ピアノ連弾の魅力はなんといっても2人のピアニストによるワイドレンジで音の数が多い音楽が楽しめることです。特に内声部が充実するため、オーケストラ作品の編曲にも十分に耐え、情報量の多い新たなピアノ曲としての存在感も出てきます。
奥さんとピアノ連弾することが多かったグリーグは、連弾の際には低音側で演奏を支えていました。面白いのは、最初からピアノ連弾のために作曲した「ノルウェー舞曲集」では、第1曲からワイルドな民俗的素材が畳みかけて低音と内声の迫力がすごいことでしょう、管弦楽版を凌ぐインパクトです。
演奏のロベルト・プラーノとパオラ・デル・ネーグロは夫婦で、連弾コンサートではグリーグの場合と同じく夫が低音側を担当していました。
【作品について】
グリーグは1867年に従妹のニーナ・ハーゲルップ[1845-1935]と結婚し、40年間夫婦として過ごしています。ニーナは歌手でピアニストでもあり、グリーグの書いた歌曲の多くは彼女のために書いたものでした。また、ピアノもうまかったことから、グリーグはニーナとよく連弾し、ときにはコンサートもおこなっていたほどです。
しかしアーティスト同士、主張の強い性格でもあったことから夫婦のトラブルは多く、危機的な状況に陥ったこともありましたが、親友の尽力などにより、最後まで破綻せずに過ごすことができたようです。
このアルバムにはグリーグの書いた主要なピアノ連弾曲が集められています。高音側を奥さん、低音側をグリーグが担当するのが常だったことを念頭に置きながら聴くと、意外なほどのグリーグの主張の強さも伝わって面白いかもしれません。
4つのノルウェー舞曲 Op.35
1881年、ピアノ連弾のために作曲し、同年11月に出版。のちに他人の手によって管弦楽編曲版が出版されています。
グリーグは都会の生活やツアーに疲れるとフィヨルドの地ハルダンゲルのロフトゥス村の家屋に滞在、若い頃から親しんでいた民俗音楽とも相性の良い環境の中で作曲をおこなっていました。
「4つのノルウェー舞曲」はそれらの中でも特に魅力的な傑作で、リンデマンの編纂した民俗音楽の大アンソロジーの第302番、第102番、第8番、第50番から引用し、民俗色豊かでしかも演奏効果の上がる仕上げを施しています。
第1番
三部形式。17世紀初頭に侵略してきたスコットランドの傭兵を打ち負かした農民たちのことを歌った民謡素材を使用。主部はエネルギッシュでワイルドな音楽で、低音の魅力が炸裂しています。
第2番
三部形式。ノルウェー山間部のハリング舞曲の要素が反映。主部の動機は、のちのマーラー「復活」終楽章の序奏部主要動機に似ていますがこちらは可愛らしい感じです。
第3番
三部形式。ハリング舞曲の要素が反映。主部は舞曲風な行進曲調。
第4番
序奏付き三部形式。ハリング舞曲の要素が反映。
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発売・販売元 提供資料(2023/04/26)
2つの交響的小品 Op.14
1869年編曲。原曲は1864年、デンマーク拠点期[1863-1866]に、グリーグが21歳で完成した交響曲ハ短調の中間楽章。
第1曲 アンダンテ・カンタービレ
交響曲ハ短調の第2楽章の編曲。シューマンやベートーヴェン風なところもある音楽。
第2曲 アレグロ・エネルジーコ
交響曲ハ短調の第3楽章の編曲。ボンダジェフスカ(バダジェフスカ)やショパンを思わせる部分もある音楽。
「ペール・ギュント」組曲
1888年編曲。原曲の劇音楽(全23曲)は1874年から1875年にかけて作曲。組曲では劇進行の時系列とは無関係に曲を配置しています。
「朝の気分」
劇音楽の第13曲(第4幕)。北アフリカ、モロッコ南西部の砂漠を望む海岸の近く。ペール・ギュントはサルの群れから身を守るためアカシアの木の上で朝を迎えます。裕福になっていたペール・ギュントですが、寝ている間に仲間が船を奪って逃走。異国情緒を示すため東洋風なペンタトニックも使用されています。
「オーセの死」
劇音楽の第12曲(第3幕)。故郷に戻りソルヴェイグと山の中の小屋で暮らしていたペール・ギュントは、危篤の老母のもとを訪れてとりとめのない空想話を聞かせ、やがて母は昔と変わらぬ息子の様子に安心して息を引き取ります。
「アニトラの踊り」
劇音楽の第16曲(第4幕)。劇音楽では「アラビアの踊り」に続く部分。ペール・ギュントのために族長の娘アニトラが官能的な踊りを披露。
「山の魔王の広間で」
劇音楽の第8曲(第2幕)。ペール・ギュントは豚に跨った緑衣の男と山に入り、山の魔王の館に連れていかれ広間に通されます。そこにはトロールやゴブリン、精霊などの魔物が集まっていて、やがてペール・ギュントを屠れと大騒ぎになります。
「花嫁の誘拐。イングリの嘆き」
劇音楽の第4曲(第2幕)。第1幕で描かれていた村の結婚式で、ペール・ギュントが大暴れして花嫁を力づくで奪う様子と、嘆き悲しむ花嫁イングリ(イングリッド)を描写。
「アラビアの踊り」
劇音楽の第15曲(第4幕)。アラビアのベドウィン族の女たちの群舞の様子。中間部では族長の娘アニトラの踊りがひときわ美しい旋律で描写。ペール・ギュントはここでは預言者と詐称しており、一同の信頼を得て財を成します。
「ペール・ギュントの帰郷。海岸での嵐の夕べ」
劇音楽の第21曲(第5幕)。世界各地で数々の冒険をおこない、最後にカリフォルニアの金鉱で巨万の富を得た老ペール・ギュントは、故郷に帰るため船に乗ります。しかし船はノルウェー近くで嵐に遭って難破し、ペール・ギュントは無一文なってしまいます。この第5幕前奏曲では嵐の様子が描かれています。
「ソルヴェイグの歌」
劇音楽の第19曲(第4幕)。アニトラに騙されて強盗に遭ったペール・ギュントが、岩場で眠っているときに見たソルヴェイグの夢。森の中の山小屋の傍らで機を織るソルヴェイグの様子が描かれています。
「山の魔王の娘の踊り」
劇音楽の第9曲(第2幕)。劇音楽では、「山の魔王の広間で」に続いて演奏される曲。凶暴な魔物たちと違って、ペール・ギュントをからかうかのように踊ります。
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発売・販売元 提供資料(2023/04/26)
2つのワルツ・カプリース Op.37
1883年作曲。ピアノ連弾のために書いたオリジナル曲。作曲当時のグリーグは妻ニーナとうまくいっていなかった時期で、別な女性との交際も考えたりしていたようですが、ほどなく親友フランツ・バイエル[1851-1918]のとりなしで妻と和解したため、別な女性へのアプローチは未遂に終わったようです。グリーグの揺れる心が反映されたのか、作品の仕上がりと評判は上々で、4年後の1887年にはピアノ独奏用に編曲してもいます。
第1番
2分半から3分ほどの主部、1分強の中間部に続き、主部が短縮されて復帰し、短いコーダで締めくくられます。
第2番
十数秒の短い序奏に続いて、1分ほどの主部、2分ほどの中間部、短縮された主部の復帰、短いコーダと続きます。中間部はブラームスのピアノ協奏曲第1番第1楽章のピアノによる第1主題の出だしが夢幻的になったような趣の独特の魅力のある音楽。
2つの北欧の旋律 Op.63
1896年編曲。原曲は弦楽合奏による同名作品で1895年の作曲。トロルハウゲン拠点期[1884-1904]の作品。
第1曲「民謡調で」
ノルウェーの外交官で作曲もするフレデリク・ドゥーエ[1853-1906]が、1894年にパリでグリーグに出会った際に贈った「伯爵令嬢」というタイトルの16小節の旋律を使用。
第2曲「牛飼の歌と農民の踊り」
「25のノルウェーの民謡と舞曲」Op.17に含まれる旋律を使用。前半の「牛飼の歌」が、第22曲「湿原に呼ばわる」の旋律、後半の「農民の踊り」が、第18曲「つまづき踊り」の旋律によるものです。
<ロベルト・プラーノ(ピアノ)>
1978年8月1日、ミラノ近郊のヴァレーゼで誕生。2001年、クリーヴランド国際ピアノ・コンクール優勝したほか、仙台国際音楽コンクール、ホーネンス国際ピアノ・コンクール、バレンシア国際ピアノ・コンクール、ゲザ・アンダ国際コンクールなどで入賞。
ソロと室内楽の両方で活動し、欧米各国や日本などで演奏。2016年からはボストン大学の教授となり、2018年からはインディアナ大学ジェイコブス音楽院でも教えています。
CDは、Brilliant Classics、DECCA、Azica、Amadeus、Arktos、Concerto Classics、Van Cliburn Foundation、Da Vinci Classicsなどから発売。
<パオラ・デル・ネーグロ・プラーノ(ピアノ)>
1979年、イタリアで誕生。9歳の時、トリノのユヴァッラ劇場でベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会に参加してデビュー。ニーノ・ロータ音楽院を卒業後、ダシナモフ・コンクール、モンカリエリのヨーロッパ音楽コンクールなど、20以上の国内外ピアノコンクールで入賞。
ソロと室内楽の両方で活動し、欧米各国で演奏。インディアナ大学ジェイコブス音楽院、ウエストチェスター音楽院、ウェストンのリヴァーズ・スクール音楽院などで教えてもいます。夫のロベルト・プラーノと3人の娘エリザ、アンナ、ソフィアとともに、インディアナ州ブルーミントンに住んでいます。
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発売・販売元 提供資料(2023/04/26)