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カタログ再発プロジェクト<LOVE 4EVER>発売記念イベントレポート

LOVE 4EVER発売記念イベントレポート

4/21プリンスの命日に行われた発売記念イベントレポートが到着!

スペシャルゲストをお招きしたトークショーと、
4月26日発売『レイヴ完全盤(ULTIMATE RAVE) 【2CD+LIVE DVD】』に収録されているライヴ映像の一部を先行でご覧いただきました。

■開催日時:
2019年4月21日(日)

■出演:
宇野維正さん(映画・音楽ジャーナリスト)
西寺郷太さん(NONA REEVES・音楽プロデューサー)
長谷川友さん(プリンス愛好家)

■イベント内容:
トークショー&『レイヴ完全盤(ULTIMATE RAVE) 【2CD+LIVE DVD】』先行上映会

宇野
本日はお越しいただきありがとうございます。今年の4月21日はプリンスの命日であると同時に、それが<イースター>、つまり“復活祭”にも重なっているということもあり、このような機会に参加させていただけることをありがたく思ってます。今日は司会と進行とパネラーの1人を務めさせていただきます。
西寺
よろしくお願いします。宇野さんとは、色んな現場でご一緒してるんですけど、友さんとこうして公式な場で話すのは初めてで、超嬉しいですよ。
長谷川
よろしくお願いします。
宇野
このイベントはソニーミュージックのカタログ・リリース・プロジェクト<LOVE 4EVER>の発売記念として行っているんですが、ここに来てこのプロジェクト、盛り上がってきていますよね。
西寺
僕がライナーノーツを担当させてもらったカセット『ザ・ヴェルサーチ・エクスペリエンス』。まさに今、手に持ってるこれなんですが、予約と同時に完売状態みたいで。ネットでは値段がめちゃくちゃ高騰してるみたいなんですけど。
宇野
ソニーのほうでも増産に入っているという話を聞きました。
西寺
さっき、スタッフがそう話してくれましたね。で、『レイヴ完全盤』も発売になりますが、この初回生産限定盤もネットではすぐ完売だと。
宇野
プリンス・エステート公認の新規アートワークもすごく可愛いですよね。
西寺
銀箔仕様で。
宇野
『ザ・ヴェルサーチ・エクスペリエンス』の国内盤は海外のコレクターの対象にもなっているらしくて、そういう人たちに買い占められちゃう前に手に入れておかないとですよね。
西寺
モノとして、カセットテープの持つ魔力ってありますよね。
宇野
特に日本のプロダクトはクオリティーが高いし、こんなに丁寧にやっている国も他にないので、そういう意味でターゲットになってしまうのは仕方がないのですが。特にCDは(BluSpec CD2で)音もいいですしね。
西寺
カセットに関しては、輸入盤より国内盤のほうが圧倒的に音がいいですし。
宇野
今日はプリンスが亡くなってちょうど3年ということで、まずはおふたりが最初に訃報を聞いたときはどういう気持ちだったのか教えてもらえますか?
西寺
僕は『パープル・レイン』が大流行した小学5年生当時、英語教師だった父親に「プリンスはエロいこと歌っている。けしからんから中学生になるまで聴くな!」と禁止されていて。でも、抑圧されると逆に聴きたくなりますよね。英語のわかる父親から隠れてコソコソ聴く、そういう衝動が最初プリンスにはあったんです。3年前の今日、日本だと22日ですか。訃報に気がついたのは深夜3時くらいで、ちょうどその日は東京で親族の法事がある日で、両親がウチに泊まってたんですよ。早朝になって、父親が起きてきて、「郷太、プリンスが亡くなったらしいな」と。個人的に言えば、その前々日がユニバーサル社から発売の『ヒット・アンド・ラン フェーズ・トゥー』のライナーノーツの最終校正で。入稿してホッとしてた直後だったんですね。J-Waveの番組に急遽電話で出たり、NHKに呼ばれたりと、取材攻勢で忙しかったのを覚えています。
長谷川
僕はその頃ちょうど身内に不幸があって、さらに僕が働いていた雑誌の『beatleg』が休刊になってしまったんです。いろんな不幸が重なったタイミングだったんですが、プリンスに関してはファンジンを自分でやろうと。結局2号出して、3号目を書き終わったときに疲れて寝てしまったんです。そしたら寝たあとに携帯がたくさん鳴って。なんか嫌な予感がして携帯を見たら訃報が届いて。その瞬間にすべてが終わったというか、何ももう書けないなって。同時に、プリンスという人が僕に文章を書かせてくれていたんだなって実感したんですよね。訃報のあとはプリンスの音楽、全然聴けなくて。(あしたのジョーの)矢吹丈が人の顔を殴れなくなっちゃうみたいな感じで、プリンスを聴くと吐きそうになっちゃって震えも来るようになっちゃって。
宇野
(矢吹丈がスランプを抜け出すきっかけとなった)カーロス・リベラは現れました?
長谷川
カーロス・リベラはNHKの「プロファイラー」というお仕事でしたね(笑)。死後一年半ぐらいだったんですけど、それまでは本当に聴けなくて。でもそのお仕事をきっかけにリハビリというか、だんだん聴けるようになって。このソニーさんの対談の仕事などを通じて今はもう大丈夫になりました。
西寺
僕も翌日、『ヒット・アンド・ラン フェーズ・トゥー』のライナーノーツに短い追悼文を書き加えている間に、急にぐわっと涙が出てきて。号泣してしまったのを、その時6歳だった息子に見られて「なんで泣いてるの?」と。僕はプリンスという人がいなければミュージシャンになっていなかった。強烈に好きなアーティストはもちろん何人かいます。けど、自分が作詞・作曲をして、アルバムを作ったり、他のアーティストをプロデュースしたりしたいなと、心に決めたきっかけはプリンスだったんですよね。十代の頃にバンドを組もうとしても、たいてい「お前がやりたいと思っていることが分からない」って言われて断られてばかりだったんです。でも、それでも何人かは「郷太はプリンスを知ってるから」ということで、僕の感覚を信頼してくれる人がいたりもして。プリンスを好きでいることが誇りでした。仲間を探しに東京に出てきたことも、ノーナ・リーヴスが組めたことも全部に彼の音楽やパーソナリティが影響を与えていて。デビューのレーベルもプリンスがいたからワーナーミュージックを選んだし。家族も結果的に音楽の道を選んだからこその、今の状態なわけで。そう考えると、宇野さんとの関係もそうですけれど、プリンスがいなかったら自分は今の自分ではなかった、って思って、感謝の想いと喪失感で泣けてきたんです。プリンスがいなかったら僕の人生は全く違うものになっていたと思うんですよね。
宇野
プリンスがいなければこの仕事やってないという意味では、僕も同じで。小学生の時に佐野元春さんで音楽に目覚めて、中学生になってプリンスで音楽にはまって。その二つのアーティストに関する仕事を当時(日本で)一番していたのが渋谷陽一さんだったんですよね。結局渋谷さんの会社、ロッキング・オンに入った後、「あれ? 自分はそんなにロックが好きじゃなかったかも?」って気づくことになるんですけど(笑)。80年代の後半、プリンスの新作を初めてオンエアしていたのが渋谷さんのやってるNHK FMの番組だったんですよ。発売前に何曲も続けてかけてくれて、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』や『パレード』の時は正座しながら聴いてましたね。当時は、渋谷陽一さんが伝道師的な立場だったので。まあ、日本のライナーノーツ文化みたいなものに関してはいい面も悪い面もあったとは思いますが。
西寺
え、悪い面あるんですか?(笑)
宇野
いや、これは渋谷さんに関しての話じゃないですけど、昔のライナーノーツって音楽ファンから槍玉に上がったりするじゃないですか。最近はそういうものはほとんどないですけど、昔はちょっと内輪ノリやポエムっぽいやつもあったりして。今、自分がそのライナーノーツをプリンスでも書かせていただているのは凄く不思議な感じがしますね。

LOVE 4EVER発売記念イベントレポート

西寺
おふたりは僕の3つ4つ年上なんですよね?
宇野
学年は長谷川さんのひとつ下ですけど、僕と長谷川さんは1970年生まれのタメなんですよ
西寺
僕はそれが羨ましいんですよね。僕が1973年なので、ちょうど小学生と中学生の違いというか。
宇野
プリンスの初来日に(長谷川さんは)高2で行っていて、僕は高1で行っていて。
長谷川
僕は初日に行きました。
宇野
僕は2日目に行って、結局それがプリンスにとってザ・レヴォリューションとの最後のライブになりました。
西寺
さきほど楽屋でもおっしゃっていましたが、あれでおふたりとも人生が変わったんですよね。
宇野
あれは変わりますよ。
長谷川
あれ以上はないですよ。逆にあるんですか?と聞きたい(笑)。
西寺
あはは(笑)。僕らのように小学生でプリンスに好きになったりすると親に「変態やないか!」「パンツとハイヒールで歌ってるのは、けしからん!」とか、「英語の歌詞、むちゃくちゃエロいこと歌ってるじゃないか!」とかいろいろ邪魔が入って(笑)。『パープル・レイン』で中・高校生だと自分で何とか動けただろうから羨ましいなと。
宇野
批評家としてのスタンスからいうと、3年前の2016年ってポップミュージックにとって特別な年だったと思うんですよ。プリンスの前にデヴィッド・ボウイが亡くなって、年末にはジョージ・マイケルまで亡くなった。一方で、2016年は今のポップミュージックの新しい流れが決定的になった年でもあった。最も売れているものが最も先鋭的な作品という奇跡みたいな時期がポップミュージックの歴史には何度かあって--プリンスが最も売れていた80年代後半もまさにそうでしたけど--その年にはビヨンセが『レモネード』を、フランク・オーシャンが『Blonde』を、チャンス・ザ・ラッパーが『Coloring Book』を、ソランジュが『ア・シート・アット・ザ・テーブル』をリリースした。個人的には、この年を境に音楽の聴き方がストリーミングというリスニング環境への移行も含めてガラッと変わって。プリンスが亡くなってから、長谷川さんと同じように僕もしばらくプリンス聴けない状態だったんですが、そんな時にプリンスの影響下にある若いアーティストの作品をまるで高校生の頃に戻ったように夢中になって聴くようになって。自分はそういう新しい音楽にのめり込むことで、心の欠落を埋めていたところがあったんですよね。でも、今回の再発プロジェクト<LOVE 4EVER>をきっかけに、またプリンスの音楽と改めて向き合えるようになってきたんですよね。
長谷川
そうだったんですね。
宇野
それでここからが今日のメイン・テーマになってくると思うのですが、来日も頻繁にしていた90年代前半までと、今回の再発プロジェクトの対象となっている1995年以降だと、日本の音楽ファンの間でもプリンスに対する温度差があるというか。リアルタイムではあまり熱心に聴いてこなかった人も多かったと思うんですよね。
西寺
1995年以降の作品はネットで高騰していたり、好きになっても手に入らない時期がしばらく続いていた。今回Spotifyなどを通じてデジタル配信が解禁されて、フィジカルでもソニーが愛情をかけてリリースしているので、この1995年以降の時期を、プリンスを研究していた長谷川さんに詳しくお話をお聞きできればと。
宇野
ちょうど『レイヴ完全盤』のリリース(4/26発売)もありますが、このレイヴの時期はどのような時期だと長谷川さんはとらえてますか?
長谷川
このときはあまり認知されていなかった時期だとは思うんですよね。でもプリンス自体は常人を超えるハイペースでどんどん作品を作り続けていた。僕らのようなファンはネットを通じて追っかけていたんです。
宇野
当時はまだ、インターネットも黎明期でしたよね。
長谷川
そうですね、僕は1994年『インタラクティヴ』というCD-ROMが出たことをきっかけに僕はパソコンを買ったんですけど。
西寺
『インタラクティヴ』を聴くがためにね(笑)
長谷川
プリンスに近づきたいがためにパソコンを勉強した、英語を勉強した、そういう風にずっと追っかけていて。その中で『レイヴ完全盤』はある種の集大成だと思うんです。ミレニアムのときのアルバムというのもありますが、この作品に収録されているライヴ映像はギターやピアノやダンスといった、プリンスのエッセンスがぎゅっと詰まっているので、プリンスをあまり追いかけてこなかった人には一番わかりやすい入門編になるのかなと。
西寺
僕は『ザ・ヴォルト』とセットみたいなところがあるんですよね。
長谷川
それでいいと思います。『カオス&ディスオーダー』をやっつけ仕事だと言う人がいますが、『イマンシペイション』と同時進行で制作していたアルバムなんですよね。『ザ・ヴォルト』にも当時の新曲が入っていたので、発売されたものを聴く、というのが正しい聴き方だったと思いますね。当時追いきれなかった方は、『レイヴ完全盤』収録のライヴ映像をまずは観る、というのが良いかと思います。
宇野
当時、輸入盤屋へ行くと『ザ・ヴォルト』や『レイヴ』みたいに「え、またプリンス出したの?」みたいな状況が続いていて。今でこそドレイクやミーゴスみたいにフィーチャリングも合わせて年間何十曲もストリーミングで次から次へと作品をリリースするアーティストはいますけど、そう考えるとプリンスみたいな作品をどんどん作り続けるタイプが今の時代に生きていたらって思っちゃうんですよね。それに、結局プリンスもジョージ・マイケルもレコード会社との契約問題でキャリアを振り回されましたけれど、そういう過去の闘いがあったからこそ、今アメリカで活躍しているアーティストはほとんどがインディペンデントで活動している。レコード会社に所属していても、たとえばビヨンセはソニーではなくあくまでも彼女自身がすべてをコントロールしている。そういう今のミュージック・ビジネスの基盤ができたのは、プリンスの教訓があったからこそなんですよね。だから若いアーティストがプリンスを尊敬しているのは、もちろん作品もありますが、やっぱり道を作った人としての存在も相当大きい。今活躍しているアーティストを見ていると、そういう夢想をしちゃうんですよね。ただ、当時のアーティストを取り巻く環境は、いろんな意味でプリンスのクリエイティヴィティに追いつけなかった。
西寺
1年で多くてアルバム1枚、下手したらアルバム発売して2年、3年経ってからアルバムのシングルを出したりするアーティストもたくさんいますからね。
宇野
マイケル・ジャクソンやジョージ・マイケルなんて、平気で6年、7年とタームが空いてましたからね。
西寺
『スリラー』から『バッド』まででも約5年も空いてましたから。プリンスはそのとき異常な多作家だと言われていましたけれど、今考えると、時代がプリンスに追いつこうとしていますよね。CD売れないとか言われて久しいですけど、プリンスはライヴや新聞にCD付けたり、ファンクラブ限定で出したりと、今の若いアーティストが試していることをすでにやっていて。ただプリンスを当時追うのは本当に大変でしたよね。ダウンロードにしても、ネット環境まだまだな時期でしたから。夜寝る前にネットを通じてダウンロードを始めて、朝起きてパソコンみたら「ダウンロード失敗しました」みたいな、え?何やねん!ってそんな話よく聞きましたけど(笑)。
長谷川
あはは(笑)。
西寺
特にライヴのチケットにアルバム『ミュージコロジー』を付けたアイディアは凄かったですね。ペイズリー・パーク・スタジオを所有して四六時中レコーディングしたり。ライヴハウスを自宅に作ったり。まさに先駆者だった。きっといつもそういうこと考えていたんでしょうね。
長谷川
閃きで動く人だったんでしょうね。
西寺
アーティスト名をマークに変えるというのも、他にこういう人いないですよね。
長谷川
プリンスは天才でしたからね、常人には分からない行動だと思います。さきほどリリースのペースの話がありましたが、プリンスの場合は1日1曲ではなくて、1日4曲とか作っちゃう。ひとつのレコーディングに入るとき、まず彼はドラムを叩いて、次にベース、そのあとギターを弾いてというのを重ねていくのですが、4曲同時進行でやっちゃうんですよね。それがアルバムの『パレード』なんですが。
宇野
え、『パレード』って4曲同時進行で1日で作っちゃったんですか? イヤになっちゃいますね(笑)
西寺
レコーディングの記録が残っていて、その日付をみるとそういうことになるんですよね。
長谷川
はい、しかもライヴをしながらレコーディングしていて。リハは他のメンバーにやらせておいて、自分は曲作りをしていたという。他の人ともう世界観が違うんですよね。1日48時間でやっているようなもんですから。
宇野
今のスーパースターは一大企業みたいなもので、優秀なスタッフがたくさんついている。でもプリンスは基本全部ひとりでやっていた。そう考えると誰もプリンスには追いついてはいないですよね。
西寺
今のアーティストはリリースできる環境があるけれど、昔はそれが今のように配信などですぐリリースできなかった。それでもプリンスは作り続けていましたよね。
長谷川
リリースするタイミングなども凄く考えていた人だと思います。1年にアルバムを何枚も作れるような人だったのに。それだけ常人じゃない天才だったなと。
西寺
本当に多作のアーティストで、今こうやって再発プロジェクトで聴けるようになって、今だからこそ分かることというのがあると思うんですよね。プリンスの凄いところって、一定の人以外には届かなかった音楽も残っている。たとえばビートルズとかだと最初から最後まで好きな人だったらみんな知っているわけじゃないですか。プリンスの場合はそれでも届き切らない膨大な量の曲がまだ残っている。2019年や2020年になっても「ああそういうことか」と思うような曲や情報がまだまだ残っていると思うんです。僕もそうですし長谷川友さんでさえまだまだ全部は把握できていない、理解できたわけではないと思うんですよね。誰もみんな全部理解できたとは思っていない。でもこのタイミングでこういった再発プロジェクトが始まって、カセット『ザ・ヴェルサーチ・エクスぺリンス』が爆売れして、さらにライヴ映像が収録された『レイヴ完全盤』もリリースになって。なんだかこの1995年~2010年の時期は分かりにくいなと思っていた人にぴったりなライヴ映像がこうやってまだ残っていて発売できる。そういうこと含めて結果的にプリンスという才能があとから実感として分かってくるというのはあると思うんですよね。
宇野
あんな形でプリンスが亡くなるなんて、本人も想像してなかったと思うんですよね。現在のインディペンデントで活動している人気アーティストも、遺産の管理の問題という点では、プリンスは一つの教訓になるかもしれない。実際亡くなった直後は一部の作品の価格がネットで高騰していて、新たない聴いてみたい人はどうするんだろうと思っていた。これからも遺産のことなどでプリンスはいろいろあると思うのですが、おふたりはこのあたりどう思っていらっしゃいますか?
長谷川
僕はプリンスも所詮人間なんだなと思いました。プリンスって天才で、作品も膨大にあって、たくさん未発表曲もある。でも亡くなってしまうとお金の問題などが出てきたりして、そのあたりは非常に人間的というか。
西寺
誰かプリンスを監督できるというか、相棒みたいな人はいなかったんですかね?
長谷川
プリンスには友達がいなかったという説はありますよね。もちろんビジネス的なパートナーはいたと思うのですが。
西寺
僕はちょっとそこが引っかかるというか。ワーナーとあれだけ喧嘩をして離れて自由を手にするんだと『イマンシペイション』を作って、いろいろファンクラブも運営していたじゃないですか。曲作りの天才で、新しいリリース形式を考える偉人だったと思うんですが、いろんなことをやるにもちょっとしたした細かい事務作業ってあるじゃないですか。前はYouTubeにいろいろUPされてもすぐ削除されてましたけど、プリンスが亡くなってからはどんどんUPされている。僕はプリンス本人が生前に自分でYouTubeの動画を削除していたんじゃないかなと思っちゃいました(笑)。
長谷川
いや本人やっていた可能性ありますよね(笑)。『クリスタル・ボール』というアルバムも、自分で発送したいと言っていたぐらいですから。そういう人間臭さはあったかなと。
西寺
世界的なメガスターなのに、敢えてエレクトリック・フィータス(ミネアポリスのレコード屋)限定で作品を売ってみたりとか。いろんなことをトライしづづけた人が、自分の死後はたとえばシーラ・Eのように自分をわかってくれている人を責任者に指名するとか、膨大な作品を管理する誰かを決めていなかったことが、逆に僕には不思議というか驚いたんですよね。
宇野
それだけ自分があのタイミングで死ぬだなんて思ってもみなかったんでしょうね。
西寺
今こうやってソニーが再発プロジェクトを行っていますが、1995年から2010年の作品のなかで、長谷川さんはどれが好きとかありますか?
長谷川
全部好きですね。結局プリンスのすべてを知りたいって思っているので。
西寺
こうやって見てみるとオレンジ色のジャケ写のが多いですよね。
長谷川
確かにそうですね。巨人が好きだったとか(笑)。
(会場:笑)
西寺
長谷川さん、ウケてますよ(笑)。
長谷川
恐縮です(笑)。

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宇野
ワーナー期の『LOVESEXY』までは毎回アートワークが衝撃で、作品の内容だけでなく毎回そのビジュアルも大きな話題になっていましたけど、1995年以降はアートワークのテイストが以前と違いますよね。
西寺
そうですよね。僕はそういう意味で言葉を探すと、この時期は“真髄期”だと思うんですよね。結局プリンスはいわゆる後期のこのスタイルが好きだったのかなと。ジャケにしても、ちょっとアニメになっていたりとか。2010年に出た『20Ten』も素晴らしいアルバムですしね。プリンスは、後半ともかくどんどんプリンスになっていったんじゃないかなと、そう思うんです。ヘアスタイルもアフロに戻ったりね。最初のアルバムの『フォー・ユー』とか、『愛のペガサス』あたりは自分ひとりでコントロールして演奏していたと思うのですけれど、だんだんザ・レボリューションのメンバー、特にリサやウェンディというようなびっくりするような天才が入ることで化学反応が起きて。でも、1989年のサウンドトラック『バットマン』の時に、彼は一旦、自分ひとりでやろうと原点に戻った気がするんです。映画の音楽なので凄く芸能的だと思われがちな作品なんですが、アルバムとしては、4作目の『コントロヴァーシー』に凄く似ているなと。1曲目の「フューチャー」と「コントロヴァーシー」が、4つ打ちで、ニュー・ウェーヴ的で、ワンコードで引っ張っていくグルーヴの感じとか。で、その後「ニュー・パワー・ジェネレーション」でしばらくまた大所帯バンドの時期が訪れて。その後、1995年以降になるとレーベルも離れ、ひとりでどんどん好きな音楽を追求していくわけですが。たとえばワーナー期を“黄金期”とか“絶頂期”という人がいるならば、なんていうのかなと考えると。“円熟期”という意見もあるんですけど、円熟してるかな?と。むしろプリンスはどんどん自分に正直になっていった気がして。その意味で、僕は“真髄期”かなと。
宇野
“わがまま期”とかね(笑)
長谷川
あはは(笑)
西寺
この時期(1995年~2010年)はアートワーク含めて、プリンスが何もかも好きなようにやっていた時期なのかなと。
宇野
郷太さんよくレヴォリューションと一緒にやっていた作品はバンドの作品だっておっしゃるじゃないですか。僕もその通りだなというか。当時はプリンスがすべてやっていると思っていましたけれど、実際はウェンディ&リサが書いた曲とかもありましたし。
西寺
「Sometimes it snows in April」とかね。
宇野
ワーナー期はアートワーク含めてスタッフもスーパースターを支えていたと思うんです。そういうのがアートワークに如実に出ていたかなと。数年前に写真家のアントン・コービンに話を聞く機会があって、「これまで一番仕事をしてやりにくかったのは誰ですか?」って聞いたら「間違いなくプリンス」って答えたんですよ(笑)。どうやらスタジオでプリンスに会ったとき「あの写真良かったよ」ってプリンスが言ってきたらしいですが、それは彼が撮った写真のことじゃかった(笑)。さすがにそれは本人に「違う人の写真です」とは言えなかったらしいですけれど、やっぱり感覚的な人で、音楽的には凄かったけれど、アートワークとかそういうところにまでセンスを張り巡らせているタイプではなかったのかなと。
西寺
ずっと追いかけてきた人からみたらどれもたまらないもので、たとえば(パネルを見ながら)僕はNPG Music Clubから出ていた『ザ・チョコレート・インヴェンション』とか『ザ・スローターハウス』とか、最高だなと。長谷川さんもイチオシでしたよね?
長谷川
はい、最高ですよね。
宇野
僕もそれ大好きです。
西寺
今Suchmosとか聴いている若い子たちが聴いたらビックリするんじゃないかな。今20代のジャズやソウルにハマっている子たちにはプリンス入門として『ザ・スローターハウス』がオススメかなと。
長谷川
僕はプリンスのファンなので、このプリンスがひとりでやっているっていう感じが出ている意味でも『ザ・スローターハウス』は凄く好きですね。
宇野
フィジカルではまだ出ていないですが、SpotifyやAppleとかストリーミングで聴けるのでぜひまだ聴いたことがなければ聴いてみてもらいたい作品ですよね。ちょっと『ブラック・アルバム』に似ているというか、生々しい感じが良くて。
長谷川
僕もそう思います。アナログで聴けたらさらに世界が違ってくるんだろうなと思いますね。
西寺
そうですよね。今までのルールでいうとこの再発プロジェクトを通じてアナログでも出る可能性ありますよね。
長谷川
アナログというツールで聴けるという楽しみがあるのは良いことだなと。プリンスだったら絶対にそんなことしなかったとは思いますけれど。プリンスはあまり音に拘っていなかったという説もあるくらいなので。
西寺
マスタリングとかもバキバキに音が潰れていたりするのもありますしね。
長谷川
作品そのもので勝負する人だったんだなと思いますね。本当は音自体はいいと思うので、いい音で聴きたいですよね。
宇野
でもなんで音に拘らなかったんですかね?
長谷川
凄く忙しくて、どんどん作品も生まれてきたからじゃないですかね。
西寺
でも潰れたカセットみたいな音、彼は好きだったんじゃないかって最近改めて思ったんですよね。あんまりハイファイなサウンドとかに興味がなかったというか。
長谷川
これでもいいっていう感覚の人だったんじゃないですかね。
宇野
ペイズリー・パークのスタジオは当時の最先端の機材が揃っていたわけじゃないですか。録ろうと思ったら録れるわけですよね?
長谷川
そうなんですけれど、ノイズ含めても僕のサウンドなんだっていう感覚だったのかなと。
宇野
さきほど郷太さんがこの時期(1995~2010年)は“真髄期”だという話がありましたが、長谷川さんからみたらどういう時期なんでしょうか?
長谷川
いつもの通りなんですよね、僕から言わせれば。常に作品を作っていた人なので、僕からみたら“いつも期”ですかね。
西寺
(笑)。でもこれを“ソニー期”っていうのも実際は当時違かったし、まぁ2枚はソニーから出てますけれども。ただこれからワーナー社がもっていたアルバムの権利がソニーに移行する可能性もありますからね。
宇野
そうなんですね。
西寺
僕が読んだ記事ではそう書いてあって。僕は自分が今、ワーナーなんで、本当は最初から最後までひとつのレーベルが管理するのが理に叶っているとは思うんですけどね。ただ、プリンス自身がワーナーと離れる闘争をしたっていうところから、彼の新たな物語が始まっているので、全部ワーナーがゲットするというのもなんか違うのかなと。ただ作品がバラバラになって、意味なく凄い高い値段で売られて転売する人が儲けたりするのは嫌だなと思っていて。しっかり正規の値段で、正規のルートで買えて揃えられるというのが一番大事。だから、結果ソニーからこうやってリリースになって、その仕事ぶりを見る度に良かったなと思っています。僕らや内本順一さんもライナーノーツを書いていますけれど、みんな必死になって書いていて。こうやって丁寧にリリースされているのは個人的にも、ファンのひとりとして凄く有難いことだなと。
宇野
まだ訴訟も続いているので、買えるときに買っておかないとっていうのはありますよね。数年後にまたどうなるかわからないですし、ストリーミングに上がってる音源も権利元の都合でいつでも消えちゃうわけで。今、亡くなったあとのバタバタ劇があるなかでも、こうしてリリースが続いていることは実はすごく尊いことなのかなと思います。
西寺
ところで長谷川さんアルバム『20Ten』お好きだとおっしゃっていましたよね?
長谷川
はい、好きですね。僕ファンキーなアルバムが好きなんですが、バラードとかはあんまり好きじゃなくて。
宇野
そうなんですか?!
長谷川
いや、好きなんですけどね(笑)。『ブラック・アルバム』が一番大好きで、『20Ten』も大好きなんですけど、やっぱりファンキーなのは好きが一番好きなんですよね。
西寺
じゃあ『20Ten』の「Sticky Like Glue」とかは?
長谷川
最高ですよね。でもアルバムだけじゃないんですよね。ライヴで演っている曲とかも好きで。
宇野
それは『20Ten』のライヴ音源ということですか?
長谷川
そうですね、「Sticky Like Glue」とかはアフター・ショウで演奏していて、まぁそういうのを追いかけ続けてるわけですが。
宇野
そういうのってどうやって追いかけるんですか?
長谷川
基本YouTubeとか、CD-Rでのトレードとか、あまり大きな声では言えないようなことをしながら(笑)。
西寺
あはは(笑)
長谷川
そうやってファン同士が繋がっていくというか。ライヴでたまに未発表曲を演奏するわけですよ。『ピアノ&ア・マイクロフォン』の最後のツアーなんかでも「パープル・ミュージック」っていうアルバム未収録曲で昔ブートで出ていた曲を演奏したりして。でもファンは知っているんですよね、そういう曲をブート通じて。だから(パネルを見ながら)これだけでも凄い量で追いかけるのは大変なんですが、でももっとあるんですよね。
宇野
長谷川さんはやっぱり80年代から西新宿とか通ってたんですか?
長谷川
西新宿は聖地です(笑)。
宇野
ですよね(笑)。僕も当時プリンスの未発表音源を求めて通いつめていて。それまでブートレグの売れ筋というとレッド・ツェッペリンのライブ音源とかだったので、西新宿のブートレグ屋は80年代に終わっていてもおかしくない文化だった。それが90年代まで延命したのは間違いなくプリンスのおかげですよね。こんなところでそんな話をするのもアレですが(笑)。
長谷川
そうですね、こんなところで言うのもアレですが(笑)。
西寺
ド真ん中でね(笑)。ソニーが開催しているタワーレコード渋谷でのオフィシャル中のオフィシャルのイベントでね(笑)。
宇野
でもそうでもしないと、最初にリークした時の『クリスタル・ボール』の音源とかも聴けなかったわけですからね。
長谷川
すみませんソニーさん(笑)
宇野
いやいや当時ソニー関係ないから大丈夫ですよ(笑)。西寺さんはどれが一番好きなアルバムなんですか?
西寺
どれももちろん好きですけれど、『イマンシペイション』は本当に特別なアルバムですかね。プリンス自身もこのアルバムを作るために生まれてきたと話していましたけど、ちょうど僕自身もプロになったり、武道館へライヴを観に行ったりする時期と重なっていたので。ただやっぱりこのアルバムまでのプリンスと、この後のプリンス、いわゆる自分の息子さんが亡くなったり奥さんのマイテと別れて、そのあと宗教が変わったりとかいろいろあって。それだけ『イマンシペイション』はあれだけマイテのことを好きだ好きだと言って作ったアルバムだったから、本人も聴き返すのが辛いアルバムだったんじゃないかなと。ただファンからするといい曲がいっぱい入っている作品だなと思うんです。あと『ミュージコロジー』は凄くわかりやすくプリンスの再構築がなされているアルバムかなと。僕の年代だと、中学生ぐらいでファンクに目覚めると先にカーティス・メイフィールドとかパーラメントとか聴いて、90年代になるとソウル・II・ソウルとか聴くから「プリンスいいよ」って薦めても、『「プッシー・コントロール」とか何やねん、めっちゃエロいやん!!』みたいな反応で(笑)。『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』とか聴かせても当時は反応がいまいちだったんです。やっぱり80年代にプリンスにハマっていないとなかなか入りづらかったと思うんですよね。それが『ミュージコロジー』が出たときに『プリンスむっちゃカッコいいじゃん!』って僕ぐらいの年代のミュージシャンの反応が一気に変わった。メジャーから出たというのもあると思うんですけども。
宇野
それは凄く大きいと思いますね。久々にちゃんとミュージックビデオも作ってくれましたし。
西寺
だからそのときは「え、なんで急に好きになったの?」っていうのは正直あったんですが、ここから入ったっていう人が周りに多くて。84年ぐらいから僕はプリンスが好きだったんですが、20年ぐらい経って急に周りの反応が変わったのに驚きました。でもプリンスは売れようと思ったら売れることが意図的に出来ちゃう。それが凄いなって思うんですよね。
長谷川
プリンスは凄く振り幅というか、インターネットで売ったあとまたメジャーから出して、そのあとまたインターネットで売ってみたいな、そういう揺れ動きがあるので、凄く感覚的な人だったんだなと思います。特に『ミュージコロジー』は売りに行こうと思って活動していた。かたや『ザ・スローターハウス』とか誰も知らなかったわけじゃないですか。
宇野
そういう意味では、『レイヴ』も売りにいった作品でしたよね?
長谷川
間違いなくありましたね。
宇野
でも正直そのときは失敗しちゃうんですよね。ただ『ミュージコロジー』はしっかり売れた。その違いについていろいろ考察してみるのも面白い。
長谷川
プリンスでも、完全に売りに行っても失敗しちゃうことがある。でも『レイヴ』は作品としてみたら素晴らしいわけですよ。売れなかったから良い作品じゃなかった、というわけでもない。すべて素晴らしい作品なので、こういった再発で改めて聴いてもらって、良い作品だったなと思ってもらうのは大事なんじゃないかなと思います。
宇野
僕は『ミュージコロジー』が出たときは「おお、こんな感じの作品をまた作るんだ」って思ったんですが、今になって振り返ると『チョコレート・インヴェンション』や『ザ・スローターハウス』にちゃんと伏線がある。急にブラックミュージックのルーツに戻ったわけではなく、プリンスの中ではちゃんと筋道があったことが、こういう再発プロジェクトなどを通じてよく分かりますよね。

LOVE 4EVER発売記念イベントレポート

西寺
ちなみに宇野さんが好きなアルバムはライナーも書かれた『3121』ですか?
宇野
その前の『ミュージコロジー』で久しぶりにプリンス熱が再燃したんですよ。やっぱりミュージックビデオの存在は重要で、あの変わらず最高にかっこいいビジュアルを見て凄くアガって。
西寺
スーツ着てね、カッコ良かった。
宇野
そのあとに待ち望んでいた状態で届いたのが『3121』で、特にその前のリード曲の「ブラック・スウェット」は死ぬほどカッコ良くて。
西寺
あれはカッコ良かったですよね。
宇野
10代とか20代前半のように、そうやって新作を熱望していた状態で届いたアルバムが『3121』で、なおかつ内容も良かったという意味では、思い入れは強いですね。でもその次の『プラネット・アース~地球の神秘~』で「あれ?」って当時は思っちゃったんですよね。今聴くといい作品なんですけどね。
長谷川
インストとかは聴けないですけどね。
西寺
え、インストだめですか?
長谷川
頭に入ってこないんですよね。バラードもそう。
西寺
じゃあ長谷川さんはインストとバラードじゃなくて、ファンキーなのが好き。
宇野
インストとバラードって結構な比率ですよね(笑)。3割近くあるんじゃないかな?(笑)
長谷川
そうですね(笑)。僕は褒めつつも貶すみたいな癖があって。
西寺
じゃあ「N.E.W.S.」とかあんまり好きじゃない?
長谷川
好きですよ、でも嫌いですね。
(会場:笑)
長谷川
嫌いって言ったほうが際立つというか。
西寺
さっき全部好きって言ってたじゃないですか!(笑)
長谷川
いいんですけど、嫌いなんです、「N.E.W.S.」は。なんとかこのニュアンスが伝わるといいんですけど(笑)。
西寺
『レインボー・チルドレン』はどうですか?
長谷川
それはヤバイですよね、ヤバですよヤバ。
西寺
それはいい意味でのヤバですよね?(笑)
長谷川
もちろんいいヤバです、イイヤバです!
西寺
友さん、めっちゃオモロイですね(笑)。これはいろんな人にオススメ、ということですよね?
長谷川
もうなんて言っていいかわからないぐらいイイですね。推薦文なんて書けないぐらいイイです。ライナーノーツなんて頼まれても書けないぐらいイイです。
西寺
頼まれても書けない!?(笑)
宇野
じゃあ長谷川さん全キャリアのなかで一番好きなアルバムと言ったら?
長谷川
『ブラック・アルバム』ですね。
宇野
なるほど。バラード1曲しかないですしね(笑)。
長谷川
そうですね(笑)。
西寺
「Cindy.C」とか最高ですよね。
長谷川
最高ですね。そのタイトルを聞いただけで泣けますね。
西寺
あのアルバムはフランス語とかもちょっと入ってるじゃないですか。あの感じもいいですよね。
長谷川
本当に最高ですね。
西寺
(パネルを見ながら)『N.E.W.S.』は貶しつつも、じゃあ『クリスタル・ボール』とかはどうですか?僕、大好きなんですけども。
長谷川
ヤバいですね、あれは。激ヤバですね。激が入っちゃいますね。
西寺
激ヤバですか?(笑)
長谷川
そうですね、激、入っちゃいますよね。入んなきゃおかしいですよ。
宇野
なんだか長谷川さんの語彙を探る時間になってきましたね(笑)。
西寺
やっぱり「インタラクティヴ」とか「クリスタル・ボール」とかがお好きなんですか?
長谷川
そうですね、でもどの曲というよりかは、『イマンシペイション』とか3枚組だと普通だったら聴いていて飽きちゃう。『クリスタル・ボール』は5枚組ですけれども全然聞いていて飽きない。
西寺
でも「カーマスートラ」はインストですよね?
長谷川
はい、インストだから全然ダメですね(笑)。
西寺
あはは(笑) じゃあ「ヴィーナス・ドゥ・ミロ」(アルバム『パレード』収録)は?
長谷川
好きです!
西寺
あれ僕も大好きです。インストですけどね(笑)
(会場:笑)
長谷川
あれは文句言えないです。
西寺
僕は『20Ten』の「Sticky Like Glue」が大好きで、プリンスの楽曲のベスト5に入るぐらい好きですね。あと『パレード』とかはもう身体に入っちゃってるんで、大好きですよね。
長谷川
『ザ・ゴールド・エクスペリエンス』とかはどうですか?完成度が高くてファンの方でも好きな方多いのかなと。
西寺
僕は「I Hate You」とか大好きですね。あの曲ヤバくないですか?
長谷川
ヤバヤバですね。
西寺
バラードですよ?(笑)
長谷川
あれはミドルです!(笑)
西寺
ああそうですか(笑)。あれは本当に最高ですよね。めちゃくちゃイイですよね。
長谷川
あれを嫌いだなんて言っちゃダメですよ。「Hate」じゃなくて「Love」ですよ。
西寺
日本だと「エンドルフィンマシーン」とか有名かもですが、やっぱりこの曲ですよね。
長谷川
激しくヤバいですね。ハゲヤバです。
西寺
ハゲヤバ!?(笑)
(会場:笑)
西寺
『ザ・ヴェルサーチ・エクスペリエンス』にもリミックスとか入っていますが、このカセットの音源もヤバいですよね。
長谷川
素晴らしいですよね。当時CDジャケットのデザインがあるので、作品として素晴らしい。プリンスはサンプルとしてカセットをよく配っていたんです。カセットだとどんどん音が劣化していくのでブート対策だったと思うんですが、このカット(『ザ・ヴェルサーチ・エクスペリエンス』)は当時プリンスもCD化を考えたぐらい作品として素晴らしいですよね。
西寺
宇野さんが好きな作品はどれですか?
宇野
僕は今回の再発を通じて聴けて凄く嬉しかったのは『ザ・スローターハウス』ですね。さきほど長谷川さんはファンク系が好きという話がありましたが、僕はどちらかというと打ち込みの曲が好きで。プリンスってキャリアの初期から打ち込みの曲を作っていたわけですけど、それを聴き込んできたことによって自分の音楽のテイストが形成されたようなところがあります。逆にいうとニュー・パワー・ジェネレーションみたいな大所帯のバンド・サウンドは、今聴いてもそこまでピンと来ないんですよね。でも、音数の少ないマシナリーなビートの曲は、全キャリアを通じてずっと大好きでした。
西寺
「ブラック・スウェット」とかってことですかね?
宇野
そうですね。そういうのが凄く好きです。
西寺
渋谷陽一さんがおっしゃっていたいわゆる“密室ファンク”っていうやつですね。
宇野
プリンスの場合、マシナリーなビートでも肉体的というか、まさに『ザ・スローターハウス』とかそうですが。それをあれだけ形にしたというのがプリンスの凄さというか。今、海外では特に、生ドラムでもみんな加工するようになってきてますけど、プリンスのビートは当時も先鋭的だったし、今聴いても全く古びてない。
西寺
そういう意味でも今回の再発プロジェクトを通して改めて再発見・再評価できるのが素晴らしいなと。
長谷川
本当そう思います。聴く度に毎回新しい発見があるなと。
宇野
そろそろお時間なので、最後におふたりからプリンスの凄いところを改めて教えてもらいたくて。郷太さんはミュージシャンでアルバム『未来』をリリースしたばかり、長谷川さんはプリンスを研究しているという立場から、あらためてプリンスの魅力をお聞きしてまとめに入りたいなと。
西寺
僕はよく言うんですけれど、作詞家としてのプリンスですかね。「Manic Monday」とか「Sometimes It Snows In April」、「Nothing Compares 2 U」、「Purple Rain」とか。たとえば自分がライヴのときに雨が降ってきちゃうと凄く萎えるんですが、でもプリンスの「Purple Rain」を思い出すと、自分にぴったりのステージが用意されたなって思えるというか。“Purple”と“Rain”を合わせるなんて、俳句とか和歌の世界というか、そういうのが凄いなと。作曲とか演奏はプリンスの周りもみんな凄かったと思うんですけど、じゃあ彼らが「俺とプリンスの違いって何だろう?」って思ったときに、プリンスは言葉を使ったイメージ付けが一番上手かった。それが色だったり、景色だったり、雪や雨といったワード、詩人としての凄さ。そういう作詞家としての技量はプリンスが圧倒的だったと思いますね。
宇野
あれだけ1日何曲も曲を作っていた人が、ちゃんと詩作においてもそれに追いついていたというのも凄いことですよね。
長谷川
プリンスって実は凄いしゃべるんですよ。寡黙なイメージがありますが、言葉が常に溢れて止まらない人だった。そういう意味では詩人だったなと。音楽性の部分とか、さきほどファンクの話になりましたけれど、歌詞をセンスでガッと書けちゃう、しかもラップのように韻を踏んでいて。
西寺
「The Most Beautiful Girl In The World」とかね。
長谷川
流れるような響きですよね。
西寺
あの曲で僕は英語を学びましたね。簡単な単語が並んでいるけれど凄く美しいというか。「The Most Beautiful Girl In The World」なんて言います?って感じですけど。
長谷川
西寺さんに言われると惚れちゃいそうですけどね。
宇野
いやいやガールじゃないじゃないですか(笑)
長谷川
あ、そうか(笑)。錯覚しちゃった。
(会場:笑)
宇野
書いたあとに「ここが違う」って書き直している感じはあんまりしないですよね。
長谷川
頭の中から出しちゃうっていう感じなんでしょうね。
西寺
僕も1日4曲なら全然書いてますけど、「作詞」ってものによっては時間がかかるんですよ。
宇野
プリンスは絵文字の先駆者でもありますよね。世界のどこでも通じる日本語の一番新しい言葉って、多分emoji(絵文字)だと思うんですけど。
西寺
(シンボル・マークを指さしながら)これも絵文字ですもんね。「4U」とか「2Me」とかもそう。
宇野
アリアナ・グランデとか、今ではみんな普通に使ってますからね。言葉全般のセンスたるや凄かったなと。自分も好きなアーティストの共通点に、言葉の力でグッと来る人というのがあって。そういう意味でも、プリンスがずっとフェイバリットな理由の一つは、彼が生み出した言葉にあったんだなって。
西寺
長谷川さんはプリンスの魅力ってなんだと思いますか?
長谷川
僕はプリンスって料理だと思うんですよね。
西寺
え?!
長谷川
スーザン・ロジャースっていうペイズリー・パークにいるエンジニアが前にインタビューで話していたんですけれど。プリンスがコックさんだとしたら、料理の仕方とか材料はプリンスがすべて指定して、お客さんはそれを食べるだけ、というか。
西寺
なるほどね、出された料理(=作品)を美味しいとかなんとか思いながらファンやお客さんが食べるってことですね。
長谷川
そうですね。なんでずっと食べ歩きをしている感じです。
宇野
同じ店にずっと通い続けている感じにも近い?
長谷川
そうですね、ずっと同じことしている感じですね(笑)。
西寺
無限のメニューがあって、小さくいっぱい書いてあるのを片っ端から食べ続けているという(笑)。全部食べるの大変ですよね?
長谷川
大変ですよ。おいしいんですけど、全然追っつかないですし。正直、もう勘弁してくれって思います(笑)。
西寺
勘弁してくれって、自分で勝手に食べてるんじゃないですか!(笑)。
長谷川
そうなんです、ファンジンも書いちゃって、アホかっつう感じなんですけども(笑)。
西寺
いやいや、友さん本当最高ですね(笑)。
宇野
まだまだこの再発プロジェクト<LOVE 4EVER>は続くので、ファンの方は引き続き楽しみにしていてください。新しくプリンスに興味を持った人には、長谷川さんがおっしゃっていたように『レイヴ完全盤』収録のライヴDVDでまずは味見をしてもらって(笑)。
西寺
そうですね、こうやってリリースがあるうちに、僕たちも改めてプリンスの凄さを再発見・再評価しつづけていきたいと思います。

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