多くのバンドを渡り歩き、行く先々でその音楽を自分の色に染め上げてきたトミー・ボーリン。これはトミーがまだまだ無名だった1972年、当時やっていたエナジーというバンドでのライヴをミネソタのFM局、KFMLが放送用に録音したもので、同じ年、同じ場所での4月と10月の演奏を2枚組にカップリング
エナジーは1972年から1973年の2年間活動したものの、結局レコーディングのディールを獲得することができず、経済的な行き詰まりから解散となったが、トミーにとっては大事な仲間だったようで、晩年まで何かにつけてこの時のメンバーを呼び戻して演奏している。スタジオ・レコーディングを残さなかったバンドなので、演奏残っていること自体がそもそも貴重。ファンは必聴の音源だ。
トミー・ボーリンがデビューしたのは、ゼファーというブルーズ・ロック・バンドで、18歳だった1969年。ゼファーでは1971年まで活動し、トミーはその頃からマハヴィシュヌ・オーケストラのようなジャズ・ロックへの移行を模索し始め、途中加入したドラムのボビー・バージと共に新たに結成したのがエナジーだった。初期のシンガーは方向性の違いから脱退。代わりに加入したのが、トミーがゼファーを結成する前に組んでいたアメリカン・スタンダードというバンドのシンガーだったジェフ・クックで、トミーと一緒に書いた曲の中には、ディープ・パープルで採用される「Lady Luck」もあり、その演奏はこのCDでも聴ける。「Hok-O-Hey」など長尺のインプロヴィゼーションが聴ける曲が増える中、サニー・ボーイ・ウィリアムスンやジョン・リー・フッカー、ジュニア・ウェルズのブルーズのカヴァー、さらにはジェフ・ベック・グループのカヴァーまでやっているなど、明らかに方向性を模索している。当時のトミーは20?21歳。そのギター・プレイは既にかなりキレているが、この才能が開花するのはこの翌年。まさに世界がトミー・ボーリンという名前を知る前夜の貴重な記録だ。
発売・販売元 提供資料(2022/08/08)
多くのバンドを渡り歩き、行く先々でその音楽を自分の色に染め上げてきたトミー・ボーリン。これはトミーがまだまだ無名だった1972年、当時やっていたエナジーというバンドでのライヴをミネソタのFM局、KFMLが放送用に録音したもので、同じ年、同じ場所での4月と10月の演奏を2枚組にカップリング。 (C)RS
JMD(2021/09/28)