| フォーマット | ムック |
| 発売日 | 2023年03月25日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| 出版社 | NHK出版 |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| SKU | 9784142231508 |
| ページ数 | 116P |
| 判型 | A5 |
構成数 : 1枚
知や教養を超えて、"心の糧"として「聖書」の言葉を読む
キリスト教の聖典「新約聖書」。その中核を成すマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の4つの「福音書」には、イエス・キリストの生涯と言葉が記され、それぞれが補い合うようにして、イエスという存在が浮かび上がってくる。生涯を通じて、弱きもの、小さきものに徹底的に寄り添ったイエスの存在は、私たち現代人にとってどのような意味を持つのか。
「福音書」に何度も向き合い、今も向き合い続けている若松英輔氏を案内役として、信仰者だけでなく誰にも開かれた書物として、また知的に「理解する」ものではなく、読む人自身の人生・経験に重ね合わせて「感じる」ものとして、読み方そのものを見直しながら「新約聖書」を読んでいく。

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人によっては神と口にする時、私心から都合の良い詭弁の切り札であることも多いのではないだろうか。神という言葉は、あまりにも都合よく使われ、手垢がつき、本来の定義がわからないくらいである。だから、イエスを神聖視して、神の子と強調すると、偶像化されているように感じて関心が薄らぐのだ。
当然ちかまさりする、聡明な篤志家で思想家として見る方が、私にはイエスの言葉とされる聖書の言葉が声となって聞こえてくる。
“あながたが自分を愛するものを愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは収税人でもするではないか”(マタイ5-46)
とは言え、訳し間違いではないかと思うほど、やはり現実的には無理難題ばかりを説いているのである。
寓意のような奇跡だとか、水の上を歩いたか否か等は、そんなに重要なことではなく、それよりもイエスの衣に触れて病が治った女性の逸話のように、人を癒す名医の波動やエネルギーを持った慈悲深い人であったことのほうが核心に近づく手掛かりだと思う。
息子が小学五年の時にリンチにあって不登校を余儀なくされて以来、理不尽や不条理と常に闘い、負の人間性に接することの多い日々を送っている。気分転換として積極的に音楽を聴いて来た。世間では、夥しい数の演奏会が催されているが、私はひたすら録音を家で聴いてきた。音楽が心身の損傷を回復させることもあるが、言葉にならない思いを代弁してくれていたからでもあったと気づいた。宗教曲だけでなく、世俗曲や器楽曲も心の憂いや澱をよく取り除いてくれた。聴くことと祈りがシンクロしていたのだ。芯から祈る時は、やはり一人密かに行うのではないだろうか。
“また祈る時には偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることをこのむ。”(マタイ6―5)
聖書は、古今東西変わらぬ人間の様相、人間理解の書として読みたい。
本テキストは、『新約聖書』を身近なものにしてくれる最適の手引書。