チッコリーニ生誕100年、没10年として、未発表音源を追加しての録音全集再発売
アルド・チッコリーニ(1925-2015)は、1950年に名高いマルグリット・ロン国際コンクールで優勝し、そのキャリアをスタートさせました。幼少期から才能を発揮した彼は、徹底した研鑽を積み、ブゾーニ、リスト、そしてベルカントの伝統から影響を受けました。これにより、彼の演奏は深い感情を湛えたものとなり、自身を「リリコ・スピント・ピアニスト」と表現していました。
ワーナー/エラートから主にリリースされた彼の豊富なディスコグラフィには、リスト、サン=サーンス、セヴラックのピアノ作品全集のほか、ドビュッシーやサティの名演が含まれています。
そのキャリアを通じて多作なレコーディング・アーティストであり、豊富なディスコグラフィを持っていました。そのほとんどは旧EMIから2009年に発売された56枚組CDをもとに、さらに4枚分の追加音源を加えられています。
CD57:2008年にギリシャでライヴ録音されたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3&4番
CD58:1978年にフォニット・チェトラのために録音されたサリエリのピアノ協奏曲
CD59:ノアン音楽祭でのリサイタルから
1972年シューマン、1982年シューベルト&ショパンのライヴ録音(未発表音源)
CD60:2010年5月にスタジオ録音された、
チッコリーニお気に入りのアンコール曲セレクション(未発表音源)
アルド・チッコリーニの卓越した録音遺産に触れることは、優雅さと謙虚さに満ちたマスタークラスを体験することに等しく、その豊かな音色に魅了され、あるいは心を捉えて離さない神秘的なピアニズムに引き込まれることでしょう。
※歌詞対訳は付属しません。
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ワーナーミュージック・ジャパン
発売・販売元 提供資料(2025/04/25)
《アルド・チッコリーニの生涯とキャリア》
幼少期と教育
1925年8月15日、イタリア・ナポリに生まれたチッコリーニの音楽人生は70年以上にわたり、ピアノの世界に多大な貢献を果たしました。チッコリーニの天賦の才能は幼少期から現れ、9歳のときにナポリ音楽院に入学しました。そこで、フェルッチョ・ブゾーニの弟子であるパオロ・デンツァに師事し、この初期の指導が彼の将来の音楽活動の基盤を築きました。
デビューと初期のキャリア
16歳のとき、ナポリのサン・カルロ劇場でショパンのピアノ協奏曲第2番(ヘ短調)を演奏し、正式にデビューを果たしました。その演奏は批評家から高く評価され、彼は将来を嘱望される若手ピアニストとして注目を集めました。
国際的な評価
1949年、チッコリーニはパリで開催された名高いマルグリット・ロン=ジャック・ティボー国際コンクールで優勝しました。この功績により、彼は国際的な舞台への道を切り開き、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ディミトリ・ミトロプーロス、ピエール・モントゥーといった著名な指揮者たちと共演する機会を得ました。
フランス国籍の取得と教育者としてのキャリア
フランスを第二の故郷としたチッコリーニは、1971年にフランス国籍を取得しました。その後、1970年から1988年までパリ国立高等音楽・舞踊学校(CNSMDP)の教授を務め、多くのピアニストを育成しました。その中には、ジャン=イヴ・ティボーデやニコラス・アンゲリッシュといった名ピアニストたちが含まれています。
芸術的な焦点とレパートリー
チッコリーニは、特にエリック・サティやクロード・ドビュッシーといったフランスの作曲家の作品の解釈で高く評価されていました。特に、サティのピアノ作品全集の録音は非常に名高いものです。また、フランツ・リストの作品にも深い情熱を注ぎ、ロマン派音楽においても優れた演奏を披露しました。
晩年と遺産
晩年に至るまで演奏活動や録音を続け、音楽界において活躍を続けました。そして、2015年2月1日、パリで89歳の生涯を閉じました。彼の音楽的遺産は、膨大な録音作品と彼が育てた多くのピアニストたちを通じて今なお生き続けています。アルド・チッコリーニの生涯とキャリアは、演奏家としてだけでなく教育者としても音楽に対する深い献身によって彩られています。その解釈は今もなお多くの人々に感動を与え、ピアノの世界において重要な影響を与え続けています。
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ワーナーミュージック・ジャパン
発売・販売元 提供資料(2025/04/25)