| フォーマット | 書籍 |
| 発売日 | 2024年12月11日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| 出版社 | 関西大学出版部 |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| SKU | 9784873547886 |
| ページ数 | 276 |
| 判型 | B5 |
構成数 : 1枚
はじめに
凡例
第一章 さわがしい音楽 ジャズの輸入
ジャズの輸入
―船の楽士、街の楽士、お屋敷の楽士
住吉観音林倶楽部から神戸「北尾ジャズ」へ
大阪北浜「灘萬ジャズ」から「道頓堀ジャズ」へ
―サキソフォンの草分け前野港造
今井楽器店とミニヨン美容室
松竹ガクゲキ部、松竹管絃団とジャズ演奏
宝塚少女歌劇とジャズ、喜歌劇「ダンス・ホール」
ユニオン・チェリーランド・ダンス・オーケストラ
活動写真館からダンスホール、カフエーへ
服部良一とメッテル
タンゴ、ハワイアン、中南米音楽
レコードとラジオの時代
ダンス音楽、ダンス俚謡、ダンス小唄
少女ジャズ・バンド
移動するミュージシャン
―平茂夫・ソコロフスキー・山口豊三郎・J.エヴァンス・中澤壽士・南里文雄・東松二郎・桜井潔・A.コバチ・E.カアイ・コンデ三兄弟・F.レイエスら
地域に根をおろす
―国道のホワイトマン梅澤清一・サックスの第一人者前野港造・秀才成田七五三夫
ダンスホールからステージ、スタジオへ
―ダンスとジャズの分離 軽音楽の時代へ
第二章 タクシー・ダンスホールの世界 ワン・チケット、ワン・ダンス
谷崎潤一郎と横浜の踊り場
―チャブ屋、グランド・ホテル、花月園
河野静と鶴見「花月園舞踏場」
函館から関西へ、世界へ
―加藤兵次郎の生涯
加藤兵次郎と八重の旅
大正末の大阪の踊り場
―「コテジ」・「ユニオン」・「パウリスタ」・「南北パリジャン」
職業ダンサーのはじまりとチケット制の導入
タクシー・ダンスホールをつくった人びと
―加藤兵次郎・藤村浩作・村田健吉ら
一九二七年のダンスホール禁圧
―大阪府外、京都府外へのひろがりと阪神間のダンスホール
ダンス・チケット、舞踏券
ダンス祭
―ホールで行なわれたイベント
職業婦人と労働争議
スキャンダルと実態調査
技術志向と競技会
経営者・ダンス教師のプロフィール
―高橋虎男・平井正夫・武内忠雄・石橋政治郎・C.ムーア
調査とダンスホール
第三章 和洋の交錯 ダンスの日本化、花街の西洋化
デパートとダンス用品展
断髪とドレスとハイヒール
振袖とダンス草履
タクシー・ダンサーの仕事と生活
カフエーの時代と京阪花街の変貌
ダンス芸妓
河合幸七郎と河合ダンス
阪口祐三郎、きみ夫妻と大和屋少女連
茨木屋キャバレーナイトと吉田屋ダンス洋楽芸妓
阪急小林一三の花街改革案
宮川町タチバナ・ダンス
先斗町少女レヴユーと歌舞練場特殊ダンスホール
SダンスとPダンス
生駒花街、花隈花街とダンスホール
第四章 ダンスホールと近代建築 たのしみの空間づくり
京都の愛好者
―「十字屋楽器店」と田中ゆき、建築家・本野精吾
池田谷久吉建築設計事務所と大阪の繁華街
―大阪府令の改正と改築工事
建築家とダンスホール
―本野精吾・古塚正治・貞永直義・佐藤武夫・池田谷久吉・吉田貞一
阪神国道四ホールとモータリゼーション
―「尼崎ダンスホール」・「ダンス・タイガー」・「キング・ダンスホール」・「阪
著者は日本のダンスホールを40年以上にわたって研究してきた。本書は、その過程で収集した資料や関係者に取材して得た証言をもとに執筆したものである。けれども、堅苦しい学術書のスタイルをえらばなかった。展覧会の図録のように「見て、読める資料集」として参照されることをめざし、大正時代から昭和戦前期のモダニズムのありようをさまざまな視点から記述した。音楽やダンスだけでなく、文学、映画、建築、美術、ファッションなどのジャンルにも目を配った。たとえば谷崎潤一郎にはダンスにのめりこんだ時期があり、その経験は作品にも反映されている。だが、谷崎が踊ったのは横浜だけでなく、関東大震災後に移住した京阪神でも黎明期の踊り場を訪れている。そういったあまり知られていないエピソードにもページを割いて紹介した。また、じゅうらいの風俗史やモダニズム文化研究は、東京の事情を中心に描きだしてきた。読者に残される印象は、東京の歴史を一般化したものだ。しかしながら、黎明期のジャズやダンスのひろがりを支えたのは関西に展開したダンスホールである。これまでは資料の欠落などから東京以外の事情については、あまり目を向けられることがなかった。けれども近年、東京以外の地方の記録が発掘され、活用できる資料も充実した。本書では、等閑視されてきた関西や、他の地方の都市、あるいは温泉地、さらには「外地」のダンスホールにも目を向け、踊り場や音楽の場にかかわった経営者やダンサー、ミュージシャンなどを紹介している。欧米から伝来した洋楽洋舞を日本人がどのように受容し、伝統的な文化がどう変容したのかを論じるのではじゅうぶんとはいえない。本書は、西洋文化と日本の伝統文化の対立、葛藤という図式にはおさまらないことがらにも注目した。たとえば、京都の花街、祇園や先斗町が社交ダンスやレビューを積極的に採りいれようとした事実がある。この融合のありようは、伝統的文化が柔軟だったことを教えてくれるが、その流れは断ち切られる。ひとつは警察による干渉で、風俗営業取締は、花街での伝統的な技芸と、新興娯楽施設でのサービスとの混交を阻んだ。もうひとつは戦争で、日本の伝統的な道徳や生活と、欧米由来の性風俗や娯楽とはなじまないと見なす価値観が、外来のものを排除する力として作用した。本書では、これらの経緯について、数多くの図版を示しながらエピソードごとに解説している。1932年にシカゴ大学から出版されたクレッシー著の『タクシーダンス・ホール』。本書は、その東アジア版になることをめざしている。だが、欧米で生じた新しい文化現象が「遅れた」東アジアに伝わったのではない。20世紀前半の世界における流行現象のひろがりは、いま想像する以上に速い。欧米と東アジアの人びとは、流行をほぼ同時に経験する。しかし、その後の展開が、地域の歴史や社会の特性によってさまざまだったことを理解してほしい。

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