2018年10月に惜しくも世を去ったヴァイオリニスト岡山潔が、生前から過去の録音から選曲に携わり完成させた。まさしく彼の音楽的遺言といえる作品集。 (C)RS
JMD(2019/03/08)
昨年惜しくも世を去ったヴァイオリニスト岡山潔
自分の病の進行を知って過去の録音から自ら選曲!
まさしく彼の音楽的遺言といえる作品集!
昨年(18年)10月に惜しくも世を去ったヴァイオリニスト岡山潔が自分の病の進行を知って生前から過去の録音から選曲に携わり完成させた。まさしく彼の音楽的遺言といえる作品集です。
<岡山 潔>
1942年 東京中野にうまれる。5歳より父、直躬の指導のもとヴァイオリンを始める。61年 東京藝術大学に入学、兎束龍夫、H.ホルスト、W.ハンケの各教授に学ぶ
更に大学院に進み、ここで、J.ヨアヒムからK.フレッシュ、A.ブッシュにいたるヴァイオリンのドイツ的演奏様式の基礎をたっぷりと習得した。更にのちに生涯の伴侶となる服部芳子と出会い、共に最優秀を競い合った。このときハッケン教授のレッスンにドイツの名指揮者ヨゼフ・カイルベルトが訪れ、学生だった岡山の演奏に感激「君は才能がある。ドイツで勉強すれば、必ず活躍できる」と激賞された。68年 西ドイツ政府給費生として夫婦でハンブルグ国立音楽大学に留学。再びヴァイオリンをハッケン教授に、室内楽をE.ハウプトマン教授に学ぶ。その間彼の演奏するW.サヴァリッシュから「しっかり修行すれば素晴らしコンサートマスターになる」と認められた。
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70年 ベルリンでのメンデルスゾーン・コンクール弦楽四重奏部門で第1位となり、同年ブリュッセルで服部芳子とイザイの二つのヴァイオリンのためのソナタを演奏してイザイ・メダルを授与された。71年 ソリスト国家資格試験に最高位を得て大学を修了。当時西ドイツの首都であったボンにあるベートーヴェンハレ管弦楽団の第1コンサートマスターに就任。この地位に13年間の長きに渡ってこの勤めを果たした。
その間、急病で倒れたジノ・フランチェスカッティに代わりに当日の急遽代役にたち、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を見事に演奏。この演奏会に列席していた当時のW.シェール西ドイツ大統領が楽屋に駆け付け祝福を贈ったなど数々の逸話残した。またこの間、当時あまり演奏されなかったR.シュトラウス、レスピーギ、ワイル、ブゾーニなどを数多く演奏している。*本アルバムに納められたシューマンの協奏曲はこの時代の録音である。84年 西ドイツ政府から一等功労十字勲章を授与された。同年 帰国して、読売日本交響楽団のコンサートマスターに就任。7年間在籍。90年 東京藝術大学教授に就任。活動の重点がオーケストラから教育と室内楽演奏に移行する。93年 エレオノーレ弦楽四重奏団を結成、数回のメンバーチェンを経て2008年 岡山潔弦楽四重奏団を結成。室内楽演奏に心血を注いだ。15年 岡山が「私のライフワーク」と言い続けてきたベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲を中心としたヨーロッパ演奏旅行の企画。すべての予定が整えたところで病に倒れ、演奏生命が絶たれた。
1990年代以降の岡山の活動は、弦楽四重奏の演奏と若手音楽家の育成に焦点を合わせ、それが演奏家に次ぐ第二の天職となった。同じ頃から長野県原村で、音楽学生のための弦楽四重奏のための合宿セミナーを毎年開催。また92年からは小淵沢でのリゾナーレ音楽祭。2013年からはG.ボッセの後任として神戸市室内管弦楽団音楽監督に就任、2015年には札幌の室内楽専用ホール「ふきのとうホール」の音楽監督に就任するなどプロデューサーとしての手腕も発揮した。その集大成が、2011年に立ち上げたNPO法人「TAMA音楽フォーラム」である。自邸内に建てたスタジオ・コンチェルティーノでは岡山亡き後も毎月講師を招き、室内楽セミナーを行うとともに、有望な若手演奏家の紹介が続けられている。
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