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満場の聴衆が熱狂した奇蹟の演奏会!ルース・スレンチェンスカの芸術IX~サントリーホール・リサイタル

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2018年10月09日 00:00

更新: 2018年10月18日 00:00

スレンチェンスカの芸術

超人ピアニスト ルース・スレンチェンスカ 93歳「昨日までの私の演奏を忘れてください。今日のほうがさらにいいから!」
2003年11月、78歳のときに初来日、岡山での初録音からはや15年、今回第9集の録音となりました。ホフマン、ラフマニノフ、ペトリ、シュナーベル、コルトー、バックハウスなどの巨匠に学び、ロシア、ドイツ、フランスの3大ピアニズムの系譜を受け継ぎ、多くの名演奏家と親しい交友関係を結び(21歳年長のホロヴィッツとは生涯親友としての付き合いが続いた)、諸先輩をも凌ぐ独自の世界を切り開き、20世紀のピアニズム寄与したルース・スレンチェンスカは、まさに20世紀のピアノ演奏史の生きた証人であり、最後の巨匠と呼ばれるにふさわしい。
(レグルス)

CD-1
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op.87より 第5番 ニ長調-前奏曲、フーガ
J.S バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 前奏曲とフーガ 第5番 ニ長調 BWV850
ブラームス:3つの間奏曲 Op.117
ブラームス:2つのラプソディ Op.79      
CD-2
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト」
ラフマニノフ:絵画的練習曲Op.33より第7曲 変ホ長調
ショパン:12の練習曲 Op.25より第12番 ハ短調
〈アンコール〉
ショパン:ワルツ 第7番 嬰ハ短調 Op.64-2
 
ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)

録音:2018年4月21日 サントリーホール〈ライヴ録音〉
※このCDはライヴ録音のため会場ノイズがあります。

当日のコンサート印象記

感動しました。想像以上の素晴らしさでした。何しろセルゲイ・ラフマニノフ、ヨゼフ・ホフマン、エゴン・ペトリ、アルフレッド・コルトー、アルトゥール・シュナーベル、ヴィルヘルム・バックハウスに直接教わっているピアニストです。しかも現役のピアニストであり、磨き抜かれたタッチと多彩な色彩感覚、瑞々しい音楽性を持ち、驚くほど内容の深い演奏を披露してくれたのです!

プログラムは以下の通り。

ショスタコーヴィッチ:24の前奏曲とフーガ ニ長調 作品85-5
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻〜前奏曲とフーガ ニ長調 BWV850
ブラームス:3つの間奏曲 作品117
ブラームス:2つの狂詩曲 作品79

休憩

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」
ラフマニノフ:練習曲「音の絵」変ホ長調 作品33-7
ショパン:練習曲 ハ短調 作品25-12

開幕のベルが鳴り、照明が暗転した刹那、グリーンのドレスに身を包んだ彼女はニコニコしながら舞台に現れました。客席はほぼ満席。初めから凄まじい拍手でした。冒頭のショスタコーヴィッチとバッハはアタッカで弾かれ、この曲に限らず、曲間や楽章間は、ほとんど間を取らずに弾かれました。舞台姿といい、曲をどんどん弾き進めることといい、気取りがなく自然体なのが彼女のスタイルなのでしょう。

老巨匠というと入念で濃厚な語り口をイメージしますが、彼女の音楽は自然で、基本的には端然としています。そして何より驚かされたのはタッチの磨き抜かれた美しさ。そして音色や硬軟強弱が自在に変化します。音楽の深い内容が水の流れのような進行と美しい響きの中で示されることに感じ入りました。

ブラームス晩年の3つの間奏曲では、上記したことに、深い瞑想が加わりました。彼女の音は実に豊かで、強音はサントリーホールの広い空間に大輪の花が開くように広がり、弱音は隅々まで染み渡るように響きました。彼女は弱音のとき、音が鳴り終わる直前まで耳を澄まし、次の音を紡いで行きました。作品に込められた思念は、この瞑想にも似た幅広い時間により、いよいよ深まっていきました。

ブラームス壮年期の2つの狂詩曲では一転して燦然とした音響で、若々しく情熱を爆発させます。楽想変転のめまぐるしさも、実に敏捷に表現されました。この曲順自体が、彼女の今の心境を示しているようでした。また、5曲通じて音楽が重々しくならなかったのは、彼女のリズムの柔軟さと、明るく澄んだ音を志向する音色感覚が挙げられるでしょう。

休憩後は大作「テンペスト」ソナタ。第1楽章冒頭の緩やかな分散和音から、ブラームス同様の思念がこもり、たちまち音楽に引き込まれてました。その後の激しい楽想変転に彼女は果敢に挑み、多少の傷は出たもののエネルギーを貫き通し、ベートーヴェンらしい音楽世界を描き出しました。第2楽章は、ゆったりとしたテンポで旋律を大きく歌わせ、遠雷のようなトレモロも実に印象深く響かせていました。第3楽章は幻想曲風な流れの良さが重視され、その中で様々な音楽上の転換点が音色でさり気なく示される巧みさを楽しみました。

ラフマニノフの「音の絵」作品33-7は、ブラームスの狂詩曲同様、燦然たる音響で生命力の奔騰を示した素晴らしい演奏。この日、初めて楽譜を外して演奏されたショパンの練習曲作品25-12も、両手アルペッジョを輝かしい音色で大波のように唸らせながら、コラール風の旋律を鮮やかに浮き立たせた名演でした。

聴衆の感動と興奮も頂点に達し、盛んなブラヴォーが飛び、立ち上がって拍手する人の輪が拡がり、1階席は総立ち状態に。すると彼女はアンコールを楽譜なしで1曲。

ショパン:ワルツ 嬰ハ短調 作品64-2

この物憂いワルツが奏でられ始めると、私は涙をこらえきれなくなりました。私の席の周りにも泣いている人がいました。何という寂しげな音色、寂しげな静謐さ、寂しげなルバート。これまで師のラフマニノフやホフマンのように端然とした演奏を聴かせていた彼女が、打って変わってショパンの音楽に思いの丈をぶつけます。思わず惜別の念を感じた方もいたのでしょう。息を飲むような演奏の後、彼女に手を振っていた聴衆もいましたが、私は、これで終わりではないと感じましたし、彼女もまた東京でリサイタルを、と思ったのではないでしょうか。来年は、ぜひ東京でデビュー90年記念リサイタルを開いて欲しいと思いますし、実際、そうなるような気がしています。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

プロフィール

ルース・スレンチェンスカ(1925~)はヴァイオリニストである父親よりピアノを学び、4歳でリサイタル・デビューし「モーツァルト以来最も輝かしい神童」と称賛されました。5歳でカーティス音楽院に学び、1931年、6歳でベルリン・デビュー。ヨゼフ・ホフマン、アルフレッド・コルトー、アルトゥール・シュナーベル、エゴン・ペトリ、セルゲイ・ラフマニノフなどの錚々たる巨匠たちに認められ、教えを受けました。とくにコルトーには7歳から14歳まで、7年間指導を受けたとのことです。

しかし彼女は父親による一日9時間もの虐待的なトレーニングにずっと反感を抱いていていました。そして15歳の時に「機械的」、「未熟」という新聞の酷評を受けたことをきっかけに、自ら演奏活動を停止します。父親に反抗するように、カリフォルニア大学の入試に合格して自立への道を歩み始めました。大学在学中の教授のアシスタントとしてのピアノ演奏や、修道院の音楽教師のアルバイトをしているうちに、再びピアニストとして見出されました。

バッハ・フェスティバルでの10年ぶりの演奏が大きな反響を呼び、アルトゥール・ルービンシュタインやアーサー・フィードラーなどの励ましもあって、本格的に演奏家としてカムバックしました。そして、第2次大戦の傷跡が残るドイツを訪れた際の演奏で、自らのピアノにより聴衆を励ますことができることを実感し、「芸術家としての使命の自覚に目覚めた」と、彼女は語っています。旧ソ連と日本を除くクラシック音楽マーケットの主要各国へ演奏旅行を行いながら、1950年代後半にはアメリカ・デッカ社と専属契約を結んでLPレコードを10数枚リリースするなど、精力的な演奏活動を続けました。

この間、1962年1月にはサンフランシスコ交響楽団の創立50年記念シーズンの一環としてハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を演奏しました。当初、ハチャトゥリアンが指揮をする予定でしたがキャンセルとなり、当時26歳の小澤征爾に白羽の矢が立ちました。これが北米デビューとなった小澤征爾の指揮は素晴らしく、その後、1970年、弱冠35歳での音楽監督就任に繋がりました。

スレンチェンスカと小澤征爾

スレンチェンスカと小澤征爾(当時のパンフレット)

30代後半までに3,000回ものコンサートをこなしてきた彼女ですが、1963年に過労のため胃潰瘍となり、2度目となる演奏活動の停止を決断します。1964年には、第一線での演奏活動に見切りをつけ、サウス・イリノイ大学で教鞭を取る道を選び、1987年に退任するまで世界中から集まった生徒たちを教え、同時に彼らから慕われました。

1999年に夫と死別。彼女の大変な落ち込みようを心配した台湾の教え子が台北に誘い、2002年に台湾の大学で、客員教授として再び教鞭をとることとなりました。学生のレッスンの前に必ず数時間、指のウォーミングアップをしたところ、指の力が少しずつ戻り、彼女は台湾で演奏活動を再開。2003年1月、台北で彼女の演奏を聴いた岡山県の歯科医師でチェロ奏者の三船文彰氏が驚嘆したことをきっかけとして、2003年4月に日本での初演奏が実現しました。そして、2017年に至るまでの彼女の岡山での録音は8組のCDに収められ、何れもレコード芸術誌の特選、または準特選盤を獲得するなど、高い評価を受けています。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)