| フォーマット | DVD |
| 発売日 | 2001年06月25日 |
| 国内/輸入 | 国内 |
| レーベル | - |
| 構成数 | 1 |
| パッケージ仕様 | - |
| 規格品番 | BBBJ-1756 |
| SKU | 4947127515696 |
構成数 : 1枚

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自分は人とどのようなお茶の時間を過ごしたいかを考えると、相手が難しい局面の時に共に茶を喫する事で、有意義な時空間としたいと思い至ったのである。愁傷は愁殺、心情吐露が目的ではなく、局面打開に繋げる状態まで心身回復を目することが主眼である。
息子と社会問題に巻き込まれてから、息子が学校から帰宅すると、ストレスケアの一環として、必ずお茶とお菓子を息子の机に持って行った。
重篤な心理状態で、人は事実や本心を話さない。一緒に間近にいることは避けて、少し離れた別の部屋に居た方が良いこともある。
では、近しく共に過ごす喫茶はどのように創出されたのか。
神経が整う茶道の稽古、手前の手順は完成度が高いだけではないと感じていた。
精神疲労を払拭する共通項の一つ、忘れられないのは、リヨンを本拠とする老舗ショコラティエ「ベルナシオBernachon」の店舗写真を見た途端、瞬時に疲労が払拭された事である。このブランドも、営業時間や寄せられた口コミには必ずある返答を読むと、天才の条件でもある、勤勉さが先ずはうかがえる。
“茶人の第一の必要条件は、掃き方、拭き方、洗い方の知識で、拭き、はたきをかけるには技術がある。…茶人たちが抱懐する清潔の観念…利休が求めたものは、清潔だけではなかったので、美と自然でもあった。”(岡倉天心『茶の本』桶谷秀昭訳)
一杯のお茶を喫する為に、場の創出にかける精神的コストの違いは何か。
利休は、戦国乱世に於いて茶湯を大成、侘び茶で何人もの死出の見送りを執り行った。戦死でなくても死がすぐ近くにいた時代、一期一会は、メメントモリmemento moriと実質不可分であったのではないだろうか。
「亭主給仕をすればすむ也」(『長聞堂記』、伊住政和『贅沢な食卓』引用)は、心を尽くすことの深遠を知る、終わり無き創造性の精髄の一つではないだろうか。
名作や名演奏の特性により、本作品を観て、利休の職業哲理と思想へ思い巡らし千思万考。
”The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpieces.“(岡倉天心『茶の本』)
自分の基となる日本人の感性を再認識した翌日、
千利休の祥月命日(1591年4月21日)に。