マイルス・デイビスの初来日、伝説の京都公演!
1964年7月15日、宇宙の京都丸山公園音楽堂ライヴ
中平穂積撮影の'64年日本公演写真を使用したジャケット
初来日となった1964年の日本ツアーでも、特に伝説となった最終日。新加入のサム・リヴァース(ts)に、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)の稀少なマイルス・デイビス・クインテットでのライヴ。
7月15日の京都円山公園音楽堂ライヴは、そぼ降る雨の中、マイルス史上でも屈指の名演となります。
6曲目「Seven Steps to Heaven」は、残念ながら途中までの収録で、近年リリースされた海外レーベル商品では、イントロを編集で繋いで完全版を装うバージョンもありますが、Eternal Groovesでは現存するマスター音源に準じてリマスターしています。
以下、マイルスの1964年日本ツアー日程とともに、小川隆夫氏によるライナーノーツから抜粋。
「第1回世界ジャズ・フェスティヴァル」として行われた日程は以下。
7月10日:名古屋市公会堂
11日:大阪フェスティヴァル・ホール
12日:東京日比谷野外音楽堂→今回同時発売(EGHO-001)
13日:大阪フェスティヴァル・ホール
14日:新宿厚生年金会館大ホール→CBSより1969年に発売
15日:京都円山公園音楽堂→本作(EGHO-002)
初来日公演における最終日のステージを収録。個人的な好みだが、「厚生年金会館大ホール」、「日比谷野外音楽堂」以上にこの「京都円山公園音楽堂」でのパフォーマンスは優れている。6日間、連日にわたって繰り広げられた「壮絶」といっていいクインテットによるコラボレーションが、創造性においてピークに達したからだ。演奏体験を重ねることで、サム・リヴァース(ts)が自分の役割を体得したといえばいいだろうか。
それまでは、本人も「お客さん」的な気分で演奏していたし、メンバーも「ゲスト」的な扱いをしていた。ところが、最終日の演奏は、彼がいて初めて「マイルス・デイヴィス・クインテット」が理想的な形で成立していることを示す内容になった。
いまや、リヴァースは完全にグループに溶け込んでいる。同行した評論家のレナード・フェザーは、次のように報告している。ツアーの中でもっとも印象的だったコンサートは、京都の円山公園音楽堂でのものだ。マイルスのセットの間に小雨が降り始めた。わずかな観客だけが屋根のある場所へ移動した。雨は次第に強くなっていったが、80人程度の若いファンがステージの脇に移った以外、数千人の聴衆は雨に打たれるまま席を立とうとしなかった。傘を持っていたのは数百人くらいのものである。(一部抜粋『Oh! MILES』、スイングジャーナル社刊)
この熱いステージがここに甦った。
マイルスがこのとき日本で残した記録はすべてが後世に語り継がれるべきものだ。
(小川隆夫ライナーノーツより抜粋)
*Miles Davis(tp) / Sam Rivers(ts) / Herbie Hancock(pf) / Ron Carter(b) / Tony Wiliams(ds)
ジャズ・フォトグラファー中平穂積による写真をジャケットに使用。小川隆夫による監修、ライナーノーツ。
Eternal Groovesの"Howlin'"シリーズから登場!
発売・販売元 提供資料(2021/08/30)
マイルスの初来日となった1964年の日本ツアーでも、特に伝説となった京都円山公園野外音楽堂公演。日本公演最終日となった7月15日の雨の屋外公演で、境界線を突破する過激なプレイを聴かせるマイルス。マイルスからサム・リヴァースとソロを引き継ぐ珍しいソニー・ロリンズ曲「オレオ」も。それを支えるハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ。マイルスのライヴ史上でも屈指の名演です。 (C)RS
JMD(2021/06/16)