梅津和時と原田依幸。この二人の歴史的〈オフノート〉がついに明らかに。NYのフリージャズ・シーンと日本のフリーミュージック・シーンの貴重な出会い。1975年に自主製作され初回500枚のみ頒布された幻のアルバムが、遂にLP復刻!今回復刻されるLP盤はオールドスタイルのゲートフォールド・ジャケットに収められ、貴重な写真とアラン・カミングスによるライナー・ノーツが掲載。
阿部薫、高柳昌行、山下洋輔、吉沢元治など、日本のフリージャズの第一世代が1960年代半ばに出現したのに続き、1970年代には刺激的な若手の第二世代が登場し始めた。その代表格が、サックス奏者の梅津和時、マルチインストゥルメンタリストの原田依幸の2人である。梅津はクラリネットとバスクラリネットを、原田はピアノを担当し、即興的なデュオ演奏を始めた。また、グラフィック・スコアやプリペアド・ピアノを使った実験も行った。やがて、高校生の森村哲也をドラムに迎えてトリオを組み、生活協同組合と名付けることになる。
1974年9月、梅津は単身ニューヨークへ渡り、ロフト・ジャズの人脈づくりに着手する。ニューヨークに到着したのは、幸運だった。ロウアー・イーストサイドは家賃が安く、多くのミュージシャンやアーティストが移り住んでいた。梅津と、デヴィッド・マレー、アーサー・ブライス、オリバー・レイクといった若い音楽家たちとの交流が始まった。梅津は原田に手紙を書き、ニューヨークへ誘った。原田はそれを受け入れ、1975年7月にニューヨークに到着。
これを機に、原田と梅津は芸術的なコラボレーションを再開することになった。梅津は、テッド・ダニエルと一緒に演奏していたときに知り合ったトランペット奏者、アハメド・アブドゥラを誘った。アブドラは自分のグループを率い、サン・ラーのサイドマンとして長く活動していた。ベースは当時のロフト・ジャズ・シーンの中心人物、ウィリアム・パーカーである。アブドラはドラムスにラシッド・シナンを連れてきた。原田のピアノのスピードとダイナミズムは多くの支持を集め、大成功のうちに幕を閉じた。
発売・販売元 提供資料(2022/07/01)
集団疎開、その前夜の前夜、日本のフリージャズ界を牽引してきた原田依幸(pf)、そしてジャズのみならず忌野清志郎から七尾旅人まで厚い信頼を得る梅津和時(as)がかつて75年ニューヨークのロフト・ジャズに切り込みサン・ラ・アーケストラのメンバーらと音の交感を果たした。数百枚限定でプレスされていた幻のアルバムが遂に復刻。その後生向委は大管弦楽団となり自由な魂は渋さ知らズや藤井郷子オーケストラなどへ脈々と受け継がれていく、その芽吹きがここにある。その演奏は混沌よりもポジティヴなパワーに満ちた真の自由の模索であり、40年の時を経た今聴いても鮮やかな感動を喚ぶ。
intoxicate (C)片切真吾
タワーレコード(vol.124(2016年10月10日発行号)掲載)