エミネムを支え続けた最大の恩人、D12のプルーフが銃死……
デトロイトのラッパーでD12のメンバーでもあるプルーフが、4月11日早朝、地元のクラブ〈CCC〉にて頭や胸を銃で撃たれ、近くの病院に運ばれたが亡くなった。享年32歳。プルーフと共に病院に運ばれたキース・ベンダーなる一般男性も昏睡状態が続き、4月18日に亡くなっている。その後、ベンダーの従兄弟でもある〈CCC〉のバウンサー、マリオ・イサレッジが警察に出頭し、プルーフを撃ったことを認めた。イサレッジの証言や目撃情報によると、発砲事件はビリヤードのゲームを行っていたプルーフとベンダーの口論をきっかけにして起こり、最初にプルーフがベンダーに対して発砲、それを受けてイサレッジがプルーフを撃ったという状況だという。真相はあきらかになっていないが、イサレッジ側の弁護士は正当防衛を主張しており、警察も彼には〈銃器隠匿所持〉及び〈建造物内での発砲〉の容疑を課したのみで、殺人罪に関しては不問。イサレッジは4月16日になって保釈されている。
デトロイト出身のプルーフは、奇しくも先日他界したJ・ディラ(年齢も同じだ)と並んで、90年代初頭から地元シーンの発展に寄与してきたデトロイト・ヒップホップのパイオニアである。エミネム主演映画「8マイル」に登場する〈フューチャー〉はプルーフをモデルとしており、そこで描かれているようにMCバトルやイヴェントを主催して、エミネムら地元アクトの活動を応援してきた。みずから結成したD12のブレイク後も地元にこだわり、2001年にはプロマティックを結成して自身のレーベル=アイアン・フィストからデビュー。昨年には、初の正式なソロ・アルバムとなる『Searching For Jerry Garcia』もリリースしたばかりだった。
そして、4月19日にはデトロイトにてプルーフの葬儀が行われ、およそ2,000人が参列した。エミネムらD12の仲間はもちろん、オービー・トライス、ドクター・ドレー、50セント、ロイド・バンクス、ヤング・バック、イグジビットらも出席。プルーフを描いた黒いTシャツを着て参列したエミネムは、泣き腫らした目で「プルーフがいなければ、エミネムもスリム・シェイディもD12も存在していなかった」と語った。
一方、ベンダーの未亡人と母親はプルーフ側に対して事件の責任を求める不法死亡訴訟を起こしている。本件に関してベンダー側の弁護士は「尊敬すべき無実の人間の命を奪った人間が、英雄や犠牲者のように賛美されているのは恥ずべきことだ」とコメントしている。犠牲となったキース・ベンダー、そしてプルーフのご冥福をお祈りします。







