フォーマット |
CDシングル |
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構成数 |
1 |
国内/輸入 |
国内 |
パッケージ仕様 |
紙ジャケット |
発売日 |
2020年07月18日 |
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規格品番 |
BPU-001 |
レーベル |
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SKU |
4580625823605 |
構成数 | 1枚
合計収録時間 | 00:14:42
★「ソンムの原に」
★「雨ざらしの文明」
全3曲収録
それは末期(まつご)の眼が捉えた窮極の風景か。それとも、新生児のやさしい眼にたゆたい映る夢幻戯画か。頭脳警察というと、政治的に尖鋭な歌詞を掲げているイメージが先行するが、「わらべうた」的な平易でありつつ意味深長な、一見「ノンポリ」な歌詞とそれを活かすサウンドにこそ、むしろ彼らの本領があるのではないか。「同じことを繰り返してばかりの世界 能書きばかり垂れてきたけど そんなこと どうでもいいんだ いまは ただ キミと見てる未来
絶景かな 絶景かな」能書きをもたないわらべうたをあなどってはいけない。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』でわらべうたがどれほど重要な役割を担っていることか。《ガラスの文鎮をポケットに隠し入れて古道具屋を出たあとも、ウィンストンは、教わった伝承童謡の断片を――文鎮と同様に「現在とはまったく異質の時代に属しているように見える」歌の甘美なひとかけを――ずっと反芻している。ずっと、そう、たしかに、破局をむかえて「偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)」を愛するようになるまで、彼はずっとそうしている。「逆ユートピア小説」というレッテルが貼られているこの作品のなかには、主人公ウィンストン・スミスがある種の渇望と熱情をもって歌に想いをめぐらせるくだりが随所に出てくるのである。歌に執着しつづける主人公――それがこの物語で正気を保ちつづけている間の、彼の常態であると言えよう。
そして、「祖先の記憶」を呼び起こす機能をもつ伝承童謡「オレンジとレモン」と、これを歌いつつおこなう伝統的な子供の遊戯――それがじつは、『一九八四年』の説話的構造の、骨格部分をなしている。このことを『一九八四年』を論ずるおびただしい数の人たちが、ほぼ全員、見すごしてしまっているのは、私には大変奇妙なことに思われる。》(川端康雄『オーウェルのマザー・グース』平凡社選書)ここで注目すべきことは、迫害される主人公だけでなく、迫害を行うビッグ・ブラザー側もまた「オレンジとレモン」を口ずさむことだ。そういう意味では、『一九八四年』の真の主人公は「オレンジとレモン」であり、ウィンストンもビッグ・ブラザーも影絵や手駒に過ぎないのか。毎度毎度同じルールで懲りずにループしつづけるゲーム。砂時計の砂を滑落し、闇に呑まれていく「最後の人間」たちとって、うたは拠り所なのか、手錠なのか、脱出口なのか。
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