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『レヴィ=ストロース 夜と音楽』『魔法使いの国の掟 リオデジャネイロの詩と時』

公開
2011/10/18   13:13
ソース
intoxicate vol.93(2011年8月20日)
テキスト
text:小沼純一
出発点としてあったブラジル、そして4人の詩人

一昨年101歳の誕生日を目前にして逝ったレヴィ=ストロース。この人類学者へのアプローチはこれまでにどれだけおこなわれてきたことだろう。アプローチ の傍らにはときに音楽の語を添えることもあったものだが、『レヴィ=ストロース 夜と音楽』はたしかに帯にあるとおり 「創造的入門書」でありつつも、精緻で大胆、想像が創造へと転化し、読むものに何ものかを刺激し、思考し、生みださせるうずうずとしたうごめきを、よろこ びと力、欲望とともに惹起する本で、その「効果」のありようがそもそも音楽と呼ばれるべきではなかったろうか。今福龍太はレヴィ=ストロースのなかにある 音楽を聴きとる。だが自らの書くこと=文章もまた、もうひとつの音楽になる、ならんとする。

全8章に加えて「リトルネッロ──羽撃く夜の鳥たち」と「カデンツァ──蟻塚の教え」ではさみこみ、そのほぼ中央にあたる第五章に、タイトルとして据えられる「夜と音楽」を置く。全体にというより、はじめから第六章「ドン・キホーテとアンティゴネー」へとむかいつつ、けっして文字どおりのとはいえない、多分にメタフォリックでありつつ、しかしそれでいてほかに呼びようがないものところから、そしてそれはまたおそらくは原初的な意味を含みつつ、音楽、が析出されてゆく。

レヴィ=ストロースにおける一種の出発点としてあったブラジル。だが、アマゾンを調査する人類学者は、リオデジャネイロでおこなわれていた詩のうごめきにまで感度を届かせる余裕はなかったかもしれない。

『魔法使いの国の掟』は、この街の四詩人を扱うが、個々の紹介や検証にとどまらぬ、独特な語りを持っている。構成は、(ボサノヴァでは忘れることのできない)ヴィニシウス・ヂ・モラエスをほぼ中央におき、バンデイラとメイレーリスを前後に、さらにドゥルモンを扱う六つの章からなる。特に余計な解説が施されるわけではなく、ぽん、と、しかしみごとに適切におかれる詩篇。その美しさ。だが、各詩人について論じられつつも、そこにあるのはより普遍的な文学の、詩の問題、いや、詩とは何か、なのだ。