古楽に革命を起こした伝説のリコーダー奏者、デイヴィッド・マンロウの没50年。
33年の生涯を駆け抜けた、圧倒的な技巧と情熱が宿る圧巻の芸術!
類まれなる歌声と、天才的なマルチ奏者としての才能を兼ね備え、とりわけリコーダーにおける伝説的な名手として知られたデイヴィッド・マンロウは、古楽の世界に変革をもたらした旗手でした。1967年、彼はクリストファー・ホグウッドらと共に「ロンドン古楽コンソート」を結成。このアンサンブルは、歴史的演奏の実践を再定義する存在となりました。ワーナークラシックスやノンサッチに残された膨大なディスコグラフィは、今なお「決定盤」の宝庫であり、彼の圧倒的な技巧、多才さ、そして先駆者精神を雄弁に物語っています。
1976年5月、わずか33歳という若さでこの世を去ったとき、マンロウが遺した録音遺産は、その広がりと重要性において、はるかに年長の音楽家たちの業績に匹敵し、ある点ではそれらを凌駕するものでした。彼の活動範囲は、12世紀からバロック盛期、ルネサンスの声楽の傑作、さらには現代音楽の試みにまで及びました。世界的なディレクターであり、世界各地の楽器を収集する熱心なコレクターでもあったマンロウは、古の響きを鮮烈に蘇らせました。その伝播するようなエネルギーは、今なお色あせることなく人々の心に響き続けています。
異才のコミュニケーター
デイヴィッド・マンロウは、独学に近い形で才能を開花させ、1960年代のイギリス音楽界に突如として現れた変革者でした。1942年バーミンガムに生まれ、聖歌隊員として古楽の魅力に目覚めた彼は、南米での民族楽器との出会いによってその情熱を決定的なものにしました。天性の発信力を備えていた彼は、BBCラジオ3の放送や、若者向けの番組『パイド・パイパー』を通じて、自らが愛する音楽を鮮やかに世に広めました。
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ワーナーミュージック・ジャパン
発売・販売元 提供資料(2026/03/13)
圧倒的な技巧と楽器への習熟
リコーダーをはじめとする古楽管楽器への不変の情熱が、マンロウの音楽人生を象徴しています。彼は、クルムホルン、ショーム、ラケットといった古楽器を収集・習得し、それらを一般の音楽ファンの意識へと浸透させた天才的なマルチ奏者でした。その演奏は「確かな旋律線」と「電光石火のアーティキュレーション」によって特徴づけられます。金字塔的なプロジェクト『リコーダーの芸術』は、この楽器が持つ豊かな遺産を俯瞰する壮大な記録であり、広大な歴史軸を横断する彼の超絶技巧を今に伝えています。
先駆的なディレクター
1967年、マンロウはクリストファー・ホグウッドやジェームズ・ボウマンといった名手たちと共に「ロンドン古楽コンソート」を結成しました。ディレクターとしての彼は、学術的な厳格さと天性のチャーミングさ、そしてユーモアを融合させたテーマ性のあるコンサートを企画する「卓越した才能」を持っていました。また、リハーサルにおいては一切の妥協を許さない完璧主義者であり、常に最高水準の演奏を追求しました。その結果、彼のコンサートは常に完売となり、古楽を「一部の愛好家の趣味」から「大衆的な音楽体験」へと変貌させたのです。
膨大な録音の足跡
マンロウは、国際的な名声を築く上で録音が不可欠であると考えていました。活動期間はわずか10年余りでしたが、LP3枚組の野心作『宮廷の愛』や、画期的な『中世・ルネサンスの楽器』など、膨大なディスコグラフィを残しました。彼は制作のあらゆる細部にこだわり、ジャケット選定から解説文の執筆、さらには特定の音色やバランスを実現するためのポストプロダクション上の編集に至るまで、緻密に関与していました。
生き続ける遺産
1976年5月、33歳で自ら命を絶ったとき、マンロウは「古楽界の埃を徹底的に払い落とす」ような遺産を遺しました。デュファイの『ミサ・セ・ラ・ファス・パル』などの録音は、次世代のヴォーカル・アンサンブル・スタイルの規範となりました。彼の仕事は、飽くなき「発見の喜び」と「演奏の歓喜」に満ちており、今日においても忘れ去られていた音楽の宝石に命を吹き込み続ける「宝庫」であり続けています。
※ワーナーミュージック・ジャパン取り扱い輸入盤のみ、日本語解説書・帯付き
日本語解説書には、エドワード・ブレイクマンによる解説の日本語訳、矢澤孝樹氏、井上亨氏による書下ろしコメントを掲載。
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