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インタビュー

INTERVIEW(2)――世界の終わりだなって思ったあの瞬間から始まった

 

世界の終わりだなって思ったあの瞬間から始まった

 

――そこから、どういうふうに世界の終わり結成に至ったんですか?

深瀬「2年半ぐらい前から、中島がドラムで、初代LOVEがベースで、ピアノが藤崎で、僕がギター/ヴォーカルで、っていう編成でコピー・バンドをやってたんですよ。それから、徐々にオリジナルもやっていこうか、ってシフトしていったのが2年前」

――では、バンド名を世界の終わりにしたのは?

深瀬「ライヴハウスを作った時、壁を塗ったりとかから始まって、けっこう大変だったんですよ。でもすごい楽しくて。そんなに俺、楽しいなって思ったことが、いままでの人生のうちではなかったんですよね。それで、〈俺、どの瞬間からこんなに友達ができたんだろう?〉って振り返ってみたら……それは精神病院で、〈俺、もう何にもなくなっちゃった。もう、生きるのをやめちゃおうかな〉って思ってた時から何となく始まってる気がして……僕の人生の、世界の終わりだなって思ったあの瞬間から始まって、いま、僕には仲間がいる、っていう感じでつけたんですよね」

――それまで孤独感みたいなものはありました?

深瀬「孤独というか、目標がなかったんですよね。何を大事にしたらいいかわからなくて。たぶん、孤独ではなかったと思うんですよ。友達もたくさんいて、で、変な話なんですけど、特に何かに不自由したっていう記憶はあんまりなくて。学校に行かなかったのも暗い気持ちっていうよりも……起きれない、みたいなのとかで。だから、絵に描いたような孤独、っていうのはなかったと思うんですけど」

――お伺いしていいのかわからないんですけど、その、NYでパニックになってしまったというのは、ご自分では何が原因だったと思います?

深瀬「やっぱり先天的なものが大きいというか、性格というか。精神医学を勉強してみると、心っていうのはすごく難しい分野なんですけども、心はやっぱり脳なんですよね。脳の病気。薬で治る。薬物治療でも治れば、植物栽培療法みたいなのでも治る、運動療法でも治る。僕の心がおかしくなっちゃったのは…………うーん…………原因を探ってみれば、あんまり平穏な人生ではなかったんで、そういうのも影響してるのかなって思うんですけど。家族に言わせると、ちっちゃい頃からパニックになりやすかったというか」

藤崎「うん。病気として割り切れる部分と、性格の部分と、両方あると思う」

 

世界の終わり_Asub

 

――周りから見てても。

藤崎「そうですね。病気だっていうのは、単純にいま一般に認められてる精神病の一種であって、それは例えば骨折と同じようなものですよね。あと性格の部分というのは、私よくインタヴューで言ってるんですけど、深瀬は方法と目的の順番が決まってる人で。例えば、先生になりたいから大学に行く。それは、先生になりたいっていうのが目的で、大学に行くのは方法。でも、大体の人は、とりあえず大学に行くじゃないですか。方法を取ってから、目的を探す。それが深瀬はできなくて、精神病院に入ってバンドに〈世界の終わり〉っていう名前をつけるまで、このclub EARTHを立ち上げるまでは、目的のほうが見つからなかった。たぶん、ずっと目的を探してたんだと思うんですよ。先に方法から入れないから、学校も行けないとか、アメリカからも帰ってきちゃうとかってことになる」

――それは真面目とも言えるし、不器用とも言えるのかな? 先に方法を取れる人、取れない人がそれぞれ正しいかどうかは別として。

藤崎「そうですね。でも、私も先に大学まで行ってますけど、方法を先に簡単に取ってしまえる人間からすると、逆に器用だなって思いますけどね。目的って、持っていたとしても忘れちゃうものじゃないですか。ミュージシャンになりたいから、楽器が必要だからバイトするけど、バイトが忙しすぎて音楽が作れない、みたいな。そのままバイトの店長になっちゃった、みたいな。何したかったんだっけ? みたいな。その目的をみんな忘れちゃうなかで、深瀬は先に目的がこないと絶対に前に進めない。だから、club EARTHを作るっていう目的が見つかって、バンドをやるっていう目的が見つかってからは、ものすごく強いです。深瀬は」

――その目的が音楽?

深瀬「目的自体は〈仲間と楽しむ〉ということなんですけども、そこにひとつの課題があったほうが、みんなもだらけないしおもしろいかなと思って、音楽というツールを使ってるというか」

藤崎「逆か。仲間と楽しむっていう目的があって、ライヴハウスを作るっていう方法を取ったってことか」

――そして、方法がライヴハウスだったから、音楽に繋がった。

深瀬「そうですね。だから僕、元々は音楽がまったくできなかった。いまでもできないんですけど、歌が全然歌えない。音程が取れないし、声も良くないし、出ないし、みたいな。歌詞も良くないし、曲も良くない。じゃあ俺、どうやって音楽をやっていこう? って、仲間が音楽をやってたから、どうにかついていかないといけないな、と思って、自分なりに一生懸命がんばったんです。だから最近自分で思うのは、中島が映画が好きで映画のことをずーっとしゃべってたら、俺はなんやかやで映画のことをやってたりするのかな、って。仲間がいると、協力するために自分もそれについて考えてく、っていうか。苦手なものはあるんですけど、たぶんクリエイティヴなことは昔から好きだったんで、〈自分には音楽しかない〉っていう感じではないなと思ってますけど」

――ついていかなきゃ、っていうのでがんばった人が、いまや作詞/作曲の中心になっているというのがおもしろいですね。

藤崎「ついていかなきゃというか……深瀬はコンプレックスがすごいんですよ。勝手に私たちのほうが(音楽が)できると思ってて。だから、コンプレックスをもとに、ひとりで勝手にバーッて上がっていった感じですね。こちらから見れば」

 

カテゴリ : ニューフェイズ

掲載: 2010年03月31日 17:59

更新: 2010年03月31日 21:40

インタヴュー・文/土田真弓

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