| フォーマット | CDアルバム |
| 発売日 | 2024年03月22日 |
| 国内/輸入 | 輸入 |
| レーベル | Meloclassic |
| 構成数 | 9 |
| パッケージ仕様 | ボックス |
| 規格品番 | MC1076 |
| SKU | 791154051085 |
構成数 : 9枚
【曲目】
ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op.19
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
7つのバガテル―第1番 変ホ長調 Op.33-1
ハインツ・レーグナー(指揮)
シュターツカペレ・ベルリン
1965年3月26日 東ドイツ ベルリン
ステレオ
ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」
シューベルト:即興曲 変イ長調 D.899-4,Op.90-41
ハインツ・レーグナー(指揮)
シュターツカペレ・ベルリン
1965年3月28日 東ドイツ ベルリン
ステレオ
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
エーリヒ・シュミット(指揮)
ベロミュンスター放送管弦楽団
1962年1月24日 スイス ビール
モノラル
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 Op.15
ブラームス:間奏曲 変ホ長調 Op.117-1
ハインツ・レーグナー(指揮)
シュターツカペレ・ベルリン
1966年9月25日 東ドイツ ベルリン、ステレオ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
ハンス・ミュラー=クライ(指揮)
南ドイツ放送交響楽団
1955年7月21日 西ドイツ コスタンツ、モノラル
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
カール・ミュンヒンガー(指揮)
シュトゥットガルト・クラシッシェ・フィルハーモニー
1969年11月21日 西ドイツ シュトゥットガルト
バッハ:フランス組曲第5番 ト長調 BWV816
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K.310
シューマン:交響的練習曲 Op.13
シューベルト:4つの即興曲 D.899,Op.90
ブラームス:ラプソディ第2番 ト短調 Op.79-2
ブラームス:カプリッチョ ロ短調 Op.76-2
1963年10月7日 東ドイツ ポツダム、モノラル
モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450
オイゲン・ヨッフム(指揮)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1963年3月17日 オランダ アムステルダム、モノラル
モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478
アマデウス四重奏団
1962年8月10日 フランス プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 マントン、モノラル
ベートーヴェン:
チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
6つのバガテル Op.126
パブロ・カザルス(チェロ Op.102-2)
1958年7月16日 フランス ピレネー=オリアンタル県 プラド、モノラル
バッハ(ケンプ編):来なさい、異教徒の救い主よ BWV659
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 Op.96
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8
シャンドール・ヴェーグ(ヴァイオリン Op.96,Op.8)
パブロ・カザルス(チェロ Op.8)
1958年7月17日 フランス ピレネー=オリアンタル県 プラド、モノラル
【演奏】
全てヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
【録音】
1955~1969年ライヴ、ステレオ・モノラル 630'10

※ショッピングカートおよび注文内容の確認画面にてフラゲのお届けになるかご確認ください。
※各種前払い決済をご利用の場合、フラゲは保証しておりません。
※フラゲは配送日時指定なしでご注文いただいた場合に限ります。
読み込み中にエラーが発生しました。
画面をリロードして、再読み込みしてください。

ウイルヘルム・ケンプのライヴ・コンサート・エディションを聴いた。これはケンプ、いやピアノ音楽に興味がある人にとっては必聴なのではないか。少なくともわたしはこれを聴いて初めてケンプがどういう音楽家だったのか分かった。なんでブレンデルが「ケンプはエオリアンハープを奏でるように演奏する」といったのか理解した。確かにケンプは唯一無二そして調子の良し悪しに左右される演奏家だったであろう。しかし興が乗ったときは得もいわれぬ、極上の「移ろい」を聴かせてくれる演奏家だったのだろうと。ユジャ・ワン等の現代の演奏家ははるかに「精密な」演奏を聴かせてくれるだろう。現代は「細密化」の時代なのだから。しかして「移ろいゆく」美に対してすべての音符を音にすることに何の意味があろう。はかない「移ろいゆく」美に対して、すべてを明らかにすることは意味があるのだろうか?