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キリル・ペトレンコ、ベルリン・フィル次期首席指揮者&芸術監督 就任決定!

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルによるスクリャービン“法悦の詩”より

6月22日(月)(日本時間午後8時)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、サー・サイモン・ラトルの退任に伴う次期首席指揮者、芸術監督にロシア(オムスク)出身のキリル・ペトレンコを選出したと発表しました。僅か3回の共演で世界最高のオーケストラの楽員たちの心を捉えた、指揮者としての優れた手腕や豊かな音楽性が注目されます。
キリル・ペトレンコは現在はバイエルン州立歌劇場の音楽監督を務めており、ミュンヘンでの公演ではかのカルロス・クライバーと比較された(フォーブス誌の速報記事より)ほどの天才肌で、今後の活躍が期待されます。(タワーレコード)

昨日のオーケストラの集会で、キリル・ペトレンコがメンバーの大多数により首席指揮者、及びベルリン・フィルハーモニー財団の芸術監督に選ばれました。彼は、2018年8月にオーケストラを去るサー・サイモン・ラトルの跡を継ぎます。
キリル・ペトレンコは以下のように述べました。
「私の感情を言葉で言い表すことができません。それは幸福感とものすごい喜び、そして畏怖と信じられない気持ちまでの全てです。私は責任と私への高い期待に気づいています。 そして、 私はこの偉大なオーケストラにふさわしい指揮者となるよう全力を尽くします。しかし、私はとりわけ、われわれの激務に報い、意味のある芸術家としての命を満たす、われわれの音楽作りにおける多くの芸術的な幸福の瞬間を望みます。」
http://www.berliner-philharmoniker.de/en/titelgeschichten/2014-2015/kirill-petrenko-2015/)より抄訳

キリル・ペトレンコ(Kirill Petrenko, 1972年~)
ヴァイオリニストの父と音楽学の講師を務める母のもと、ロシア・オムスクに生まれる。同地の音楽院でピアノを学び、僅か11歳でオムスク交響楽団のソリストとしてデビューした。1990年、父親がオーストリア、フォアアールベルク州のオーケストラと音楽講師の職を得たため一家で移り住んだ。ペトレンコは始めフェルトキルヒで音楽を学んだが、ウィーン音楽大学に移り指揮法をウロス・ルトヴィチに学び、1991年に卒業した。1997年にウィーン・フォルクスオーパーのアシスタント、リハーサル伴奏者に就任。

1999年から2002年にマイニンゲン歌劇場の音楽総監督に任命され、ショスタコーヴィチの“ムツェンスク郡のマクベス夫人”でデビューした。また、“ばらの騎士”“リゴレット”“売られた花嫁”“ピーター・グライムズ”“コジ・ファン・トゥッテ”“椿姫”のプレミエの指揮をとった。しかし、これら以上に国際的な注目を集めたのは2000年のクリスティーネ・ミーリッツ演出、彫刻家のアルフレート・フルドリチカ舞台デザインによる“ニーベルングの指環”公演だった。

2002年から2007年までペトレンコはベルリン・コミッシェ・オーパーの音楽総監督を務め、この5年間に以下の公演により決定的な印象を残した。

“売られた花嫁” アンドレアス・ホモキ演出
“ドン・ジョヴァンニ” ペーター・コンヴィチュニー演出
“フィガロの結婚” バリー・コスキー演出
“コジ・ファン・トゥッテ” ペーター・コンヴィチュニー演出
“後宮からの逃走” カリスト・ビエイト演出
“イェヌーファ” ウィリー・デッカー演出
“ばらの騎士” アンドレアス・ホモキ演出
“ピーター・グライムズ” カーチャ・ツェルニク演出
“エフゲニー・オネーギン” アンドレアス・ホモキ演出
“マハゴニー市の興亡” アンドレアス・ホモキ演出
“微笑みの国” ペーター・コンヴィチュニー演出

マイニンゲンとベルリンのポジションと並行して、ペトレンコは国際的なキャリアを急速に拡大。2000年にはフィレンツェ五月音楽祭に“エフゲニー・オネーギン”でデビュー。翌2001年にはウィーン国立歌劇場に“魔笛”で、ドレスデン・ゼンパーオーパーに“ムツェンスク郡のマクベス夫人”で、バルセロナ・リセウ大劇場に“スペードの女王”でデビュー。その後もパリ・オペラ座“ドン・ジョヴァンニ”、コヴェント・ガーデン王立劇場“蝶々夫人”、バイエルン州立歌劇場“スペードの女王”、メトロポリタン歌劇場“メリー・ウィドウ”へ出演し、2005年にはフランクフルト歌劇場に“ホヴァンシチナ”でデビュー。2006年から2008年にかけて、国立リヨン歌劇場にて演出家のペーター・シュタインと協力しプーシキン・オペラ・シリーズを上演した。

2007年7月にコミッシェ・オーパーを離任した後は客演指揮者として活動。重要な公演はニューヨーク、メトロポリタン歌劇場での“魔笛”“ナクソス島のアリアドネ”、コヴェント・ガーデン王立劇場での“青ひげ公の城”“期待”“ばらの騎士”、アン・デア・ウィーン劇場での“カーチャ・カヴァノヴァ”“インテルメッツォ”などが挙げられる。2009年にはバイエルン州立歌劇場での“イェヌーファ”のプレミエ、フランクフルト歌劇場での“パレストリーナ”のプレミエを指揮した。

現在までに彼がコンサート指揮者として客演した重要なオーケストラはベルリン・フィル、シュターツカペレ・ドレスデン、バイエルン放送交響楽団、バイエルン州立管弦楽団、ケルン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団、ウィーン放送交響楽団、ウィーン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、オスロ・フィル、ローマ聖チェリーリア音楽院管弦楽団、イスラエル・フィルなどである。ザルツブルク音楽祭やブレゲンツ音楽祭でのコンサートも指揮している。

2013年から3シーズン、バイロイト音楽祭の“ニーベルングの指環”四部作を指揮。2013年9月1日にはケント・ナガノの後任として、バイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任。2015年6月22日、サー・サイモン・ラトルの後任として、2018年からベルリン・フィルハーモニーの首席指揮者・芸術監督に就任する事が発表された。(タワーレコード)

6月22日(月)ベルリン・フィルのプレス・カンファレンスの模様

【ベルリン・フィル歴代常任・首席指揮者】
ルートヴィヒ・フォン・ブレナー(1882年~1887年 常任指揮者)
ハンス・フォン・ビューロー(1887年~1892年 常任指揮者)
アルトゥール・ニキシュ(1895年~1922年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1922年~1945年 常任指揮者)
レオ・ボルヒャルト(1945年 常任指揮者)
セルジュ・チェリビダッケ(1945年~1952年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1952年~1954年 終身指揮者)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1955年~1989年 終身指揮者・芸術監督)
クラウディオ・アバド(1990年~2002年 首席指揮者・芸術監督)
サイモン・ラトル(2002年~2018年[予定]  首席指揮者・芸術監督)
キリル・ペトレンコ(2018年~[予定]首席指揮者・芸術監督)

カテゴリ : ニュース | タグ : プロモ(クラシック)

掲載: 2015年06月22日 22:00

更新: 2015年06月25日 11:00