コロンビア湾岸部のサウンドシステム=ピコが再注目される今、コレクターの間で多くのウォントがついているエキゾチックなアフロ・トラック満載の「Wganda Kenya Kammpala Grupo」が初のストレート・リイシュー!!
アフロをベースにしたワイルドでファンキーなサウンドの音楽をグルーヴ感たっぷりに収録した今作は時代を先取りしていた・・・
1977年にコロンビアのレコード会社ディスコ・フエンテスがこのアルバムをリリースする頃、Wganda Kenyaのディスコグラフィーは多くの45シングルと様々なアーティストのコレクションへの出演で拡大していた。1975年のデビュー盤「Africa 5.000」は、アメリカでは全曲LP、コロンビアでは様々なアーティストのコンピレーションに収録され、翌年にはセルフタイトルのロングプレーヤーがリリースされた。しかし、このアルバムのタイトルにもなっている謎のスタジオバンド"Kammpala Grupo"は、無名だった。この短命バンドの正体は、コロンビアのカリブ海沿岸(特にバランキージャとカルタヘナ)のDJが好む、エキゾチックなアフロ・トラックを演奏するグループが増えた!と思わせるためのレーベルの策略であった可能性もある。
1974年、ディスコ・フエンテスの経営陣は、ミュージシャンでありプロデューサーのJulio Ernesto "Fruko"EstradaをA&Rミッションで沿岸部に派遣し、ピコ・サウンドシステムの所有者が運営するバーベナという野外パーティーで人々が何を踊っているのかを探った。Frukoは入手困難なレコードを持ち帰り、レーベルが成長する地域市場に参入し、独自のスタジオ「Wganda Kenya」を通じてコロンビア内陸部と他の中南米諸国へその人気を広められるように、インスピレーションとして(またはそのままコピーする)役割を与えることを命じられたのだ。(1/2)
発売・販売元 提供資料(2023/05/29)
ディスコ・フエンテスは、以前クンビアや他の地域ジャンルで行ったように、アフリカに根ざした海岸の豊かな文化を利用するために常に戻ってきていたので、ある意味、限界集落の人々のこの特別なニッチ現象に同調したことは驚くべきことではありませんでした。70年代から80年代にかけてチャンペタ・ダンサーに最も人気があったジャンルは、コンゴのルンバ、ハイライフ、アフロビート、ジュジュ、ムバカンガ、スークーといったスタイルや、ハイチ、グアドループ、マルティニーク、キュラソー、ドミニカの音楽で、これらはすべてDJたちによって厳重に守られ、しばしば旅や交換、ディグといった過激な手段を使って何とか入手することができました。
ハイライフ・スタイルのギターと、カルロス・ピニャが演奏したと思われるアフリカン・スタイルのサックスとの絶妙なインタープレイが特徴的な陽気な「El Gallo Africano」でレコードはスタート。Kammpala Grupoの「La Yuca Raya」はIsaac Villanuevaが「Son haitiano」と呼ぶスタイルで書いたものだが、ジンバブエのShonaムビラ音楽によく似ている。一方、Wganda Kenyaの「Caimito」(熱帯果実の一種)は、実はハイチのメレンゲの比較的有名な曲のカバーである。Kammpala Grupoはブラック・ソウルのアフロ・ブギー・アンセム「Black Soul Music」のカバー・バージョン「King Kong」を披露。
Bサイドでは、アンゴラのギタースタイルを忠実に再現した「La riphyta」や、このアルバムで最も奇妙なトラックともいえる、ガーナのJoe Mensahによる「Ye Gbawa Oo Baba (Tribute To Nigeria)」のカバー「La Trompeta Loca」(「The Crazy Trumpet」)などを収録。
多様なカリブ海サウンドを存分に楽しめる素晴らしいレコードです!(2/2)
発売・販売元 提供資料(2023/05/29)