| フォーマット | 書籍 |
| 発売日 | 2018年04月10日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| 出版社 | 講談社 |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| SKU | 9784062586764 |
| ページ数 | 256 |
| 判型 | 46 |
構成数 : 1枚
第1章 ヴェールとしての言葉――言語不信の諸相
1.中島敦「文字禍」とその周辺
2.ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」とその周辺
第2章 魂あるものとしての言葉――ウィトゲンシュタインの言語論を中心に
1.使用・体験・理解
2.言葉の立体的理解
3.「アスペクト盲」の人は何を失うのか
第3章 かたち成すものとしての言葉――カール・クラウスの言語論が示すもの
1.クラウスによる言語「批判」
2.言葉を選び取る責任
【2019年サントリー学芸賞受賞(思想・歴史部門)】
中島敦の小説「文字禍」、ホーフマンスタールの小説「チャンドス卿の手紙」。この二つの作品に描かれたいわゆる「ゲシュタルト崩壊」、すなわち、文字が意味や表情を失って見える現象をてがかりに、ウィトゲンシュタインの言語論に新しい視座を与え、カール・クラウスの言語論に、すぐれて現代的な意味を見出す。清新な言語哲学の登場!
言葉が表情を失うことがある。たとえば、「今」という字をじっと見つめ続けたり、あるいは、「今、今、今、今、今、今・・・」と延々書き続けたりすると、なじみのあるはずの言葉が突然、たんなる線の寄せ集めに見えてくる。一般に、「ゲシュタルト崩壊」といわれる現象だ。
逆に、言葉が魂が入ったように表情を宿し、胸を打つようになることがある。こういう現象を、どうとらえたらいいのだろうか。魂のある言葉とは、どのようなものか。
本書は、中島敦とホーフマンスタールの二編の小説からはじまる。いずれも、「ゲシュタルト崩壊」をあつかった作品である。
ついで、ウィトゲンシュタインの言語論を検証する。かれが「魂なき言語と魂ある言語」といったとき、どのような哲学が展開されるか。
そして、最後に、カール・クラウスの言語論を考える。
生涯をかけて、言語批判をつらぬいたクラウスの思想とは、どのようなものだったか。
それは、「常套句に抗する」ことで、世の中をかえようとする試みでもあった。
以上の三つの核によりそいながら、「命ある言葉」とはなにかを哲学する力作。

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