気鋭のチェリストによる待望のマスターピース、ついに誕生。2025年来日記念盤。
「バッハの無伴奏チェロ組曲の録音が、空に輝く星の数ほどはないかもしれませんが、この偉大な音楽の演奏解釈や哲学的観点の可能性は、それと同じくらい無数に存在しています」
この2年間のアナスタシア・コベキナの活躍は目覚ましいものでした。2024年にレナード・バーンスタイン賞とオーパス・クラシック賞の両方を受賞し、ドイツARD放送による長編ドキュメンタリー『Jetzt oder nie!(今しかない!)』が公開されるなど、彼女のキャリアは近年で急速に加速しました。その集大成となるのが、今作《J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)》です。
チェリストにとって「エベレストに登頂するような作品」と言われるバッハの《無伴奏チェロ組曲》全6曲に挑むにあたり、コベキナは、「私と聴き手のあいだに、解釈を共有できる場を開きたい」と語りました。前作『ヴェニス』(ソニー・クラシカルのデビュー盤)のように、誰もが知る有名曲を新鮮な解釈で演奏しています。このアルバムでは、ピリオド楽器とその伝統的な奏法を用い、歴史的な知見に基づいたアプローチで《無伴奏チェロ組曲》に臨みました。
彼女はこの曲についてこのように語っています。
「私はこの組曲に内在する対話性--内なる対話や矛盾--にずっと魅了されてきました。この音楽の言語は抽象的で、建築的で、理性的で、論理的なのに、同時に情熱的で、感情的で、演奏者にとって非常に個人的なものでもあります。まさにこの曲はアポロン的でありディオニュソス的であるとも言えるのです。しかし、このような作品をどう解釈したらいいのでしょうか?これらが舞踏組曲であることを考えると、舞踏の神ディオニュソス的に解釈することが自然に思えますが、私はこれが単に踊るための作品であるという、実際的な意味のアイデアに縛られてはいけないと思います。これは肉体を超越した音楽です。重力と時間を歪め、1本の線からポリフォニックな世界を呼び起こし、その一本の線をたどれば、聴き手も演奏者も、孤独や内省の状態へ私たちを導きます。
これらの組曲は、間違いなく、最も長く私に寄り添い、最も多く演奏してきた作品です。演奏するたびに、この曲の何かが私の心に響き、その時点の私が誰なのか、何なのかを映し出してくれます。バロック・チェロや、この作品をアカデミックに何年も勉強してきたからといって、その即時性、時代を超越した感覚、自身を投影する鏡としての力が弱まることはありません。この作品を演奏することはつまり、自分の内面的な旅を見せることでもあります。傷つきやすく大胆に、演奏者は毎回それを経験しなければなりません。
今作の録音は、音符そのものを超えて、私が何か決定的な意味を押し付けるためのものではありません。解釈の場は、私とあなたに開かれています。私は音楽に内在する未知のもの、抽象的なもの、無限の神秘を受け入れることを信じています。それこそがこの組曲の偉大さであり、開かれた問いであり、私たちが耳を傾け、探求し、永遠に展開し続ける一本の線の中で自分自身を見つけるよう誘い続けるのです」
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ソニー・ミュージック
発売・販売元 提供資料(2025/06/27)
この組曲は、バッハの作品の中でも最も内面的で、最も敬愛されています。各組曲はプレリュード(前奏曲)と複数の舞曲から構成され、その神秘的な創作背景も作品の伝説性を高めています。自筆譜は現存せず、実在するのはバッハの後妻、アンナ・マグダレーナ・バッハの筆による写譜のみ。また、この作品が誰のために書かれたのかも、いまだ明らかになっていません。
コベキナはフランクフルト音楽大学でクリスティン・フォン・デア・ゴルツにバロック・チェロを師事しました。彼女の類まれな知性は、クラシック芸術とポピュラー文化の境界を越えつつあるバッハの組曲に、独自の光を当てています。「圧倒的な誠実さ」(ストラッド誌)と評され、卓越した音楽性を持つ彼女の演奏は、技術を超えて聴き手に直接語りかける力を持っています。また、彼女のアルバム『ヴェニス』について、「時折、チェロを聴いていることを忘れてしまうほどだ」(グラモフォン誌)、「彼女は優雅さの体現そのものだ」(ル・モンド紙)、「コベキナは、美しい優雅さと自然に広がる旋律線で演奏している」(ターゲスシュピーゲル紙)と評されています。
コベキナはかつてBBCのニュー・ジェネレーション・アーティストおよびボルレッティ=ブイトーニ財団のアーティストとして活動し、2024年にソニー・クラシカルと専属契約を結びました。2025年2月にはARDテレビで彼女に関する4部構成のドキュメンタリー『Anastasia Kobekina: Now or Never』が放映され、2024年に初出演したロンドンのBBCプロムスには、2025年の夏にも再登場。さらに同年、ヤクブ・フルシャ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との初共演も果たしました。そして2025年の夏、メクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭とベートーヴェン音楽祭ボンにおいてアーティスト・イン・レジデンスを務めます。
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ソニー・ミュージック
発売・販売元 提供資料(2025/06/27)
With Yo-Yo Ma and other cello giants from the turn of the century well into senior citizen status, younger players are seeking the spotlight. One is Anastasia Kobekina, daughter of the Russian composer Vladimir Kobekin. She has combined recital albums that have a good deal of historical depth with an instinct for promotion in the streaming era through a Eurovision Song Contest appearance and a four-part documentary on German television. The Bach cello suites are a bold move for a young cellist in the first part of her career, but Kobekina has been living with them in performance for a while and developing her interpretations. Those interpretations dont fall into the usual Bach classifications. Kobekina plays historical instruments -- a pair of Stradivarius cellos and a small cello piccolo -- that diverge from the slightly modernized Guadagnini she has played in concert. These add to the essential freedom of her interpretations, and free they are; Kobekina deploys the historical instruments in search of flexible, expressive sounds, using the greater agility of which they are capable. She takes a good deal of liberty with the tempo, but the smaller details always seem tied into a larger structure. Sample the Gavotte from the Cello Suite No. 6 in D major, BWV 1012, so different from the usual courtly performances. One might call these Romantic renditions, were they not rooted in Bachs time by the historical instruments. They are, above all, personal and deeply felt. To use Kobekinas words, the language is "abstract, architectural, rational, logical, and at the same time passionate, emotional, and deeply personal to the performer." She lives up to that duality in a set of Bach suites that marks an important step for an exciting young performer. ~ James Manheim
Rovi