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DVD/ブルーレイ
DVD

海と毒薬

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フォーマット DVD
発売日 2017年08月02日
国内/輸入 国内
レーベルKADOKAWA
構成数 1
パッケージ仕様 -
規格品番 DABA-5181
SKU 4988111251817

構成数 : 1枚
合計収録時間 : 00:00:00

  1. 1.[DVD]
    映像・音声
    面/層 片面二層
    色彩 モノクロ
    画面サイズ ビスタサイズ=16:9
    映像方式 NTSC
    動画規格 MPEG2
    オリジナル言語 日本語
    オリジナル音声方式 ドルビーデジタル2.0chモノラル
    字幕言語1 日本語字幕
    1. 1.
      海と毒薬
      02:03:00

遠藤周作の同名小説を社会派の巨匠・熊井啓が映画化した傑作がDVD化!

★遠藤周作×熊井啓、ベルリン映画祭銀熊賞(審査員特別賞)、ブルーリボン賞監督賞、キネ旬ベストテン第1位の傑作が新規美麗HDマスターにてDVD化!
太平洋戦争末期に行われた日本軍の米兵捕虜生体解剖実験をモチーフに記された遠藤周作の衝撃の名作を社会派の巨匠・熊井啓が映画化し、国内外で高く評価された。本物の血を使って撮影されたというリアルな手術シーンを敢えてモノクロームで見せることで、緊張感ある重厚な映像表現となった。熊井啓監督が映画化を企画したのが1969年、内容の重さ・難しさから実現に時間がかかり17年目にようやく劇場公開が実現。2001年にDVDがリリースされた後、長らく廃盤となっていた。

★医学生に扮する奥田瑛二と渡辺謙をはじめ、岡田真澄、成田三樹夫、田村高廣、神山繁、岸田今日子、根岸季江ら、日本を代表する名優たちの豪華競演。
今では日本映画界を代表する名優となった奥田瑛二、渡辺謙だが、撮影当時はふたりとも20代。対照的な青年医師を熱演した。岡田真澄が米軍将校に、田村高廣、成田三樹夫、神山繁が病院内の権力闘争に明け暮れる教授陣に、岸田今日子が冷徹な看護師長に扮している。

★撮影の栃沢正夫、音楽の松村禎三、美術の木村威夫ら、第一線で活躍する熊井啓組のスタッフが集結。
栃沢正夫、松村禎三、巨匠・木村威夫ら一流のスタッフが支えた。助監督には、原一男がクレジットされている。

作品の情報

あらすじ
太平洋戦争末期。敗色も濃厚となった昭和20年5月。九州のF市にも毎晩のように米軍機による空襲が繰り返されていた。大病院で研究中の医学生、勝呂と戸田の2人は物資も薬品も揃わぬ状況下だが、自身の研究と患者の治療に追われ忙しい日々を送っていた。2人の指導教官である教授たちは次期院長の座をを巡って水面下で派閥争いを繰り広げている。そんなある日、2人は教授から米軍捕虜の生体実験に参加するよう申し付けられる……。

メイン
監督・脚本: 熊井啓
主演: 奥田瑛二

その他

制作国:日本
制作年:1986

メンバーズレビュー

3件のレビューがあります
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汎く多くの人々に長く鑑賞されることを祈念し、定番商品化を期待する。
名プロデューサー 故大塚 和(かのう)氏(高知県の医師の息子)の遺作。 御子息と亡実父が青学仏文科で同窓生の誼で知り得る。
露から亡命したK.セレブレコニフ監督作品『チャイコフスキーの妻』の上映予定を問合、目に留まった日本映画の予告編を見た。真摯な題名でも欠点が目につき、やはり熊井 啓監督は秀抜と再認識。翌日、夫から四国出張 予定の連絡があり、大塚&熊井 作品を見直す。本作は、カメラアングルと結末の音楽が心に刻印。秀逸な非言語表現で不条理を提示。

大塚 和『映画と人生』より

“映画の本質、魂がフィルムの中に反映することの出来る監督と是非、仕事がしたいと願っていた。

次なる作品を御一緒したかった僕の恩人、いつか和さんの目をかりて演技をしてみたい。”
(奥田瑛二〈僕の恩人〉)
“大塚さんと私のコンビで製作した作品は数十本あるが、その場合私は製作担当とチ―フ助監督の兼任で、…予算に責任を持たせ、なお作品の質的な面でも監督との協調を図るという一石二鳥の誠に合理的なシステム”
(宮川孝至〈大塚さんと私〉)
“大塚さんは秀れた大胆な企画をたて、それを忍耐づよく推し進め成就する卓越した手腕の持主として、存在を高く評価されてきた方である。

(企画から16年後に完成した機宣↓)
昭和六十年三月十一日のことである。この日は「日活芸術学院」の卒業式であった。私は祝辞を述べるために学院に呼ばれ、久しぷりに学院長の遠藤周作氏にお会いした。昼食会の席で氏から学生たちの指導について相談を受けた。私は学生たちを撮影現場に参加させ実地に教育するのが一番よいのではないかと答えた。その教材に「海と毒薬」が思いうかんだ。“
(熊井 啓〈酒仙の伯楽―大塚 和さんの思い出〉)
“…往時のすぐれた作品を真剣に思いおこし、「日本人とはなにか」という主題を追い求め、描きつづけるより他に道はないように思われる。
我々が「海と毒薬」の映画化を企画した意図は、この主題「日本人はなにか」を最も明快に表現している小説であるからである。
…日本人にとって、「罪と罰」とは何を意味するであろうか?
映画「海と毒薬」はこの問題を追及してゆくだろう。”
(「海と毒薬」企画意図)
記 秋の彼岸会最終日。
大塚 和氏の祥月命日(1990年9月26日)に。
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汎く多くの人々に長く鑑賞されることを祈念し、定番商品化を期待する。
名プロデューサー 故大塚 和(かのう)氏(高知県の医師の息子)の遺作。 御子息と亡実父が青学仏文科で同窓生の誼で知り得る。
露から亡命したK.セレブレコニフ監督作品『チャイコフスキーの妻』の上映予定を問合、目に留まった日本映画の予告編を見た。真摯な題名でも欠点が目につき、やはり熊井 啓監督は秀抜と再認識。翌日、夫から四国出張 予定の連絡があり、大塚&熊井 作品を見直す。本作は、カメラアングルと結末の音楽が心に刻印。秀逸な非言語表現で不条理を提示。

大塚 和『映画と人生』より

“映画の本質、魂がフィルムの中に反映することの出来る監督と是非、仕事がしたいと願っていた。

次なる作品を御一緒したかった僕の恩人、いつか和さんの目をかりて演技をしてみたい。”
(奥田瑛二〈僕の恩人〉)
“大塚さんと私のコンビで製作した作品は数十本あるが、その場合私は製作担当とチ―フ助監督の兼任で、…予算に責任を持たせ、なお作品の質的な面でも監督との協調を図るという一石二鳥の誠に合理的なシステム”
(宮川孝至〈大塚さんと私〉)
“大塚さんは秀れた大胆な企画をたて、それを忍耐づよく推し進め成就する卓越した手腕の持主として、存在を高く評価されてきた方である。

(企画から16年後に完成した機宣↓)
昭和六十年三月十一日のことである。この日は「日活芸術学院」の卒業式であった。私は祝辞を述べるために学院に呼ばれ、久しぷりに学院長の遠藤周作氏にお会いした。昼食会の席で氏から学生たちの指導について相談を受けた。私は学生たちを撮影現場に参加させ実地に教育するのが一番よいのではないかと答えた。その教材に「海と毒薬」が思いうかんだ。“
(熊井 啓〈酒仙の伯楽―大塚 和さんの思い出〉)
“…往時のすぐれた作品を真剣に思いおこし、「日本人とはなにか」という主題を追い求め、描きつづけるより他に道はないように思われる。
我々が「海と毒薬」の映画化を企画した意図は、この主題「日本人はなにか」を最も明快に表現している小説であるからである。
…日本人にとって、「罪と罰」とは何を意味するであろうか?
映画「海と毒薬」はこの問題を追及してゆくだろう。”
(「海と毒薬」企画意図)
記 秋の彼岸会最終日。
大塚 和氏の祥月命日(1990年9月26日)に。
0
汎く多くの人々に長く鑑賞されることを祈念し、定番商品化を期待する。
名プロデューサー 故大塚 和(かのう)氏(高知県の医師の息子)の遺作。 御子息と亡実父が青学仏文科で同窓生の誼で知り得る。
露から亡命したK.セレブレコニフ監督作品『チャイコフスキーの妻』の上映予定を問合、目に留まった日本映画の予告編を見た。真摯な題名でも欠点が目につき、やはり熊井 啓監督は秀抜と再認識。翌日、夫から四国出張 予定の連絡があり、大塚&熊井 作品を見直す。本作は、カメラアングルと結末の音楽が心に刻印。秀逸な非言語表現で不条理を提示。

大塚 和『映画と人生』より

“映画の本質、魂がフィルムの中に反映することの出来る監督と是非、仕事がしたいと願っていた。

次なる作品を御一緒したかった僕の恩人、いつか和さんの目をかりて演技をしてみたい。”
(奥田瑛二〈僕の恩人〉)
“大塚さんと私のコンビで製作した作品は数十本あるが、その場合私は製作担当とチ―フ助監督の兼任で、…予算に責任を持たせ、なお作品の質的な面でも監督との協調を図るという一石二鳥の誠に合理的なシステム”
(宮川孝至〈大塚さんと私〉)
“大塚さんは秀れた大胆な企画をたて、それを忍耐づよく推し進め成就する卓越した手腕の持主として、存在を高く評価されてきた方である。

(企画から16年後に完成した機宣↓)
昭和六十年三月十一日のことである。この日は「日活芸術学院」の卒業式であった。私は祝辞を述べるために学院に呼ばれ、久しぷりに学院長の遠藤周作氏にお会いした。昼食会の席で氏から学生たちの指導について相談を受けた。私は学生たちを撮影現場に参加させ実地に教育するのが一番よいのではないかと答えた。その教材に「海と毒薬」が思いうかんだ。“
(熊井 啓〈酒仙の伯楽―大塚 和さんの思い出〉)
“…往時のすぐれた作品を真剣に思いおこし、「日本人とはなにか」という主題を追い求め、描きつづけるより他に道はないように思われる。
我々が「海と毒薬」の映画化を企画した意図は、この主題「日本人はなにか」を最も明快に表現している小説であるからである。
…日本人にとって、「罪と罰」とは何を意味するであろうか?
映画「海と毒薬」はこの問題を追及してゆくだろう。”
(「海と毒薬」企画意図)
記 秋の彼岸会最終日。
大塚 和氏の祥月命日(1990年9月26日)に。
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