樋口紀美子CD第3弾
ショパンの原点はバッハだった!
樋口紀美子のCD第3弾は、ショパンの『練習曲』作品10を核に、『夜想曲』から5曲を選んで収録しています。樋口のレパートリーはバロックから現代まで幅広く、中核はJ.S.バッハ、ショパン、シューマン、リスト、ドビュッシーといったピアノ作品ですが、ドビュッシーと共にショパンは幼少から特に好んで弾いていたといいます。長じてドイツに留学し、バッハを原点としてドイツ音楽を中心に研鑽に励んだわけですが、するとむしろ一層ショパンに対する共感が深まったといいます。
バッハとショパンには意外な関連性があることを、ライナーノーツの中で、バッハ学者として高明な兄の樋口隆一氏が指摘しています。詳しくは本文を読んでいただきたいですが、樋口氏はショパンに影響を与えた3人の教師の存在を上げ、いずれもバッハやベートーヴェンなどのドイツ音楽理論の根幹をショパンに教えたこと、その中でショパンが2番目に教えを受けた、チェコ出身のオルガン奏者V.V.ヴェルフェルは、フンメルやフィールドなど、当時としてはモダンなピアノ曲とともに、オルガン奏法をショパンに教え、彼の推薦でショパンが教会オルガニストを務めたことを指摘しています。ショパンがオルガニストだったことはほとんど知られていませんが、確かにバッハの『コラール』の影響は、『練習曲』や『夜想曲』の随所にも見られます。さらに、作品10と作品25の2つの『練習曲』と『前奏曲』作品28は、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』(第1巻24曲と第2巻24曲)に倣って、それぞれ24曲からなる曲集を完成しようというショパンの強い意欲の表れである点も樋口隆一氏は指摘しています。こうしてみると、樋口紀美子がドイツに留学しながらかえってショパンに惹かれ、その真髄に迫っていったのが必然であることを、このアルバムの随所から聴き取っていただけると思います。(1/2)
ユニバーサル・ミュージック/IMS
発売・販売元 提供資料(2017/11/02)
<樋口紀美子>
6歳より母の手ほどきでビアノを始める。藤田晴子、田辺緑、岡部守弘、永井進、神西敦子、K.ヘルヴィッヒ、H.E.リーベンザーム、G.アゴスティ、H.C.ステアァンスカ、W.ブランケンハイム、ディノラ・ヴァルジの各氏に師事。武蔵野音楽大学卒業後、1974年渡独。エッセン国立音楽大学、ベルリン芸術大学、ザールブリュッケン国立音楽大学演奏家コース卒業。1977年、イタリアのフィナーレ・リグレ国際ピアノ・コンクールにて3位入賞。以来、ドイツ、スイス、イタリア各地で数多くのリサイタルを行う。80年スイスのルガノ国際ピアノコンクール「スケルツォ特別賞」。81年以来、一時帰国しては東京にて13回のリサイタルを開催。『音楽芸術』『音楽の友』『ムジカノーヴァ』『ショパン』各誌で高い評価を得る。85年東京交響楽団とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を共演。93年10月にはマーラー《大地の歌》ピアノ版を邦人初演し、『音楽の友』のコンサート・ベストテンにノミネートされるなど、絶賛を博す。1988年よりベルリンのフィルハーモニー、カンマームジークザールを中心に9回のリサイタル(アードラー主催)で成功を収め、ベルリン・ピアノ界の常連としての地位を確立した。93年の演奏会はベルリン最大有力紙『デア・ターゲス・シュピーゲル』の批評欄で「微笑む理性」と絶賛された。94年9月、イタリアのシチリア島におけるイブラ・グランプリ国際コンクールで、プロフェッショナル・ピアニスト部門入賞。97年リスト・プログラムでCDデビューし好評を博す。ピアノ教育者としても、ベルリンの門下生からドイツ青少年コンクール、ベルリンとハンブルクのスタインウェイ・ピアノ・コンクール、ケーテンのバッハ・ピアノコンクールなどで常に上位入賞者やオーケストラ共演者を出すなど、異例の成功を収め、高い評価と注目を集めた。ベルリン教会音楽大学ビアノ科講師、ベルリン市立音楽学校ビアノ科および室内楽科講師などを歴任。ピティナ・ビアノコンペティション、ベルリン・スタインウェイ・ビアノ・コンクール審査員。2005年よリドイツ音楽芸術家連盟ベルリン正会員。2007年7月、33年のドイツ滞在を終えて帰国。2008年、浜離宮朝日ホールでの帰国記念リサイタル以来、ヨーロッパでの長い演奏経験を生かして日本各地で演奏活動を展開するほか、コンクールの審査、講演、公開レッスンなど幅広く活躍している。帰国後のCDとしては、2012年に「ドビュッシー12のエチュード」(MF-25701)、2014年には「ノアンの思い出、ショパン:ソナタ第3番ほか」(MF-25702)をN&Fよりリリース、特に後者は『レコード芸術』準特選として絶賛を博した。(2/2)
ユニバーサル・ミュージック/IMS
発売・販売元 提供資料(2017/11/02)