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インタビュー

Jean-Claude Pennetier

ペヌティエは、珍しい出発点と、これまた特異な来歴の持ち主である

「自分の母は、生まれる前から子供は音楽家にしようと決めていたんです。それで最初はオルガン、それからピアノを習いました。5歳の時にはじめて習った先生からは、あらゆる複雑な和音を聴き分ける訓練を受けました。そのとき習熟した、音楽を聴く方法は今も役立っています。6歳でパリに出て、リュセット・デカーヴについて本格的にピアノをはじめ、その後ヴィオラ奏者のピエール・パスキエ夫人の、和声、作曲、指揮法、アナリーゼなどのクラスで大きな影響を受けましたし、フォーレについても深く学びました。
ただ、あくまでオルガン第一でして、1961年にマルグリット・ロン国際コンクールで2位になった時も「オルガニストになる」と言って、「一体何を言ってるんだ?」と周囲に呆れられました(苦笑)。つまり私が音楽家になったのもピアニストになったのも偶然です。ただ、それでよかったんでしょう。今になってオルガンへの興味が増してますし(笑)」

ところで、ペヌティエはどうしてもフランス楽派の一員として紹介される機会が多かったように思う。そのあたりを伺ってみた。

「〈フランス楽派〉なる言葉は、実際とても曖昧です。ピアノ演奏芸術では、カザドシュが最後の大家で、以降はこの括り方は無理でしょう。自分の演奏に対する外国の批評に、「エレガンスと情熱の同居が極めてフランス的」などと書かれてたりしますが(苦笑)、演奏家とは己の出自にまつわる紋切り型を乗り越えねばならぬ存在です。ただ、フランス音楽に関しては、フランス的な特徴を指摘することは出来るでしょうね。一つは〈ディスクールの明晰さ〉。この特徴はいかなる時代のフランス音楽にも共通しています。もう一つは〈和声的洗練〉。ただし、偉大なるベルリオーズは、フランス的というより構築的な和声を操った作曲家ですから、フランス的伝統からは逸脱した存在です」

またペヌティエは指揮者、作曲家としても活動しており、かつレパートリーは現代にまでに及ぶ。

「あらゆる音楽家にとって現代音楽に通暁していることは〈義務〉です。そうそう、一緒に仕事をしたオアナ(1913-1992)は、ピアノを楽器そのものとして愛していて、一方の私は、ピアノのための音楽作品を愛していました。彼のおかげで、あの黒い物体が、あらゆる精神を内包する魔法の筺として本当に好きになりました(笑)。初演・録音も含めて、彼との出会いは非常に重要でしたね」

もう1枚のシューベルトは、1999年に【Lyrinx】からリリースされ、シャルル・クロ賞を受賞した2枚組、【HMF】の1枚に続く、久々の録音である。

「とても怠け者だから録音は久々です(苦笑)。家庭の、自宅の音楽であるシューベルトは、私の根幹に関わる音楽家ですね」

Mirareからのフォーレピアノ作品全集の合間に、他の作曲家の作品も、時を得ては刻んで貰いたいところである。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2010年11月10日 11:46

更新: 2010年11月10日 12:18

ソース: intoxicate vol.88 (2010年10月10日発行)

interiew&text:川田朔也(音楽評論・仏語翻訳)