角的に愉しめるステレオ録音。カデンツァは全集録音のものと同一です。
(キングインターナショナル)

【曲目】
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番

(1)スイス放送(DRS)のアナウンス
(2)-(4)ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15
(5)オーストリア放送(ORF)のアナウンス
(6)-(8)モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456

【演奏】
ゲザ・アンダ(ピアノ)
カール・ベーム(指揮)
(2)-(4)フィルハーモニア管弦楽団
(6)-(8)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

【録音】
(2)-(4)1963年9月14日/ルツェルン音楽祭(ライヴ・モノラル)
(6)-(8)1974年8月25日/ザルツブルク音楽祭(ライヴ・ステレオ)

アンダ&ベーム

【ゲザ・アンダの生涯】
ゲザ・アンダは1921年11月19日にハンガリーのブダペストで生まれ、1976年6月14日にスイスのチューリッヒで世を去ったピアニストです。アンダはフランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニとゾルターン・コダーイに師事し、1940年にリスト賞を受賞しました。1943年1月10日にはフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演しフランクの交響的変奏曲を演奏。フルトヴェングラーはアンダを「ピアノの吟遊詩人(Troubadour)」と讃えました。1943年5月にはベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団とフランクの交響的変奏曲をSPレコードに録音しています。

同年、アンダは第二次大戦の戦火を避けてスイスに亡命し、1955年にスイス国籍を得ました。演奏活動では1952年から1974年まで、毎年ザルツブルク音楽祭に出演して、リサイタルに、協奏曲に活躍。アメリカにも1955年以来、17回もツアーを行っています。

レコーディングでは1950~51年にはドイツ・テレフンケンに、1953~58年は英コロムビアと契約し、10数枚のモノラルLPレコードを作っています。録音レパートリーはバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスという独墺系作品が中心で、そこにショパンとお国物のリストとバルトークが加わるというオーソドックスなものでした。

1959年にドイツ・グラモフォンの専属になると、折しも実用化されたばかりのステレオLPレコードのために多くの基本的レパートリーを録音します。当セットに収められたフリッチャイ指揮によるバルトークのピアノ協奏曲全集を皮切りに、ベートーヴェンの三重協奏曲ブラームスのピアノ協奏曲第2番モーツァルトのピアノ協奏曲全集(分売)などが次々にリリースされました。このうちバルトークの第2&3番とベートーヴェンの三重協奏曲、モーツァルトの第21番&第17番はフランス・ディスク大賞を受賞しています。

フランス・ディスク大賞受賞
左上に「フランス・ディスク大賞」のステッカーが貼られた初期LPジャケット

また、アンダが録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番が、1967年のスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え(Elvira Madigan)」で使用されたことで、一躍アンダの録音とモーツァルトのこの作品が世界的にヒットする、という出来事もありました。

教育者としては1952年よりザルツブルクの夏季マスタークラスをもち、1960年からは大ピアニスト、エトヴィン・フィッシャーの後を受けてルツェルンでマスタークラスをもちました。

1965年にはフランスの芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受勲、1970年にはイギリスの王立音楽アカデミーの「名誉会員」となっています。

私生活では1964年に「ビュールレ・コレクション」で名高い美術収集家のエミール・ゲオルク・ビュールレ(1890~1956)の娘、オルタンス(1926~2014)と二度目の結婚をしました。1969年には息子、グラティアンが生まれています。しかし、1975年に食道がんと診断され、手術は成功して一時回復しましたが、翌年6月14日に亡くなりました。54歳の若さでした。

エミール・ゲオルク・ビュールレ
自らの絵画コレクションに囲まれたビュールレ

オルタンス・アンダ=ビュールレはアンダの死後、1978年に若手ピアニストの育成を目的としたゲザ・アンダ財団を創設。プレジデントに就きました。同財団は1979年より「ゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクール」を主催し、3年に1度開催。世界的ピアニストへの登竜門として有名なコンクールとなっています(第1回優勝者はフランスのジョルジュ・プルーデルマッハー)。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

カテゴリ : ニュース

掲載: 2024年06月27日 18:00