『ディキシー・チキン』リリース後に始まったツアーから、2枚のディスクに4月19日のニューヨークと7月19日のデンヴァーの2公演を収録。今では名作と誉れ高い『ディキシー・チキン』だが、当時は売れないバンドの売れない作品だった。リトル・フィートの73年とはそんな年だった。しかし、それと演奏の内容はまったく関係なく、音楽的な冒険と演奏の可能性を最も追求していたと思われる時代、かつ、後の音楽的な方向性の分断もまだない時代とあって、非常に濃厚なグルーヴを聴かせてくれる。この時期のフィートの演奏は全て聴きたいという人も少なくないだろう。 (C)RS
JMD(2023/08/30)
セールスの不振に苦しみながらも演奏は絶好調。名作『ディキシー・チキン』を作り上げた73年のツアーからニューヨークとデンヴァー公演を2CDで!
『ディキシー・チキン』リリース後に始まったツアーから、2枚のディスクに4月19日のニューヨークと7月19日のデンヴァーの2公演を収録。リトル・フィートというバンドは、その高度な音楽性と演奏力に反してなかなか売れず、特に初期はセールス不振が原因で二度も解散の危機に瀕している。一度目は、2ndアルバム『セイリン・シューズ』(72年)をリリースした後。当時はローウェル・ジョージ(g, vo)とビル・ペイン(key, vo)の双頭バンドといった趣で、そこにローウェルのマザーズ・オブ・インヴェンション時代の同僚、ロイ・エストラーダ(b)とリッチー・ヘイワード(ds)のリズム隊が加わるという4人組だった。最初の2枚のアルバムは評価こそ高かったものの売れず、エストラーダはバンドを脱退してキャプテン・ビーフハートのマジック・バンドに加入する。リトル・フィートは、ケニー・グラッドニー(b)、ポール・バレア(g, vo)、サム・クレイトン(per, vo)を迎えて6人編成として復活。73年1月にニューオーリンズ・ファンクを取り入れた『ディキシー・チキン』をリリースするも、またもセールスは惨敗。バンドは二度目の解散の危機を迎える。今では名作と誉れ高い『ディキシー・チキン』だが、当時は売れないバンドの売れない作品だったわけだ。リトル・フィートの73年とはそんな年だった。しかし、それと演奏の内容はまったく関係なく、音楽的な冒険と演奏の可能性を最も追求していたと思われる時代、かつ、後の音楽的な方向性の分断もまだない時代とあって、非常に濃厚なグルーヴを聴かせてくれる。この時期のフィートの演奏は全て聴きたいという人も少なくないだろう。
発売・販売元 提供資料(2023/07/11)