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比翼の象徴 明仁・美智子伝 (下巻) 平成の革命

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フォーマット 書籍
発売日 2024年11月28日
国内/輸入 国内
出版社岩波書店
構成数 1
パッケージ仕様 -
SKU 9784000245579
ページ数 610
判型 46

構成数 : 1枚

第12章 父の残像と逆風
〈昭和64/平成元年〉
「平成」の考案者は誰か
「皆さんとともに日本国憲法を守る」
史上最大の昭和天皇葬儀
次々と進められる「平成流」
即位後初の記者会見、「言論の自由は大切」
宗教色の強い大嘗祭に公的経費
〈平成2年〉
折口信夫の「秘儀」説で論争
不幸な過去に「痛惜の念」
「秋篠宮家の幾久しいみ栄えを祈ります」
伝統と憲法の狭間での即位の礼
国民が見た神秘と幽玄の儀式
〈平成3年〉
過熱する皇太子妃取材
雲仙・普賢岳噴火被災地で「膝をついて」見舞う
平成初の外国訪問、東南アジアでは謝罪表現避ける
初孫・眞子内親王の誕生
〈平成4年〉
「お妃報道」の自粛協定
万歳復活の「逆コース」
保守派の反発抑え、天皇訪中を決定
「中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」
北京・西安・上海で人々と交流
小和田雅子、プロポーズを受諾
〈平成5年〉
徳仁皇太子の婚約決定
「雅子さんのことは一生全力で守る」
天皇、皇后として沖縄を初訪問
過熱し始めた皇后バッシング
史上初めて国外での天皇の葬儀参列
「悲しみと戸惑い」、"反論"後に皇后倒れる
批判雑誌に向けられた銃弾

第13章 災害と慰霊
〈平成6年〉
初めての激戦地・硫黄島、「如何ばかり君ら水を欲りけむ」
訪米、政治利用批判再び
年二回の外国訪問、皇后の体調不良
〈平成7年〉
阪神・淡路大震災、人としての「体温」を示した平成流
古代織物の復元に貢献した皇后の養蚕
慰霊の旅「五十年の日々いかにありけむ」
「あり方」が確立した節目の年
〈平成8年〉
海外メディアが報じた雅子妃の「影の薄さ」
「皇室があって良かった、と国民が安堵できるような」
天皇誕生日祝賀でのペルー人質事件
〈平成9年〉
根拠不確かな皇太子妃の懐妊報道
超過密日程の南米二カ国訪問
皇太子夫妻の不妊、悩み深き日々
〈平成10年〉
即位10年目、受け入れられた人間的流儀
元捕虜の抗議、英国訪問の試練
「何人の言も鵜呑みにしない」研究姿勢
人と人の間に「橋をかける」
未来志向の韓国、溝が深まる中国

第14章 傷ついた人々の声を聞く
〈平成11年〉
君が代の「君」は誰か
正田英三郎の死
被災地の復興状況視察が慣例に
皇室の役割は「精神的な支援としての献身」
雅子妃「懐妊の兆候」報道と流産
〈平成12年〉
徳仁皇太子が「懐妊報道」を批判
「国民の中に内在した存在であらねば」
オランダ慰霊塔での長い黙禱
良子皇太后死去、「在りし日の明るい声」
三宅島噴火、避難の児童・生徒に心寄せる
〈平成13年〉
雅子妃の二度目の懐妊
阪神・淡路大震災被災地を復興状況視察で再訪
火山活動が続く伊豆諸島へ
愛子内親王誕生と女性天皇論議
〈平成14年〉
「知らずしてわれも撃ちしや」
韓国は「近くて遠くない国」
東欧の旅で自由への戦いを称賛
バーゼルで語った子どもたちへの希望
天皇と皇太子夫妻の深い溝
〈平成15年〉
前立腺摘出手術、「がんの転移はない」
皇太子夫妻に第二子のプレッシャー
公務削減の提案に「まだできる」
即位15年で全都道府県を巡る

第15章 家族の苦悩
〈平成16年〉
「国立劇場おきなわ」の開設
衝撃の「人格否定」発言
海外メディア「雅子さまは事実上の人質状態」
「強制ではないことが望ましい」
紀宮の婚約に微笑んで「おめでとう」
〈平成17年〉
津波災害の教訓を訴える
紀宮「皇后様にはたくさんの悲しみと癒えない傷み」
サイパン島〈をみなの足裏思へばかなし〉
「ドンマーイン」が懐かしく
女性・女系天皇を容認へ
〈平成18年〉
紀子妃懐妊でしぼんだ皇室典範改正
ガスマスクを準備して三宅島へ
タイ国王即位60年で旧交を温める
「富田メモ」報道の波紋
悠仁親王誕生の喜びと憂い
「残念なのは愛子と会う機会が少ないこと」
〈平成19年〉
「皇位継承の安定、課題はなくなっていない」
初めて旧ソ連の地・バルト三国へ
ブルーギルの異常繁殖、「心が痛む」
年金と格差問題への懸念
〈平成20年〉
宮内庁長官の異例の「苦言」
保守による雅子妃バッシング
復興した山古志を訪ねる
「陛下は心労や心痛にじっと耐えてきた」...

  1. 1.[書籍]

明仁と美智子は天皇皇后となり、平成の時代が始まる。二人は昭和天皇が果たし得なかった、戦争被害国の訪問をして和解に努め、災害被災地を訪れて被災者を慰めた。高齢による体力の衰えで国民に接する活動が難しくなったとき、明仁は退位の道を選ぶ。それは、平成がつくり上げた象徴像の総仕上げだった――。決定版評伝、ついに完結。

作品の情報

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著者: 井上亮

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