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インタビュー

Myra Melford

細心にしてしなやかな好奇心とともに、越境するピアノ

オフの彼女はどこか少女っぽい感じを残す、柔和で小柄な女性。いつもニコニコしながら、興味深いものを探しているという感じもあるか。なんか、健やか。米国を代表するアヴァン系女流ピアニストはそういう人であるのだ。

「シカゴ郊外で育ち、5歳からピアノを習い始めた。その頃から音楽家になりたいとは思っていて、指揮者か作曲家に憧れたわね。でも、高校に行く頃には音楽をやめてしまい、ワシントン州にある大学に進んで環境化学を専攻したの。とはいえ、ジャズ・ピアノに対する興味はあって、レストランの掲示板にあったジャズをレッスンしますという案内を見て、それを受けたりもしたわ」

彼女が自分のピアノ表現と向かい合おうと思ったのは、その頃だった。

「アミナ・クローディン・マイヤーズやリロイ・ジェンキンスが演奏に来た事があって、その実演は私がそれまで知っているジャズ〜チャーリー・パーカーをはじめとするビ・バップとはまったく違うものだった。聴いたとたんに衝撃を受け、私も自分の音楽を探さなきゃと思ったの」

その後、ボストンを経由して、彼女は84年からNYに拠点を置くようになる。曰く、ヘンリー・スレッギルらに師事した80年代は修行の時期。そして、90年代に入るとエネミー他から、様々な編成を取るリーダー作を飄々とリリース。ブランドン・ロスやクォン・ヴーらが参加した、新作『The Whole Tree Gone』は閃きと風情と具象性を巧みに秤にかけつつ、四方に散る内容になっている。

「当たり前じゃない編成を楽しみたいという気持ちはある。でも、まず楽器編成ありきではなく、書いた曲に楽器や奏者のパーソナリティを見いだしていくの」

藤井郷子とはデュオ・アルバム『Under The Water』を発表したり、米日で一緒にギグをやるなど仲良し。そもそもは90年代中頃、ポール・ブレイが二人の間を取り持ったのだそう。藤井がそうであるように、メルフォードも基本オリジナルで自分の瑞々しい即興表現を開く人物だ。

「ビョークの曲を取り上げる人もいるけど、確かに私はそいういうことに興味はない。だけど、アンドリュー・ヒルとか、身近なところだとマーク・ドレッサーとか、そういう同志と思える人たちの曲は演奏する。ようは、自分が出せるかどうかがポイントと思う」

思うまま、自由に。カリフォルニア大学バークレー校で教えるようになり、04年以降は西海岸ベイ・エリアに住む彼女だが、かつては一年ほどインドに住んだこともあった。

「インド古典音楽を学んだの。でも、奥がとても深いので、そんな期間ではとても会得できるもではないけれど。だから、音楽的にというよりも、そこでの生活や人との交流こそが得たものであり、それは私の音楽に跳ね返っているはずね」

土足で入り込むのではなく、細心にしてしなやかな好奇心とともに、越境するピアノ。それこそが、メルフォード流ジャズの要点なのだ。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2010年10月27日 11:57

更新: 2010年10月27日 12:52

ソース: intoxicate vol.88 (2010年10月10日発行)

interview & text : 佐藤英輔