あふれるリリシズム、感情に繊細に寄りそって、琴線を優しくゆさぶる奥行き深い響き、世界中のファンの心をとらえる現代最高峰のピアニスト、フレッド・ハーシュの新ソロ作品の登場です。想像を絶する重篤な病から10年の時が経ったとはいえ、今や、その間に困難があったことなど微塵も感じられない演奏。冷静に考えれば、やはり奇跡としか言いようのない年月ですが、今やファンにとっては奇跡が日常になった幸せと言えばいいでしょうか?そして、本作はその間、フレッド・ハーシュの芸術に心酔してきた韓国人コンサート・プロモーター、ヒッチ・キムがオーガナイズした環境のもと録音された記録。当初、フレッド・ハーシュは、新しいソロ作は自分が大きく影響を受けてきたポップ・ソングを集めた作品にしたい、と話していましたが、この録音を聴いたフレッド・ハーシュは、NYで計画を練り直し、プランを変更したようです。楽曲は、オーディエンスがいる環境で録音された2曲(M2,M4)と、同ホールで、オーディエンスのいない環境で録音された5曲。19分にわたるインプロのM4は正に筋書きのないドラマ。フレッド・ハーシュは、この演奏に関して、「予め考えたアイディアもセーフティ・ネットもなく、音楽的に、感情的に、到達したいところどこにでも趣くままに演奏した」と語っていますが、美しさと緊迫感が拮抗する演奏は、近年録音された演奏の中でも注目を集めるものといえましょう。しかし、同時に、構成がある楽曲の中でも研ぎ澄ました集中力で、音楽が生み出されているのは言うまでもありません。実際、自らが抱く世界に忠実になるために、一つの場面に再三再四の演奏を試みることもあったとのこと。つまり、ここには、現代において最高のテクニック、音楽性、感性を持つアーティストが極めた記録があります。かつ、それでいて決して観念的にならないのもフレッド・ハーシュの演奏。ミステリアスなスケールと響きから、なんともいえない安らぎを感じさせるテーマに入る時の、オープニング曲のカタルシス。いくら言葉を尽くしても語れない繊細なタッチで描かれる音像には、聴く人の記憶や感情までをも解放してしまう不思議な力までも秘めているよう。この一曲で、虜になるファンも多いことでしょう。しかしオリジナルはもとより、サウダージがにじみわたるジョビン、ユニークかつ、クラシック的な要素も混じるモンクのナンバーなど、全てが絶品。そして今回のラストは、ビリー・ジョエルの名曲"アンド・ソー・イット・ゴーズ"!"詩がもっている世界観を噛みしめ一つ一つの表現と対話することを大切にしている"と、かつてジョニ・ミッチェルのナンバーを演奏する時のことをフレッド・ハーシュは語ってくれましたが、ビリー・ジョエルのこのナンバーでも同じでしょう。『傷ついた心を抱えた主人公と恋人への思いを語っ』曲によりそい、表現するハーシュ。楽曲の美しさを表現するのはもちろんのこと、哀愁に満ちた表現には、今という時を生きる全ての人の喜びや哀しみにまで語りかけてくるようでもあります。ドラマに満ちた全7曲。ここでしか感じられない感動が確実にあります。
発売・販売元 提供資料(2017/07/03)
フレッド・ハーシュにとってピアノは、弾くものではない、鳴らすものである。繰り返し聴くうちに彼がピアノと一体化してくる。かつてビパップの時代、テイタムやピーターソンさえピアノを鳴らしていた。いつの頃からだろう、ピアノを"弾き始めた"のは。同じピアノを違うミュージジャンが弾いて音の違いに驚いたことがあった。日本でも有数のピアニストと中堅のピアニストで音の差は歴然過ぎた。鳴っているってこの事かと、突きつけられた。ハーシュはソロピアノで容赦なくピアノから幸せを引き出していく。"ピアノの肉声"が聞こえて来そうだ。こんなにも快活で心に突き刺さる《Whisper Not》に初めて会った。
intoxicate (C)瀧口秀之
タワーレコード(vol.129(2017年8月10日発行号)掲載)